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大場カナコ
大場カナコ
novelistID. 54324
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ココロの雨 (上)

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鬱病…できれば耳にしたくない単語。
もう、10年の付き合いになる。
いつ出てくるかわからない。
突然襲ってくる敵から身を護る術をまだ知らない。

私は田舎の小さな町に生まれた。
一見、ごくごく普通の家庭。
父は高校卒業後、いくつか転職した後地元に戻り、いわゆる大手企業に就職し、母と結婚した。
母は妹想いの優しい2人の兄に可愛がられて育った。そのせいか、勝ち気で負けず嫌い。数年働いた後、結婚し専業主婦になった。
本当に、平均的な家庭…だったかもしれない。
ただ、物心がついた頃には母が義父と仲が悪くまだ幼い私に愚痴をこぼしてばかりいた。父は父で義母に対してあからさまに無視したり、わざと顔が写らないように集合写真を撮ったり…陰湿な嫌がらせをしていた。
おまけに、母の実家では下の兄の結婚相手で揉めていた。
今思うと、いくつか精神的疾患があったようで、人の顔を見れないらしく、母と祖母で反対していたのだが、とうとう私達子供の前で兄は妹にキレたのだ。
大人の男の人が本気でキレた瞬間を目の当たりにして、衝撃的だったが、母が泣き出し祖母は怒り…何が何だかよくわからなかった。
その時ちょうどテレビで放送されていた『欽ちゃん仮装大賞』だけが記憶に残っている。
大人達のことは、幼い私には深く理解できるはずもなく、そういうものだと思っていた。

ただそれとは別に、私の家の上はいつも雷雲で覆われているようにしか見えなかった。
その原因は、母だった。
一番古い記憶…幼稚園児、いやそれより前かもしれない。
おそらく、何かで母を怒らせてしまったのであろう。
服を着たまま無理矢理風呂場に引きずり込まれ、浴槽にあった残り湯を浴びせられた。
何度も何度も…息が出来なくなる程に。
恐怖だった。
さらに母は、何かにつけて私を怒った。
お茶をこぼしては怒鳴り散らし、お味噌汁をこぼしては泣くほど叱られた。
ごはんを食べるのが遅い!と毎回叱られながら食べていた。
「あんたは本っ当にトロイ!!何をやらせてもダメ!あぁー、見てるだけでイライラする!」
と言われ続けた。
元々食が細かったのだが、ますます食事が嫌になった。
そんな毎日だったせいか、いつも母に怯えていた。
次は何と言って怒られるんだろう…いつしか、母の顔色をうかがってばかりいるようになった。
何をどうしたら怒られなくて済むか、そればかり考えていた。
それでも母を嫌いにはなれなかった。
少しでも誉めて、抱きしめてもらいたかった。
母親の愛情が欲しかった。

そのうち弟が出来た。
けれど、全く嬉しくなかった。
母は弟を溺愛した。
(恐ろしい事に、大人になった今でも溺愛している)
お茶をこぼそうが、お味噌汁をこぼそうが一度も怒られることはなかった。むしろ、
「たっくん、大丈夫?熱くなかった??火傷は?」
さすがに、幼稚園児の私でも気づいた。
----何で私だけ?同じことをしても弟には怒らないの??
そして憎しみの矛先は、母ではなく弟へと向けられた。

確かに私はマイペースな子供だった。
ただ、いくら『同い年』とはいえ2月末に生まれた子と4月に生まれた子を比べても、約1年の差があるのだから不利なのは当然だと思った。
幼稚園には給食があったのだが、全部食べ終わるまで帰らせてもらえない規則だった。
おかげでいつも帰れるのは夕方近く。
だいたい残るメンバーは決まってくる。
たまに、珍しく早く誰かが抜けると焦った。
けれど、全く食べられない。

そんなことがしょっちゅうあった。
そんなある日、年長組の先生が突然私を連れ出した。
怒りながら、誰も知らない薄暗い部屋のベビーベットに私を乗せた。
手元には私の飲みかけの牛乳とおかず用の器があった。
そして勢いよく牛乳を器に入れ、私の頭を片手で掴み
「お前は赤ちゃんかっ!こうしたら飲めるでしょっ?」
と言って器を無理矢理口につけ、流し込もうとした。
衝撃的だった。
とても怖かった。
と同時に“赤ちゃん”と言われ、ベビーベットに乗せられて恥ずかしくて辛かった。

またある時は、
「そんなに食べられないなら、食べさせてやる!」
と言って、最後のデザートに取っておいたみかんを口に強引に押し込まれ、さらに牛乳を入れられた。
その瞬間、嘔吐した。それ以来、みかん+牛乳=ゲロの味…になってしまった。
一緒に帰ってた友達が母に言った。
「カナコちゃんね、今日給食のときゲロ吐いたんだよー。」
----何で言いつけるのっ?また怒られる。
その瞬間、母が言った。
「あぁ、体調悪かったんじゃない?」
内心ホッとした。怒られなくて済んだ。
今なら、それは保護者として怒るべきだと思うけど、とにかく、怒られなくて安心した。
けれど、そんなことがあっても不思議なことに先生を憎んだり嫌いにはなれなかった。
ただ、私が悪いんだと…。

そして年長組になった頃には、給食も食べられるようになっていた。
むしろ、一番早く食べ終わるほどになっていた。
一番になったら園長先生が手の甲に王冠を書いてくれる。
「カナコちゃん、凄いねぇ!!早くなった。」
嬉しかった。
王冠を先生に見せると笑顔で誉めてくれた。
帰り道、母にも王冠を見せ、一番になったことを報告した。
が、反応は薄かった。
あんなに嬉しかった気持ちが、一瞬にして消えてしまった。

それから小学校に入学して間もなく、父の仕事の都合で他県に引っ越すことになった。
地方の県庁所在地だったせいか、田んぼや畑がチラホラあるが、道は広くお店もたくさんあり、賑やかな場所だった。

小学校も大きく、いわゆるマンモス校だった。
(後に、児童が増え過ぎて教室が足りなくなり、図書室や音楽室が教室へ変わり、遊具がプレハブ教室になった。挙げ句、近くにもう一つ小学校を作ることになった)
そこの小学校では、転校生は校内放送でテレビを使って挨拶をしなくてはいけない。カメラに向かいワケもわからず挨拶をし、教室へ戻った。
校長先生がテレビに映っていた。
私…みんなに見られてたんだ!とその時初めて実感した。
ほぼ毎月、誰かしら転校生が来る学校だったせいか、先生や子供達も転校生には慣れていて、学校にはすぐに馴染めた。
親が給食でこの学校に決めた!というだけあって、とてもおいしかった。
毎日果物は出るし、とにかく幼稚園で出されていたものとは比べようがないくらいおいしかった。

転校当初、帰り道はたまたま真上の部屋に住んでいた同い年の女の子が一緒に帰ってくれた。
大抵、私のクラスの方が早く終わるので、よくその子の教室の前で待っていた。
ある日、いつもと同じように廊下で待ってると、先生が気づいたらしく
「えみちゃん、今日もかわいい転校生がお迎えに来てるよ。」
と言った。クラス全員がこちらを見た。
先生は続けて
「かわいいね、あの子。」
と言ってくれた。
面識もない、しかも先生という立場の人から突然褒められて、嬉しかった。
天にも昇るぐらい嬉しかった。

母は母で、マンションの人達はみんな転勤族だったこともあり出身は千葉や奈良、愛媛や島根…とバラバラだったが、子供達も年が近いこともありすぐに仲良くなり、家族ぐるみで付き合うようになった。
作品名:ココロの雨 (上) 作家名:大場カナコ