名も無き誘拐事件
<br>「借金の返済期限? まだ一週間先だろ。ってかなんだ2950万って。俺が借りたのは2000万だぞ」
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<br>「借金には必ず利息というものが付きます」
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<br>「はぁ!? そんないくらなんでもそれは暴利だろ」
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<br>「あなたは、無意識のうちに幾多の生命を蹂躙しながら、それでいて生きているあいだのこんな些細な約束すら守れないんですか」
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<br>タコ糸程度だった目が鋭角を増し、こちらを睨んでくる。
<br>やはりこう対峙するとこういった人間は凄みが出てくる。
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<br>「暴利暴利と仰いますがね、こちらもこれが商売ですから。それとも、2000万なら何とか返せる見通しでもあったんですか?」
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<br>言葉につまる。2000万もの借金の返済の目処は一向に立っていない。そもそも今日明日を生き抜く目処すら立っていない。そんな自分に2000万もの大金をポンと用意できないことぐらいこいつは知っているはずだ。
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<br>「ねぇよ。だからこうやって寒空の下、わざわざ身投げでもしようとしたんじゃねえか」
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<br>「おっと、早まらないでください。私は何もあなたに死ねと言いに来たんではありません」
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<br>「ん、じゃあ一体・・・」
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<br>「あなたは死にたい、私はお金を返して欲しい、この双方の要求を叶えるグッドアイディアがあります」
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<br>「グッドアイディア?」
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<br>奴は爬虫類のように体温を持たぬ笑みを浮かべた。
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<br>「臓器ですよ臓器。今、臓器が不足しておりましてね、特に肝臓はかなりの高値で売れるんですよ。それこそ一個売るだけであなたの借金がチャラになるくらい。それに腎臓も付ければおつりが帰ってくる」
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<br>「な・・・」
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<br>「簡単でしょう。あなたは死にたい、私はお金が欲しい。ほら両方ハッピー。大丈夫、腕の良い医者を用意しますから」
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<br>そんな彼の顔は悪魔そのものだった。
<br>口は三日月のように裂けて、そのどす黒い顔に浮いていた。
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<br>臓器・・・
<br>肝臓・・・
<br>腎臓・・・
<br>死ぬ・・・
<br>死ぬ・・・
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<br>シヌ・・・・・・
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<br>その言葉が以上に残酷に思えた。
<br>経った今まで自分がしようとしていたことと、引き起こされる事象は同じだ。即ち「播戸良介」の死である。
<br>橋から身投げをしようが、臓器を売ろうが、引き起こされる結果は一緒。なのに、どうしてこうも残酷に響きに聞こえてくるのだろう。
<br>それがただ「自分の意志で死ぬ」か「相手の意図で死ぬ」かの違いだけだ。
<br>たったその違いだけで、なんでここまで恐怖心が湧き上がってくるのだろう。
<br>今の今まで「死のうとしていた」人間がとる行動ではない。もはや一貫性がない。
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<br>嫌だ
<br>殺されたくない
<br>嫌だ
<br>嫌だ
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<br>俺は立ち上がり、一目散にその場から逃げようとした。しかし足が覚束無い、力が入らなく2,3回もたついて転びそうになった。
<br>無様だ。
<br>自分でもそう思った。
<br>見ている人間からしたら、もっと無様だっただろう。
<br>それでも構わなかった。
<br>死にたくない、ただその一心が俺を動かした。
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<br>「期限は一週間後です。良い返事を期待してますよ」
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<br>背中からそんなおちゃらけた声が聞こえた。