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人生はカーニバル

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『人生はカーニバル』

時計の針が午後十時を回ろうとしていた。
Yはそろそろ帰ろうかと言い出したけれど、一緒に来たXはまだ飲み足りなかったので、「もう少し付き合え」と引き留めた。
 XとYはともに五十の坂を越えている。会社人生の終わりが見えている。多くの者が会社人生を諦め平穏無事に過ごしているが、Xだけは違う。まるでまだ四十代のように、アグレッシブな会社人生を送っている。YはそんなXを呆れながらも羨ましいと思っている。
「何か面白い話はないか? お前ならあるだろ? 無いなら帰ろう」とYが言った。
 若い部下と飲みに行く関係になったことをXは告白した。
「相手は?」
「二十代だ」
 相手はスミレという二十代の部下である。Xはもともと部下に女性というのは好まなかったが、今年、Xに親子ほど年が離れたスミレが預けられたのである。スミレのことを周りは美人だと言う。また「一緒に飲みに行く機会を作ってくれ」と言う同僚もいるが、Xは、若い部下と一緒に飲むことが楽しいと思ったことはないし、そもそもスミレを美人だとも思わなかった。ただ酔うと妙に色っぽくて、それに服のセンスが良いとも思っている。一緒に仕事をしながら、心のどこかで嫌になって離れていくことを望んでいたが、半年経った今も一緒に仕事をしている。誘われて飲んだりもする。
「飲みに行くだけの関係か?」
「そうだ。昼間は一緒に仕事をして、ときたま二人で飲みに行くだけだ」
一緒に飲みいくうちに、もっと深い関係になりたいと思う反面、深い関係になり過ぎて、足元を掬われることを恐れた。できるなら、彼女の方から離れていってくれればいいと思っている。Xがそう期待するのも無理はなかった。彼女には前科があったである。彼女はいろんなプロジェクトに配属されたが、数か月後、あるいは一年後くらいには、必ずといっていいほど、休職する。その後、復帰するものの、みな腫物を触るように扱うため、ろくな仕事が与えられない。そのせいで評価が至って低い。
「そこでやめた方がいいぞ」
「深い関係にはならないよ。遊びだよ。単なる遊びだ。そう割り切っている。“踊る阿呆に、見る阿呆、どうせ阿呆なら、踊らなきゃ、損”と言うじゃないか。一緒に飲んで騒ぐだけだ。人生はカーニバルだよ。でも、カーニバルの中で、俺はオスの仮面をつけて踊る。彼女もメスの仮面をつけて踊る。あくまでも祭りだ。朝が近づけば、祭りは終わり、仮面を脱ぎ捨てる。ときどき思うことがある。オスの仮面が本来の顔で、昼間の顔は実は仮面だと。女も一緒だ。世間の考えとは、大きくずれているかもしれないが」とXは少年のように告白する。
 Xはもう若くはないことを自覚している。肉体だけではない。精神さえ衰えを感じていている。三十代の頃のように午後九時過ぎてから飲みに行くような元気はもうないが、それでも休日には風俗に通ったりする元気は残っている。幾つなっても、オスとして生き続けたいと願ったからだ。オスとして性質を失ったオスとして生きるなら死んだ方がましと考えている。
「お前らしい。でも、カーニバルはいつまでも続かないぞ」とYは笑った。
 YはXと違って年齢にふさわしい精神と肉体を持っている。いつも、時間どおりに帰り、十一時前には必ず眠る。
「分かっている。分かっているけど止められない。その一方で、カーニバルがなくなったら、同時に俺の人生は終わりだと思っている」とXは笑った。
「どういう意味だ?」とYと聞いた。
「メスを追い求めないオスは、オスでない。オスで無くなったらおしまいだ。そうなったら、死んだ方がましだということだ」とXは答えた。
「難儀な生き方だな」とYは笑った。
 Yが親子以上の年の離れた女と恋仲のような関係になっていることを咎めると思っていた。が、Yは何も咎めない。
「羨ましいよ。俺なんか、もう十年前からオスでは無くなっている」
「オスとして十分と言えるかどうか疑問だが、まだオスの役割を演じられる」
 
そのうち、スミレが逃げ出すと思った。そうなることを期待もしていた。でも、そうはならない。むしろ仕事を一生懸命やろうとさえすることがある。情熱が涌いたのか、それとも自分の好意の証なのか、Xには分からなかったが、そんな姿を目にするにつけ仕事を教えてやろうと思い始めている。
 あるとき、詰まらなそうな顔で資料を作っていたので、「中途半端な気持ちでは、仕事は覚えられないぞ。適当にやっている人間とそうでない人間との差は、最初は少しでも、一年、二年、三年と時間が経つと大きな差が出ていくる」とスミレに注意した。
すると、スミレは微笑みながら、「もともと、上手くやるふりをするのが得意だけで、何をやっても身につかないんです。試験の前、一夜漬けで覚えて、試験に臨むから何とかうまくいくけど、すぐに忘れてしまっている。きっと脳のキャパシティが小さいのかもしれない」と応えた。
「今まで、そうやってうまくいってきたかもしれない。でも、それは奇跡に近いものがある。会社は要領の良さだけでやれると思ったら、絶対に失敗にするぞ」
「男の人は仕事に全てをかけるくらいの情熱をかけますよね。でも、私は女だから、仕事に全てをかけられない」
「全てをかける必要はない。でも、スマートに生きろ。これからは女も自分が食う分くらい稼がないといけない時代だ。スマートに生きるためには、今の仕事を覚えろ。それを次に展開できたら、うまくいくぞ」
時折、スミレは恋した少女のような目でしてXを見る。このときもそうだった。それが何を意味するのか。Xには分かっていた。けれど気づかないふりをした。

 Yと飲んだ数日後、週末の金曜日、スミレが「今日、空いていますから、飲みに誘ってください」と夕方、Xの耳元で囁いた。Xは隠れ家のような飲み屋に誘った。
「初めの頃は、人付き合いが下手な女かと思ったけど、全然違うな」とXが呟くと、
「私は人見知りするタイプで、親しくない人には後退りしてしまうんです」
 彼女の場合、後退りが無表情にさせるのであろうか。会社でいるとき、いつも能面のような顔をしている。
「Xさんて、……」と口ごもった。
「俺がどうかしたか?」
「不思議な人ですよね」
「どんなふうに?」
「頭が良くて、とても柔らかい人だと思う」
「それは節操がないということ?」
 彼女は大笑いした。
 女という生き物は男よりも相手の表情を読むのがうまい。彼女も例外ではなかった。彼女は女の目でじっと観察している。X氏は自分も観察対象になっていることに苦笑せざるをえなかった。
「五月のゴールデンウィークには帰らせてください。タロウとハグしたいから」と言った。タロウというのは彼女の実家で飼っている犬だ。
 飲み会の後、カラオケ屋に入った。
 Xの隣にスミレが座った。
 歌の間に、彼女が「Xさんは、どんな女の子が好きですか。Aさんは? Bさんは?」と聞いてきた。
 Aさん、Bさんはともに彼女の同期である。
「Aも、Bも、良いと思うけど、特別に良いとも思わないな」
「じゃ、私は?」
 一瞬、耳を疑った。
「バカなことを聞くなよ。俺とお前は上司と部下の関係だぞ。そんなの考えたことはない。第一、歳が離れすぎている」
作品名:人生はカーニバル 作家名:楡井英夫