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長いトンネル

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『長いトンネル』

ユズルが言葉巧みにユキナを誘い旅行に出た。
「旅に出れば何かいい曲が書ける」と言い張ったのだ。
ユキナはずっと前からユズルに一流の音楽家になってほしかった。それが叶うならと思って一緒に旅に出たが、曲を書くことは一切せず、セックスしかしなかった。ユキナもセックスが好きだったから、セックスをしているときはそれなりの充実感はあったが、けれど終わった後に、虚しさを感じずにはいられなかった。ちょうど時間をドブに捨てているような虚しさである。

旅に出て、一週間後のことである。
海辺のホテルに泊まった。部屋でセックスのも飽きたというので、ホテルを出て浜辺に来た。
すでに時計の針は八時を回っているであろう。昼間さえ寂しい浜辺は誰もいない。ただ潮騒が夜の静けさをかき乱すだけ。
月が煌々とあたりを照らして、昼間と見紛うほど明るい中で、ユズルはユキナを抱いた。終わった後、二人とも星空を眺めた。
ユキナが「こんなセックスだけの旅行に飽きた」と呟いた。
「それに作曲もしていないでしょ?」
「イメージが湧かない」
「音楽家の夢、諦めるの?」
「うん、それも考えている」
「つまんない。夢、諦めるなら、別れよう」とユキナは呟くように言った。
「どうして?」
「夢のない人間は嫌いだもの」
「タカシなら、いいのか? あんな顔にやけどの跡がある男が?」
ユズルからタカシを紹介されたのは、半年前だった。タカシには顔に大きなヤケドの跡があった。初めて見たとき、思わず後ずさりした。
「でも、才能はすごいでしょ?」とユキナは呟くように言った。
「確かに、当たっている」
ユキナは半年前に紹介されたときのことを思い出した。

ユズルは「顔はひどいが、音楽は天才だ」とユキナに紹介した。
タカシはそのとき微笑んだが、後でユキナの耳元でこう囁いた。
「ユズルは優しい人間かもしれない。でもデリカシーに欠ける。何よりも恵まれ過ぎている。名家を出て一流の学校に入り、ハンサムで陽気だけだ。何もない。欠点さえない。そんな人間に芸術の神は微笑まない」と続けた。
「顔がひどいなんて……きっと軽い冗談みたいに言ったのかもしれないけど、ひどい言い方です。代わって謝ります」とユキナは頭を下げた。
「謝る必要はない。事実だから。どんなひどいことを言われても、傷づかない」
「どうして?」
「音楽の神は俺に微笑んでいるから」と微笑んだ。
確かにタカシは天才作曲家である。彗星のごとく現れて名声をほしいままにしている。
「ユズルは蛇に例えるなら、大きくて見栄えするかもしれないが、毒を持たない青大将だ。俺は見てくれが悪いかもしれないが、毒をたっぷりと持ったマムシだ。青大将は毒にも薬にもならない。せいぜいセックスで男を喜ばすだけの人間だ。俺の音楽は数えきれないほどの女たちを酔わせる。そしてセックスはもっとすごい。試してみないか?」と言うと大きな声で笑った。
 驚いた顔を見せたユキナに向かって、
「冗談だよ。少し悪乗りし過ぎた。ごめん、誤る。許しくくれ」
 しかし、その目は謝っている目ではなく、“隙あらば、食う”といった挑発的な目であることをユキナは気づいた。そのときから、タカシのことが頭から離れなくなった。そう恋をしたみたいに。同時にユズルへの愛が少しずつ薄れていった。

 確かにユズルはタカシが酷評したとおりだユズルは思った。毒にも薬にもならない、セックスだけが取り柄の男。ユキエは旅が終わったら、別れようと決心を固めた。
ユキナが「ねえ、どこかで自分を忘れてきたような気がするの」と呟いた。
「自分を忘れた?」とユズルは驚いて彼女を見た。
彼女はいつもようには微笑んだ。そう、いつもの微笑……感情を現さない笑みである。ユズルは何と答えていいのか分からず黙った。
「もう一度、セックスしようか?」とユズルが言った。
ユキナは微笑みながら首を振った。
「じゃ、ホテルに戻るか?」
ユキナは同意した。
沈黙したまま二人で歩いた。
翌朝、二人はホテルをチェックアウトした。
ユズルが運転する車の中で、ユキナはずっと海の方に目をやっていた。だが、ユキナが海を見ているのではなく、別のことを考えていたのだが、ユズルはそんなことも気づかない。
 車がユキナの家についた。車から降りた彼女はこう言った。
「私があなたの前から消えても、探さないでね」
 ユズルは真意を確かめるのが怖くてただ微笑んだ。ユキナはこれがタカシだったらどんなリアクションをしたかを想像した。おそらくマムシのリアクションをしただろうと思った。だが、マムシの行動、というよりもマムシ、そのものがはよく分からなかった。はやり確かめるしかない。

 旅から戻って一か月後のことである。ユキナの元に一通の手紙が届いた。差出人はタカシである。
 タカシは帰省していて、ユキナが住むS市の隣のA町にいた。手紙は“見せたいものがあるから来い”とぶっきらぼうな内容だった。無礼千万にも思えるが、よくよく考えてみると末、純粋で飾らない性格がそうさせているという結論に達した。
 行こうか、止そうか迷った。その日が近づくにつれて、いつしか、そこに行く自分を夢想していた。
『君は必ず来る。10月20日に』と手紙にそう書いてあった。預言者のように断言している。癪ではあったが、自分でもそうなる運命のような気がした。
運命! そうだ、ユズルとの旅に出た頃から新たな運命を感じていた。そして旅から戻り、タカシとの別れ際に『どこかに行っても探さないで』と言ったとき、何かを確信した。その核心が何であるかを、ユキナはようやく分かった。

A町は寂れた海沿いの長閑な小さな町である。町は小さな山で海と隔てられていた。街中を歩いても、そこが海沿いとは分からないほど、どこからも海が見えなかったが、町の  
外れにあるトンネルを越えると、想像もできないほどの広い海が広がる。
町はずれ小さな駅にユキナは降りて、駅舎を出た。そこが待ち合わせ場所だった。
ユキナは白い帽子に薄いオレンジ色のワンピースだった。ワンピースのベルトがあたかも花束を束ねるリボンのようにみえる。潮風に揺られてオレンジ色の花束が優雅に風にもてあそばれている。
タカシは微笑みながら彼女を出迎えた。
「風が強いだろ? 海が近いせいだ」
「海が近い? 本当に?」
 タカシは笑った。
「この町と海を小高い丘が隔てている。海と町は一本の長いトンネルで結ばれているんだ。そのトンネルを見せたかった。僕は君が必ず来ると思っていた」
ユキナは「たいした自信ね」皮肉っぽく言ったつもりであったが、あいにくとタカシは意に介しなかった。
「僕は天才なんだ。十五歳のとき、このコンクールで優勝すると予言したら、そのとおりになった。いいかい、神は、この醜い顔と引き換えに音楽の才能を授けた。そしてもう一つ……」
「何? もう一つって?」
「君はそれを知るためにここに来た」と自信ありげにユキナを見た。
「あら、そんなふうに思っていたの。残念ね。私はあなたが言っていたトンネルを見に来ただけ。それを見たら、すぐに電車に乗って、叔母様とところに行くの」
作品名:長いトンネル 作家名:楡井英夫