お姫様の決断
「ああ、わかった。覚悟しとくだ」
いつのまにかビオラは眠りについていました。
目が覚めた時、見覚えのない豪華な天井がビオラを出迎えていました。
八 見てなさい
ビオラが目覚めたとき、ぼろぼろの服を着た男がベッドの横の椅子で腰掛けて眠っていました。服はボロボロですが、顔立ちはどこかしら高貴さを感じられますが、でっぷりと出ているおなかがなんだかポタを思わせました。
「あ、姫!」
男は目覚めたビオラに気がついたようです。その声はポタのものではありません。ポタより少し高く、大人と子供の中間のような声でした。
「あんた誰?」
「この国の王子を忘れるなんて、姫様もなかなか御冗談を」
顔を確認していなかったのを思い出し、こいつがここの王子様なのかと、ビオラはうなづきました。
「で、なんでそんなぼろぼろなの」
「なんでって……国中で探しまわったんですよ! どれだけ心配かけたと思っているんですか!」
王子様は声を荒げてビオラを叱りました。まるでその姿を見ていると、ポタに怒られているみたいで不思議と笑いがこみあげて来ました。
「なにをお笑いになっているんですか!」
「別に、なんだかあんたおかしくて」
「おかしいだなんて……全く、とんだおてんば姫様が来日なされたことだ」
「おてんば姫だなんて、デブ王子に言われたくないわね」
「デブだなんて、ひどいなあ」
ビオラの言葉に怒る様子もなく、王子は笑いました。
「で、あんた名前は? 王子様」
「パラスです。ビオラ姫」
今まで会ってきた王子は、皆気取った雰囲気の人ばかりでした。しかし、パラス王子はなんだか柔らかくて、子供のような笑顔をする人でした。
「ふーん」
「僕たち、子供のころに会っているんですよ」
「みたいね」
「覚えてます?」
「いいえ、全く」
「僕もです」
「なによそれ」
また笑いがこみあげて来ました。なんだか不思議な魅力のある人だなあとビオラは思いました。
「ねえ、私をここまで運んできた男は?」
「ああ、警備員の男ですか。仕事があるからとすぐに部屋を後にしましたよ」
ビオラはその言葉に残念そうに俯きました。
「でも、ご無事でよかったです」
パラス王子は、ビオラの手をそっと握りました。その笑顔は本当にうれしそうで、まぶしいなと、ビオラは思いました。
その時、ノックの音が部屋に響きました。
「失礼します、姫様、お目覚めになられましたか?」
ドアの向こうにいたのはアリアでした。紅茶を淹れてきたようです。アリアは手を握るパラス王子とビオラを交互に見つめ、顔を赤くしました。
「し、失礼しました」
「ま、待ってアリア! 違うの! そ、それよりごめん、心配かけて!」
アリアはため息をついて、紅茶をテーブルの上にそっと置きました。そして笑顔のままビオラに近づき、パチンと乾いた音が部屋に響きました。アリアがビオラに平手打ちをしたのです。
「今度心配かけたら、本当にしりませんからね」
アリアは涙をこらえるのに必死で、頬の内側をかみしめているようでした。ビオラは途端に自分のした行為がどれだけの迷惑だったのかを思い知りました。
「ごめんなさい。アリア」
「……わかればいいんです。もう勘弁してくださいね、こんなことは」
アリアはそう言うと、部屋の隅のバイオリンをビオラに突き出しました。
「え、アリアさん、まさか今日やらせる気ですか? なにも姫はお疲れでしょうに」
パラス王子はおどおどとアリアに言いました。
「いいえ、ビオラ姫はやる気です。そうですよね、姫」
ビオラの決意は固く、手はバイオリンへと向かっていました。
「ええ、あいつに見せてやらなきゃ、私の晴れ舞台」
ビオラはにかっと笑いました。
演奏会は午後三時。それまでは後三時間を切っていました。
それからは城の兵士や王族関係者に謝罪して回る作業で、軽く一時間は消費してしまいました。
「本当に申し訳ありませんでしたって、何回言ったっけ」
「十回あたりで数えるのをやめました」
「奇遇ね、私もよ」
ビオラとアリアは城の寝室でぐったりとしていました。窓の外を見ると、城の入り口に国民がごった返していました。どうやらビオラの演奏会の順番待ちのようです。
「ご苦労なことね」
「ねえ姫様」
「なによアリア」
「ポタさんに会えたらしいですね」
ビオラは何も言わず、ただばしばしと顔をトマトのように真っ赤にして、アリアの背中をたたきました。
「痛いです、痛いです! 嬉しかったのはわかりましたから!」
「でもね、アリア、きいてほしいの」
ビオラはあらかたポタの事情を話しました。
「なるほど」
「もうさ、こんなもんなのかなあって」
「姫様は、それでいいんですか?」
いつもビオラの言葉に対して肯定的なことしか言わないアリアが、珍しく意見をしました。
「どういうことよ」
「いつもしぶとい姫様です。姫様なりの戦い方、納得の仕方があるんじゃないですか?」
ビオラは考え込みました。いいえ、もう答えは出ているのです。強引かもしれないけれど、一つの結論が、ビオラの目の前にぷらぷらと垂らされているのです。あとはそれをつかむだけなのです。
「……なるほど」
「姫様?」
ビオラはバイオリンを持ち、部屋のドアの前に立ちました。
「どんな答えでも受け止めてくれる?」
「はい、私はあなたのメイドです」
「そうね」
ビオラはドアを見上げました。目を閉じ、鼻で大きく息を吸い、口で吐きました。肺の中の空気をすべて交換し、頭をすっきりさせてから、ビオラは言いました。
「とりあえず、弾いてくるわ」
「はい、いってらっしゃい、ビオラ」
「呼び捨てなんて、無礼ねアリア」
「たまにはいいじゃないですか」
ビオラはくすくすと笑い、アリアのほうへと歩き、手を伸ばしました。
「いろいろありがとうね」
「はい、ビオラ」
二人は固く握手を交わしました。
演奏会の時間にはまだ早いですが、ビオラは舞台へと歩き始めました。
一時間後、バイオリンの音色が城中に響き渡りました、庭園の小鳥までもが鳴きやみ、その音に聞き入っていたとのちに言われるほどの演奏でした。静かに、それでいて力強く、会場に入っていたお客さんの心を、ビオラは鷲掴みにしました。そこには大きくて、温かくて、やさしいなにかがたしかにあって、それを受け止めたお客さんは、静かに涙を流していました。
ビオラはただただ無心に弾き続けました。今まで持っていたしがらみや思いをすべて忘れ、バイオリンと一体になり、音を楽しむことだけが、今のビオラのすべてでした。
演奏会は大成功に終わりました。過去最高のバイオリンだったという声も上がっていました。今までにきいたことのない拍手を、ステージ上のビオラは受けていました。体は震え、鳥肌が立っています。その時間はあっという間のようでした。あまりにも現実感がなく、まるで夢でも見ているようでした。