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言の寺 其の弐

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不完全な物語



 拍手を得て、男は会釈を返した。男はギターを肩に掛け、車椅子に座っている。たった今演奏を終え、何事をも成し得なかったような虚無的視線を、何処に落ち着かせることもなく、点在する雲を探るように、雨上がり、色の濃い青空に向け、動かせていた。若い男だった。青年と言うのだろう。
 駅裏の路上、不気味にヒビの入った電柱の傍、誰が何時吐いたとも分からぬゲロが、車椅子の車輪のしたで、フラクタルを形成している。その形成フラクタルが、「何もこんなところで歌わなくとも……」という、通行人の感想に、裏付けを与えてしまっていた。まぁ、その通行人というのも、チラチホラリと数人が通っただけのことで――

 パチパチ

 拍手の鳴らし手、立ち止まってギターの弾き語りを拝聴していた物好きな男、サラリーマン風のコスチューム、営業的なことをしている風情、黒い鞄は革、傘も黒、電柱横の小さなゲロさえも、溶かすこともできなかった間に間にの通り雨を、律儀に受け止めていた傘、ビニールを滑らす滴りを、同じく黒く傘の色に染めて、アスファルトにポトリ、それを合図に、車椅子の青男が話しかけてくる。

「どうして拍手したのですか?」

 不可解な問いかけであり、ムッとした言い様。青年の車椅子、そのゴムタイヤが、芋的な虫のように、前後小刻みに脈って、キシキシと機械音を立てる。そのトータルに、サラリーマン風は、少驚して眼を方眇(かたすがめ)にして、問に応う。

「どうしてって……君の歌が素晴らしかったからだよ」

 サラリーマン風は、臆面もなくそう言った。本心かどうかは分からない。ひょっとしたら、慣習に流されて、うかうかと「拍手をしてしまった」ことに対する、ただの言い訳かも分かりはせぬ――少なくとも、車椅子ギター青年は、そう受け取ったようで――

「素晴らしい?僕の欺瞞に満ちた歌が素晴らしい?……ハッ」

 小馬鹿にしたように笑った。さすがにサラリーマン風もこれには苛立った。

「君は……どういうつもりで歌を歌っていたんだ?自分の歌を少なからず自己評価して、誰かに聞いてもらいたいと思っているからだろ?だからこそ、こんな往来で歌っているのだろ?」

「違います」

 青年は即答した。

「こんな寂れた場所、きっと誰も通るまいと思ったから、『こんな往来』を選んで歌っていたんです。誰にも聞かれたくはなかった……ただ雨上がりの空が、あまりにも青空だったから、ついついその下に歌を存在させてみたくなっただけのことです……歌を聞かれたことは……まぁ仕方ないです。しかし、拍手されたことが、僕には許せません。僕の歌を、あなたに評価されるいわれがありません……僕の歌は、僕のものです。それを『素晴らしい』とか、『素晴らしくない』とか……まぁ思うことは勝手ですが、拍手というような、お手軽な意思表示で、軽々しく表現しないでください。それだけです」

 青年のことを男は煩わしく感じた。立ち去ろうと思った。目の前の青年のことを、「ただの世間知らずで無礼な子供」という括りで、片付けてしまおうとよっぽど思った。しかし、青年の歌っていた先ほどのメロディーが、男の耳穴に未だ残っていて、そのメロディーに付随しているメッセージを、男の脳に向けてリフレインさせていたため、男は自分の衝動に従って、その場を去ることができなかった。

「『欺瞞に満ちた歌』だと……さっき君は言ったね?」

「ええ」

「僕にはそうは聞こえなかったよ。本当に素晴らしい歌だった。君のその不自由な足の上に置かれたギターが弾く音色、そして君の歌声……もう一度言わせてもらうが……『素晴らしかった』よ」

「……不自由な足ですか……ギターを弾き、歌を歌うことに関して、足の不自由さは関係ありませんよ」

「それは……確かにそうだが……」

「ハンディキャップではないです。少なくとも歌うことに関してはね」

「……」

「『足が不自由なのに上手に歌えるなぁ』と、あなたは思ったのですか?」

「……違う」

「僕が車椅子に乗っていなかったならば、あなたは立ち止まって僕の歌を聞いたりしなかったのではないですか?」

「……どうだか」

「正直に」

「……かもしれない……な」

「ギターの弦って何本あるかご存じですか?」

「知らない」

「一般的には6本です」

「そうなの」

「でも僕は3弦のギターを使っています」

「……」

「普通より3本、弦が少ないですが、それをハンディキャプと感じたことはありません。僕はこのギターが好きですから」

「何が言いたい?」

「何も……ただ……そうだな。もう一度、歌を聞いてください」

「……どうぞ」


*****

新品のケータイ買ったらまず何をする?



「僕はそれを地面に落っことす」

地面に直撃したケータイは
ランダムに跳ねて傷が付く

それは
世界に二つとない傷のカタチ

ケータイは唯一無二のオリジナリティを得て
晴れて僕の所有物となった

傷があるということは
オリジナルであるということ

その人の負っている傷が
その人の存在を証明しているんだ

それが生の証なんだ

生きているということは
傷を負っているということ

僕は君の傷を見て
小さな心に広がっている
大きな大きな裂傷を見て
燃えるような愛を感じたよ

それが実は……
僕が付けてしまった傷なのだとは……
夢に思うことすらなくって……



完璧な人などいない
もしいたとしたならばその人は

「傷を負ってないという一点に於いて、人として不完全な存在だな」

これはただの言い訳かもしれないけれど…・

君の不完全さを
「僕は抱きしめたいんだ」

*****

 雨上がりだったはずの青空が、再び灰色に染まりだした。通り雨が、戻ってくる予感。何か忘れ物でも取りに帰っていただけだったのか……

 パチ……パチ

 遠慮しがちに、それでもそうせずにはいられないといったテンポで、サラリーマン風が、拍手をした。
 青年は、もうムッとしたりせずに、サラリーマンの拍手に対して、曇り空を背景に、そこだけ小さな青空であるかのような、屈託のない笑顔を浮かべた。青年が少年のように錯覚された。

「では、サヨウナラです」

 青年は、ギターをケースに収めると、おもむろ立ち上がる。車椅子の後ろに回り、ゆっくりと押し歩きだした。

 ゴムのタイヤが、ゲロを踏み、嘲笑うようにして、雑踏といえる駅の方面に消えていった。

 サラリーマン風は、苦笑いして、反対方向に歩いて行く。

 雨が……
作品名:言の寺 其の弐 作家名:或虎