遼州戦記 保安隊日乗 7
「おう、俺は一応先の大戦じゃ人道に対する罪で銃殺されたことになっているんだから……立派な犯罪者だろ? 」
遼南での治安維持活動で『人斬り新三』の異名を取った兄の顔が歪むのに高梨は目をそらした。それでも兄の言葉は続く。
「同盟の実力部隊は俺が同盟設立を提案した時の条文の段階から本部を東和に置くことになっていた。技術力と安定した治安が魅力でね……扱うものがアサルト・モジュールなんて言う技術力の塊を常に運用状態に置くとなると東和か……大麗くらいしか適当な場所がない。警官が金で動くような治安のヤバイところに設置すれば同盟の中立的実力行使という役割が果たせなくなる可能性もある……そうなると選択肢は東和一本に絞られたわけだが……その部隊長には何人かの候補がいた」
兄の言葉がどこにたどり着くかと高梨はただ耳を澄ませるだけだった。
「まずは遼北の周麗華少将……従妹だからと言う身びいきじゃ無いが決まってもおかしくなかったんだけどねえ……」
高梨も父ムスガの弟であり遼北革命に参加したムジャンタ・シャザーンの娘で先の大戦では女性にして遼北でも上位の撃墜数を誇ったエース。何度か会議の席で顔を合わせたが勘のきつそうな視線はどうにも高梨の苦手とするところだった。
「遼北じゃあ……菱川さんが認めませんね」
「そう言うこと。それで次の候補が大麗のパク・ジュンス大佐。若手で温厚篤実……だが当然ながら人材不足の大麗が手放す訳もない……ってんで次の候補が胡州の誰かってことだ」
「誰かって……自分のことじゃないですか」
弟の軽口に嵯峨は苦笑いを浮かべる。高梨も兄に言われるまでもなくこじれにこじれた保安隊隊長人事については情報を独自に入手していた。嵯峨のくせ者ぶりは有名なだけに遼北と西モスレムが珍しく共同歩調でその人事に反対したが、結局は菱川重三郎が強引に押し切って決まった人事だった。両国はこの人事に露骨に不服だった結果、遼南内戦で面識があったため直接嵯峨が口説いた二人、遼北の技術部部長の許明華大佐と高梨の前任の管理部部長で現在は戦地である両国国境で任務遂行中のアブドゥール・シャー・シン大尉以外の出向を拒否したほどに難航した人事だった。
「要するに最初から俺はいつかは切られる運命だった訳だ……まあこのまま行くと同盟の方が先に命脈が尽きそうだがな」
「腹は立たないんですか? 一応は遼南皇帝最後の仕事として提言した同盟の設立でしょ? 」
力なく笑う兄に思わず高梨の語気は荒くなる。
「腹ならもう煮えくりかえっているさ……でも怒ってどうなるよ? 世の流れ、人の心。どうにもならないものって言うものはこの世の中いくらでもあるもんだぜ。俺はこの星が地球列強に食いつぶされない為の方策として同盟を提言したわけだが……そんなことよりも世の人々は目先のプライドや気分が大事らしいや」
それだけ言うと嵯峨は再び椅子で身を反り返らせて伸びをする。
「それより渉よ……東和で食って行くんだから俺とは距離を置いた方がいいぜ……本庁からの帰り、付けられただろ? 」
「え? 」
嵯峨の言葉に高梨は驚きを隠せなかった。
「どこの連中が……」
「東和の公安。うちのゲートの前にもこの寒いのに三人も張り付いて……ご苦労なことだ」
頭を掻きながら外を指さす兄。憲兵上がりの兄が同類を見逃すはずがないのは十分に分かる。そして現在第一小隊所属の吉田俊平少佐を東和公安ばかりではなく同盟司法局の捜査部門も追っていることは高梨も知っていた。
その時嵯峨の机の通信端末に着信があった。
「秀美さんかな? だといいねえ……」
嵯峨はのんきにそのスイッチを入れた。
「見つかったわよ! 」
「何が? 」
慌てた調子の安城秀美の声に嵯峨はいつものとぼけた調子で返す。相手がいつもの嵯峨だと分かった安城はただ苦笑いを浮かべるとモニターに顔を向き直った。
「例の秘密兵器のデータ流出の件。やはりギルドが絡んでるわね……さっきようやく左翼セクトのメンバーを落としたのよ……」
「そいつはご苦労さんだねえ……でもそれじゃあ吉田とは無関係……」
嵯峨の口調は相変わらずのんびりと他人事のように続く。大きく自分を落ち着かせるためのため息をつくと安城は言葉をつないだ。
「余計ややこしくなっただけよ。しかも直接手渡しでデータを受け取ったって……しかもあの相手が北川公平……先日嵯峨さんのところの神前君がかち合った相手よ……」
「そいつはまた大物が……でもその調子だと北川のアジトでも掴んでるんじゃ無いの? 」
それとなくいやらしい笑顔を浮かべて画面を見つめる兄に弟ながら高梨はただ呆れるほか無かった。
「それが掴んでるから困るのよ……しかも明らかに捕まえてくれって言うくらいに丁寧に証拠を残しているんだもの」
「ああ、それじゃあ渉をつけた公安の皆さんは無駄手間をかけちゃうことになるねえ……」
嵯峨の言葉の調子には少しとして悪びれるようなところはない。ここまであからさまに他人事のふりをされると安城も怒るに怒れなかった。
「山脈西部宇宙港から第十四宇宙ターミナルステーション行きのシャトルの貨物室ですって……ばれないとでも思っているのかしら? 」
「だからブラフでしょ? 今頃本人は安全極まりない方法で遼州星系から出ようとしている……そう考えるのが普通じゃないの? 」
いちいち尤もなだけに安城はただ苦笑いを浮かべるだけ。
「とりあえず北川を取り逃がしたら連絡するわ」
それだけ言うと通信は突然のように切れた。
「あのさあ……渉……俺、また嫌われたかな? 」
「さあ……どうでしょう? 」
いかにも情けない表情を浮かべる兄。高梨はただその演技に過ぎる表情に呆れながらこの小汚い部屋を後にする踏ん切りを付けていた。
殺戮機械が思い出に浸るとき 15
「この部下にしてこの上司ありね……」
通信端末を閉じると安城は苦々しげに笑った。東都警察の待合室の午後。辺りは緊張が走っているというのに安城の部下で保安部時代からの部下である中年の優男から静かにコーヒーを受け取ると安城は静かに飲み始めた。
「しかし……吉田俊平とギルドがつながっているらしいとは……」
部下の一言に安城は大きくため息をついた。公安の詰め所からは苦虫をかみつぶした表情の捜査員が吐き出される。安城は彼等の視線を一つ一つ受け流しながらただ黙って自動販売機を見つめていた。
「あのねえ。元々情報が吉田少佐から出たとは今の時点では決められないわよ……いいえ、出ていたとしたらなおさら彼はギルドとはただの利害の一致でデータを渡しただけかも知れないわね」
「勘……ですか? 」
急に真剣な表情になった安城を見て部下の男がコーヒーを啜りながら笑う。
「ギルドにとってもなんで自分の手柄をちっちゃいセクトにくれてやる必要もよく分からないから……おそらくギルドにとってこのデータは何の関心もない代物だった。せめて世間を驚かせて喜ぶ連中にくれてやる程度の価値しか……だから吉田少佐は情報のリーク先にギルドを選んだ」
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 7 作家名:橋本 直