WonderLand(上)
奇妙な身なりをしたウサギを追いかけて、木の穴の中にすっぽりと落ちた。落ちた先は、見たこともない薄暗い部屋。輪郭をぼんやりと映し出す程度の灯りが灯り、カチャカチャというグラスの音と、大きすぎるボリュームのクラシック音楽、鼻をつくアルコールの酸味のある匂いと煙草のけぶりが、小さな部屋を覆いつくす。
さぁ、あなたもおいでなさいと、ウサギが手招きする。
怖いことは何もないのです。陽のあたるものがあるのは、陽のあたらないものがあるから。存在があるのは、影があるから。
真っ白な手を差し出して、彼女はその小さな手を取った。
うっすらと笑みを浮かべて、
ようこそ、WonderLandへ。
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父のことは嫌いではない。
年頃の女の子たちがそうであるように、父の存在を疎ましく思うこともあるけれど、大手の貿易会社に勤め海外出張が多かったという仕事柄から英語を流暢に話すところや、洒落た服や小物をお土産にしてくれるようなところは、とても自慢だった。
とは云っても、今は貿易会社で世界を飛び回るエリートではなく、寂れたカラオケチェーン店の一社員だ。米国の会社ばかりを相手にしていた父の会社は、9.11テロの影響でたちまち経営困難に陥り、しばらくして倒産した。あたしが、ずっと小さいときのことだ。それでも、父はよく海外出張で出かけた外国の話を、さも今もそうであるかのように話す。
アリスという名前が、あたしは嫌いだ。
世界中のどこでも通用するようにと、父が付けた名前だというけれど、通用こそするものの、日本では笑われ、からかわれる対象でしかなかった。ディズニー映画の不思議の国のアリスのような容姿であれば、この名前も気に入ることができたかもしれないけれど、あたしは典型的なアジア人の容姿だ。瞳も青くなければ、肌も白くないし、髪も美しいブロンドではない。まだ、弟のナイトの方がよかったと、いつも恨めしく思う。
作品名:WonderLand(上) 作家名:紅月一花