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ノリピーとヤッちゃん

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 それがプンプンとか言って主張していた怒りと比べて、遥かに深いところにある怒りだということを安帆の頭も奇跡的に理解した。
「なんでえ!?ノ、ノリピーってそんなにあたしといるのイヤだったの?」
「そんなわけないじゃない」
「だったらなんで!あたしがノリピーに頼りっきりだから!?」
「それがヤッちゃんだものね」
「泣き虫だから!?」
「かわいくて好きだよ」
「分かんない!」
「プリン食べたら?もうぬるくなってると思うけど」
 気が進まない様子だったが、考え続けながらもフィルムを開けて安帆はプラスチックの小さなスプーンを中へ突っ込む。
「えっちょっと待ってほんとに分かんない、いつから怒ってるの?」
「うーん。ついさっきかな」
 それから安帆は黙ってプリンを食べることにして、法子はその様子を笑顔で見ていたが、安帆にはプリンの味も法子の怒りの理由も分からず伝う首筋を汗を拭うことも出来なかった。
 安帆の脳は普段使わない容量まで達したのか、考え過ぎていつしか知恵熱が出ていた。そんなことも安帆には分からず、ただ「あっ、あつい」と呟く。
 あと、法子の笑顔の圧力からも逃れたかった。
「ノリピーごめん、あたし、お風呂入ってもうちょっと冷静になってこよっかなって」
「そっか。行ってらっしゃい」
 そんな安帆を法子は手を振って見送った。

 随分な懐かれようであると、法子はこの状況を評価する。
 昨晩法子が無理やりひっつめた、染めたのはいつなのだろうかと推し量ることも難しいまだらの金髪を、振り乱してほぐす安帆の後ろ姿を壁に背を付いて見つめる。一糸纏わぬ背筋は骨が浮き出していてみすぼらしく思えるが、筋肉が動く様が美しかった。
 死んでいたらこうは行かない。この美しさは安帆が生きているからこそ有り得るのだ。
 法子と安帆が出会ったのは、つい7日前の今と同じ明け方の時刻だった。それがまるで十年来の親友のように慕って来る安帆のことに、法子の方も、らしくもなく世話を焼いてやっている。生まれてこの方、動物の世話すらした経験がなかった法子であったが。
 安帆を生かすようにと誰に頼まれたわけでもないがそうした。冗談でも誇張でもなく、法子がいなければきっと安帆は死んでしまうだろうと想像する。
 出会った朝の死への恐怖だけが爛々と光っていた女の瞳を考えると、法子の胸には今までに感じたためしがないような、不可思議としか言いようがないような思いが宿るのであった。

 法子にとっては今も新鮮みの抜けきらない狭い六畳間を見渡しているところへと、おもむろに全裸の安帆が恥ずかしげもなく飛び出して来た。
「水しか出ないよ!」
「ガスが止まっているよって、昨日も話したじゃない」
「そうだった…ノリピー覚えてたんなら教えてよー」
「頭が冷えて良いかな、って」
 笑顔で答える法子に対して、全裸の安帆が固まった。ええと、うーんと、などという唸り声を出しながら上目遣いで視線を合わせて来る。
「まだ怒ってる?」
 そう聞かれて法子は考えた。それからええと、うーんと、と、安帆と同じような唸り声を出してみる。
「怒ってないかも」
 そんな自分自身を不思議そうに、首を傾げる。
 今度は安帆が満面に笑みを浮かべてみせた。泣き顔も不満顔も、この7日間で見飽きるほどに見た気がしていたが、一番見ているのがこの表情だったと法子は思う。
 見飽きただろうか。そんなことを考えても法子には判断が付かなかったため、笑い返す表情もどこか精彩に欠けたものとなった。
「お風呂もうちょっとガマンできる?銀行が開く時間まで…」
「べつにあたしは水風呂でいいけど」
 安帆が昨夜稼いで来た金で、ガス代を払おうと提案しかけた法子の言葉は遮られた。
 黒目の大きな丸い目で安帆が法子を見ている。強がりでなく、真実を言っていると人に思わせるような瞳だった。
「ノリピーお風呂入ってないっしょ?ほらこの辺って、郵便局の向こうにスーパー銭湯あるから、そこに一緒に行こう」
「わたし、水風呂でもいいよ」
「カゼひいちゃうよ。そりゃあたしはビンボーだしこんな生活慣れてるけどさ、ノリピーがムリしてあたしに合わせる必要ないよ」
 これずっと言おうと思ってたのと、安帆はこぼした。
 法子は諸々の考えや不可思議な気持ちと同じく、自分がいつまでこの女と共に過ごすのかという問題についてもひとまず保留にしておくことを決意した。
「そう…。うん、じゃあそうしよう。じゃあね、ヤッちゃん、一つお願いがあるの」
「なになに?なんでもどーぞ!」
「早く服、着てくれないかな」
 全裸の安帆を見ている法子の頬が、少しだけ赤らんでいた。