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夢を叶える方法は一つとは限らない

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『夢の形と叶え方』

 私が現在、所属している同人誌『別嬢』はそれなりに長い歴史を持っている。私が参加してからだけでも、もう二十一年を数える。残念ながら、小説ではなく詩人の方々の集まりなのだが、詩という小説とはまた異なる表現形式を学ぶことにより、私自身、色々と学ばせて頂いた。
 私が参加したのはまだ二十代のときことだ。その時、詩人としての大先輩である方がこのようなアドバイスを下さった。
「いつか詩集を出すときのことも考えておきなさいね」
 また、こんなお話も聞いた。詩集というのはどれだけ有名な賞を取ったとしても、それが出版という成果にすぐに結びつくものではないらしい。なので、詩人の先輩方が出している詩集は殆どが私家版で―つまり、自費で出したものだという内輪話である。
 つい最近、その別嬢の同人の一人が初詩集を出した。年代としては恐らく、私とさほど変わらない男性であるが、早くに結婚したらしく、一人娘は既に嫁いでいるという。ずっと所属していた総合同人誌『コスモス文学』が終刊後、自分の居場所を確かめたいという想いで私は一度だけ、別嬢の集まりに参加したことがある。初めて参加する私を同人の皆さんはとても暖かく迎えて下さった。作品の合評会のときは流石に厳しい指摘が飛び交い緊張した空気がみなぎったものの、皆さん、紳士淑女といったメンバーばかりだった。
 その時、その初詩集を今度出された方もいたが、とても落ち着いた雰囲気のまじめというか誠実そうなイメージの人だった。今回、そのTさんが初詩集を出されたことで、出身高校の校長先生がこのような祝辞を述べられたそうだ。
―本校の卒業生が長年の夢をついに叶えて、初詩集を出版されたことを誇らしく思います。
 書き手の中には、私家版について色々と意見を持っておられるかと思う。Tさんの詩集も私家版である。
 だが、何か有名な文学賞を取って出版することだけが〝夢を叶えた〟ことになるのだろうか?  
 Tさんは高校卒業後、就職され、地道に働いてこられた。その傍ら詩作に励み続け、長年の夢であった詩集を出したのだ。それはまさに、夢を叶えたという言葉がふさわしいと私も思う。
 何か一つを成し遂げるのは容易なことではない。むろん、我々書き手にとっては大手の出版社が主催する文学賞で入賞するというのがいちばんの夢であり理想だろう。けれど、それだけが夢の実現ではない。
 長年に渡って仕事に打ち込む傍ら、作品を作り続けたその証を一冊に纏めることもまた立派な夢の叶え方だ。私はTさんの初詩集出版について、その文学に注ぎ続ける情熱と真摯な姿勢は素晴らしいと思った。そして、数年前に一度だけ合評会で見たTさんの誠実で知的な雰囲気を今更ながらに思い出した。
 誰かが言っていた。Tさんは一カ月に一度の合評会を一度も欠席したことがないそうだ。そして、いつも長机の片隅の定位置にひっそりと座り、皆さんの意見にとても真剣に耳を傾けている。
 今回、Tさんの姿に、得るべきものが多いことを私は知った。 長年の間にも夢を持ち続け、一つの目標に向かって歩み続け、見事に夢を叶えられたことに心からの賛辞と拍手を送りたい。夢の叶え方はけして一つだけではないのだと教えられた出来事だ。

☆ 夢をカタチに~一人でも多くの人に読んで貰えたら~【基本製本印刷を利用して】

 さて、Tさんを見習ってというわけではないが、私は今回、ノベリストにも上げている拙作『華鏡~鎌倉のおんなたち~』をこのサイトを経由して製本印刷が依頼できるブログ出版局に製本して貰うようにお願いした。
 ここは初めてではなく、過去にも何度か、お願いしている。確かこれで四度目になると思う。
 あくまでも私的な感想ではあるけれど、かなり良いと思う。
 まず、コストが高くない。それから、仕上がりも値段を考えれば、かなり良い。表紙なども自分の好きなように設定できるし、費用や好みにより、様々な様式の本が選べるのも好ましい。
 全体的な満足度でいえば、95%くらい。
 コストが安い分、印刷・製本を依頼する手前までの版下を作る作業はすべて自分で行わなければならない。
 それは当然ともいえるが、私のようにパソコン操作にそこまで慣れていない人は、少し大変である。もちろん、出版局にいちいち取り合わせたら、迅速に丁寧な回答が得られ、操作も誘導して貰える。サポートも良い。
 それでも、あまりに何度も問い合わせるのも申し訳なく、つい我慢できるところはまあ、これくらいで―例えば原稿のレイアウトなどについては、今回はもう訂正したかったが、この程度であればと妥協し、そのままにした。
 ここも訊ねれば教えて貰えるのであろうが、やはり、気か引ける。
 こういう初心者にももう少し判りやすい操作方法であれば、なお良いと思うし、また、原稿をPDFにしてしまうと、PDFでの校正作業はできなくなり、いちいち元原稿まで戻って手直しして、また新たなPDFを作らなければならない。
 たとえ一カ所でも見落としていたら、延々、その作業をその度に繰り返さなければならないのは大変面倒だ。今後、PDF上で校正作業ができるように改善されるとしたら、もう無敵になるだろう。
 そういう部分がマイナス5%だ。
 だが、コストと市販の書籍にも引けを取らない品質からすれば、十分納得のいけるものだと思う。
 私家出版を大かがりに行うほどでもなく、しかし、記念に書籍の形として残しておきたいという場合に最適だと思う。
 私は過去に、ここで製本した作品は図書館に寄贈し、貸し出しに出して貰った。
 どれだけの人の眼に触れたのは判らないけれど、1度、誰かが借りていっているのは見たことがある。
 作品の書き手であれば―私は敢えて自分を作家とは言わないし、言いたくない。大体、無料の小説サイトで少し人気が出たくらいで、すぐに自分を『作家』だと名乗り始める人がいるが、あれはいかがなものかと思う。小説を書く人間はプロアマ関係なく『作家』だと私は思っているが、それはあくまでも、自分自身の心で思うもの、他人から呼んで貰う呼称であって、間違っても自分から他人に自称するものではないだろう。
私は筆歴だけは長いが、やはり、今の立場では、到底、自分のことを『作家』などとはおこがましすぎて口にはできない。あくまでも、作品の『書き手』か、もしくは『アマチュア作家』としか自称できない。
 要するに、自らを作家であると自分で思うのは、自分の作品と書き続けてきたことに誇りを持つということである。しかし、その折角の想いも豪語して口にしてしまえば、単なる奢りと勘違い、度の過ぎた自慢になってしまう。
 話が逸れてしまったが、作品の書き手であれば、やはり自分の書いたものを誰かに読んで貰いたい、一人でもたくさんの人に読んで欲しいという願いはあるはずだ。
 そういう意味で、こういう形で作品を本にするのも一つの手だと思う。
 どうも理屈っぽくなってしまったが、1度、試しに利用してみられると、きっとその上質な仕上がりとご自身の丹精込めた作品が『形』になることを実感されると思う。
 もちろん、これは私の印象であるから、すべての方にそうであるとは言えない。そのことだけはご理解いただきたい。