小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

gift

INDEX|1ページ/2ページ|

次のページ
 
 私は猫だ。ご主人には、猫だからネコと呼ばれている。私がご主人をヒトと呼ばないのは、寝床と食事を提供してくれることへのささやかな感謝のようなものだ。しかし、ノラの頃の方がましな名前であった猫もそうそういないだろう。
 話は変わるが、人間は人間の生活を猫に押しつけ過ぎやしないか。足もつかぬ湯船に浸からされて私の気分は最悪だ。我々の体は水中で動くように作られてはいない。それは人間も同じであるはずなのに、どうして風呂を好むのだろう。
 ご主人は今、私と入れ替わりで湯に浸かって鼻歌を歌っている。温まりたいのなら世紀の大発明、こたつで丸まれば十分ではないのか。
 私はご主人に乱暴に拭かれた体でこたつのある部屋へ向かった。ご主人は、一人にしては広い家で暮らしており、ずっと戸が閉められたまま使われていない部屋がいくつかあった。しかも、仕事から帰ってきたときは、すぐにこたつに転がり込んで寝るだけの生活だ。こうしてゆっくり風呂に入っている姿を見ると、猫の身ながら安心する。そしてこの気ままな体に生まれたことに心から感謝するのだ。
「ネコー」
 噂をすればご主人の登場だ。風呂上がりなので灰色でだぼだぼした服を着て、頭にタオルを被っている。えらくごきげんだ。その笑顔を見ていると、先ほどの仕打ちを許してもいいかという気になってしまう。
 ご主人はこたつ布団をめくり、私をのぞき込んでにやりと笑った。
 私はやれやれという顔をしながら、しかし嫌々ではなくこたつから身を出した。それは、もう一つ、私の機嫌が良くなる理由があったからだ。
「今日は寒いからな、よーく温まってきたぞ!」
 それは、私を風呂に突っ込んだ日に必ず行われる彼の趣味だ。
 ご主人は私をひょいと抱き上げ、洗濯物干し場へと続く引き戸を開けた。
 途端、我先にと室内に流れ込んでくる冷気にはっとした。人間の家で甘やかされたせいで四季の匂いに鈍感になってしまったが、そんな私でもすぐにわかるほどに冬が近づいてきている。
 一方、ご主人は風呂の力だろうか、寒さにも動じずほくほくとしていた。屋根の下から一歩前に出たところでどっかりとあぐらをかき、私を膝の上に乗せた。
「ほおら、お前も見てみろ」
 私が好きなのはこの瞬間だ。私の背丈がいくつあっても足りない、高い高い空に浮かぶ星たち。それが一斉に私の目に飛び込んでくる瞬間。光の粒ひとつひとつがくすぐったい。
「寒い日の方がきれいに見えるよな、やっぱり」
 ご主人の瞳は夜色のガラスのように星空を映していた。
 冬は儚い季節だ。息をするごとに白く霞む空気は、見つめているうちに消えてしまう。しかし、いや、だからこそこの時季の空の透明さには目を見張るものがある。
「とてもきれいです」
「ん、寒いか? お前は毛皮を着ているのに、贅沢だなあ」
 ご主人の腕が私の体に巻き付いた。
 人間は我々の言葉を理解しない。これだけの文明をもちながら猫の言葉ひとつ聞き取れないとは、人間とはつくづくちぐはぐな生き物だ。だが、通じないとわかっていても会話をしてしまうのが動物の性。食事が欲しいとき、機嫌の良いとき悪いとき、興奮したとき。ご主人がいつもより饒舌なのもそういうことだろう。私をぎゅっと締め付ける彼の腕が証明している。まあ、少し寒かったことだし、良しとしよう。
「ネコよ、お前は星を見て何を思うんだ?」
 ……何を、何をだろう。生憎我々は人間のように高次な感情は持ち合わせていない。人間を観察している私が思うに、人間は記憶し、それを関係のない場所で再生する能力が高いようだ。きっとご主人もこの満天の星空に重ねて何かを見ているのだろう。
 残念ながら、我々は同胞とご主人の顔を記憶するので精一杯だ。彼らでさえも、長い間会わなければすぐに忘れてしまう。いないものをさもあるように思うなんて、高尚な能力だ。
「お前、最近抜け毛がひどいなあ。早く冬毛になって俺を温めてくれ」
 返事をしない私をよそに、ご主人が乱暴に私をなでまわした。たまに皮膚を掻いてくれるのが、毛の生え替わり時期の私としては嬉しい。
 私があごの下を伸ばしてご主人の愛撫を受けていると、薄目の間で煌めきが走った気がした。驚いて目を見開くと、ひとつ、ひとつと星が生まれては走って消えていくのが見えた。瞬きをする間にもいくつも星が流れていく。
「ご主人! なんなのですかこれは!」
 私の声に弾かれたように、ご主人も空を見上げた。
 直後、ご主人も石像のように固まる。夜空を縦横無尽に駆け回る星たちが、すっかり動かなくなった私たちを笑っているようだ。
「ご主人、ご主人! これは地面に落ちているのですか? そうだとすれば逃げなければ!」
 我に返った私の騒ぎっぷりを、ご主人が静かな目で見つめた。その表情は慈愛に満ちたようで穏やかな、とにかく一瞬で私が安心を悟る表情であった。
 どこかでこの表情を見たことがあるな、と思った。小さな脳みその端っこに残っていた半透明の記憶。ノラの飢えた私に、ミルクを恵んでくれたときの表情だ。
「大丈夫。あれは流れ星っていって、小さな石が地球に着く前に燃え尽きてしまうんだ。心配ない」
 先ほどとは違う柔らかな手のひらが私の頭を包んだ。
「安心なのですね?」
「そうだ」
 私は改めて空を見上げた。恐れるものではないと分かって見てみれば、なんと神秘的な光景だろう。ある種の切なささえ胸にこみ上げてくる。
「なあ、ネコ。……これ、いつの間にか名前みたいになっちまったなあ」
 ご主人は、ネコ、ネコ、と譫言のように何度か呟いて、膝の上にいる私を少しきつく抱きしめた。
「まことに不本意なことですが」
 私が一声鳴くと、またぎゅうと体を締めつけられた。寝間着の奥に小さな温もりを感じて、人間はその体温すらも隠して生きているのだな、とふと思った。
 ご主人はいつになく静かだった。今まで何度か一緒に星を見たが、今日のようにぼそぼそと話すご主人を見たのは初めてだ。冬の空気のせいだろうか。
「意味ねえや、ほんと」
 そう言ってご主人はカラッと笑った。私はその言葉の意味が理解できず、ただ黙っていた。
「前にも見たことがあるんだよ、流星群。今日がそうだってのは忘れてたんだけどな。……久しぶりに見たけど、やっぱきれいだわ」
 ご主人は白い息をたっぷりこぼした。
「あいつとあいつは同じ星から来たのかな。兄弟か親子か、恋人か。どうあれ最後はバラバラなんて、世知辛いもんだ」
 ご主人が感傷に浸っている間にも、星はいくつもいくつも空に落ちている。屋根や手すりに切り取られた小さな空が、それぞれ一つの宇宙のように輝いていた。
 私に言わせれば人間は贅沢だ。我々より遥かに長く生きられるくせに生に拘り、周りを壊してまで群れで住まおうとする。私は何度仲間を失ったことか。何度死を覚悟したか。道でぺしゃんこになっている我々に比べれば、こんな風にきらきらと死んでゆける星は幸せ者だろう。
 私が心の中で文句を垂れていると、額にぽつぽつと雨が降ってきた。空は雲一つないというのに、星が別れを惜しんで泣いているとでもいうのか。
「ネコ、そろそろ戻るか。冷えたろ」
作品名:gift 作家名:さと