森に棲む男
「太陽の力がつよくなりすぎて、地上で生活できない。彼らはすでに地下世界での生活をはじめてる」
「おれは地上で生活してるぜ」
「きみやフランクはいわば突然変異だ。FQ107Pの影響を受けなかった。生まれつき抗体があるのかもしれない」
おれは顔をしかめた。
「おれたちを捕まえて、人体実験しようってのか」
「きみたちは森に入った彼らを襲ってる」
「奴らが襲ってきたんだ」
「見たこともない姿かたちの生きものが突然現れたら、防衛しようとするのは当然だろ」
「見たこともないだって?」
おれは起き上がり、ノアに向かって指を立てて見せた。
「奴らだって、元はおれとおなじかたちをしてたんだ。だからおまえをつくったんだろ」
電子コードが剥き出しになった腕をつかむ。ノアは鼻梁に皺を刻みこんだ。痛みを感じるのか、それとも、おれに真実を話すことを躊躇っているのか、どちらにしても、機械の表情だとは思えなかった。
「本物のノアはどこだ」
腕をつかむ手に力をこめて、おれは詰問した。
「見た目も表情も、記憶まで、おまえはノアそのものだ。コピーには原本がいるはずだ。あいつは生きてる。そうだろ?」
「知らない。生きてたとしても、感染前の記憶はないんだ。でなきゃ、彼を見つけるのに十五年もかかってないよ」
ノアはいたって事務的に説明した。
「その話はあとにしよう。今は逃げなきゃ」
「奴らにここの場所を教えたのか」
ノアは黙っている。おれはため息をついた。
「どうしておれに逃げろなんていうんだ。おまえはおれを捕まえるためにきたんだろ」
返事はない。おれはワインを取り上げ、ボトルから直接飲んだ。どれだけ飲んでも酔いは訪れなかった。
「どうでもいいさ。おれたちは化けものなんだ。いなくなったところで、だれも困らない」
「そんなことない」
今度はノアがおれの手をつかんだ。その指から熱いものが溢れ、おれの全身を駆け巡り、心臓の鼓動を高めた。
「きみに生きていてほしいんだ」
「……機械がなんでそんなことを」
「わからない。でも……ノアなら、きっとそういうと思う」
ボトルを置いてノアを見た。ノアのかたちをした精密機械。新しい世界はすでにはじまっているのだ。おれたちは取り残され、惨めに山に篭もっているしかない。
細い腕のなかに並ぶコードとチップのようなものを見下ろした。フランクの話が事実ではないかと思っていた。しかし、そんなことよりも、ノアを失うほうが恐ろしかった。たとえまがいものでも、ノアはこうして目の前に存在しているのだ。
「先に行ってろ」
おれはノアを押しのけ、立ち上がった。
「ローランド……」
「早く行け。おれもすぐ後を追うから」
いいかけたときだった。猛烈な破壊音と煙が上がり、家の半分が削ぎ落とされた。
「ローランド!」
「逃げろ、ノア!」
叫ぶのと同時に、走った。棚にしがみつき、一気に押し開く。
シェルターのドアを開け、階段を駆け下りた。フランクは縛られたままベッドに座っていた。
「今の音は?」
「奴らがきた」
「くそっ、だからいわんこっちゃない」
おれはフランクの手首を拘束していたロープを解き、彼を助け起こした。背後ではあの不気味な機械音と家具が破壊される音が絡みあって響いていた。
「銃をくれ」
丸腰では逃げることもできない。おれはフランクを殴ったが、この状況で復讐される心配もないだろう。躊躇することなく、ブーツに挟んでいた小型銃を渡した。しかし、フランクは立ち上がらなかった。
「なにしてるんだ。早く……」
振り向いて、硬直した。自分の犯したミスに気づき、立ち尽くした。
フランクは自由になった手で銃を構え、銃口を自分のこめかみに圧しあてていた。
「もう逃げられない」
「おい、よせ。落ち着くんだ」
「奴らに捕まってモルモットにされるのはごめんだ」
吐き棄てるようにいって、フランクは微笑んだ。
「ケイトが待ってる」
「フランク!」
銃声。フランクの体はゆっくりと傾き、床に崩れ落ちた。命が消えているのはあきらかだった。
呆然としているおれの背中に、針のようなものが突き刺さった。おれを呼ぶノアの声を遠くに聞きながら、おれはフランクの死体の横に突っ伏した。
頭が重い。体が動かない。瞼を開けると、数匹の“クランケ”が顔を覗きこんできた。
いや、今の立場を考えれば、“患者”と呼ばれるべきはおれのほうか。自虐的に考えながら、奴らの顔をにらみつけた。
剥き出しの脳を半透明の膜が覆い、手足は細く、全身に黄土色の鱗のようなものがまとわりついている。眼窩は空洞になっていて、代わりに発達した巨大な鼻が顔の半分を占めている。顎の下に垂れ下がった細長い髭のような部分は触覚のような役割を担っているらしく、触手のように伸びておれの首や頭を這いまわった。
不快さに思わず顔を背ける。触手の肌触りもさることながら、奴らの姿かたちはあまりにも醜く、正視に耐えなかった。こいつらが新しい人間として地球を支配していくのだとしたら、それは悪夢以外のなにものでもない。
強力な光をあてられ、眩しさに目を細めた。白い視界の向こう側で、ガラスを擦るような音が飛び交った。新人類がつかう言葉。もちろん、おれには意味を理解することができない。
身を捩ったが、硬い鉄のようなものに両手足を拘束されていて、身動きできない。暴れるおれをよそに、“クランケ”たちは頷きあい、滑るような動きで部屋を出て行った。
目の奥が痛むほど白い部屋のなかに、おれはひとり残された。実験室のようで、おれが括りつけられた台を囲むようにして、見たこともない機械が所狭しと並んでいる。あのアンドロイドがいったことのすべてを信じるわけではないが、すくなくとも、奴らの持つ文明が優れていることだけは確からしい。
頭も固定されていたが、眼球を上下左右に動かして、周囲の様子をさぐった。どうやら実験室のような場所らしい。おれは奴らの手によって解剖され標本にされてしまうわけだ。
フランクの選択は正しかった。実験の材料にされるぐらいなら、自殺したほうがはるかにましだった。後悔の念に苛まれながらも、おれは必死にもがいた。
やがて、再び扉がひらいた。奴らのうちのひとりがぬっと顔を出し、床を滑るようにちかづいてきた。おれのそばに立ち、首を傾げるようにして顔を覗きこんでくる。触れあいそうな距離にまでちかづくと、悪臭がした。
吐き気をこらえ、口のなかに溜まった唾を“クランケ”に向かって吐いた。顔に唾を吐きかけられ、相手は一瞬怯んだ。
おれは無言で新人類とやらをにらみつけた。怒鳴ってやったところで、どうせ意味などわからない。
おれの敵意を察したのか、相手は静かに離れた。細長い触手の先をつかって機械を操作する。
とたんに、頭や手足を拘束していた器具がはずれた。突然自由になって戸惑ったが、体のほうが先に動いた。
振り向いた“クランケ”を突き飛ばし、台から飛び降りた。“クランケ”の体は意外に軽く、壁に激突して転がった。
牽制している余裕はなかった。裸足のまま部屋を横切り、扉に飛びついた。力まかせにこじ開けようとしたが、取っ手ひとつない扉はびくともしなかった。
「くそっ!」