笑いたけのゴーストダンス
「学校はどうだ」
「まあまあ」
どういっていいのかわからないから、ぼくはとりあえずそう答えておいた。
父さんと母さんが離婚したのが、三年前。なぜ別れたのかぼくは聞いたことがない。大人には大人の事情があるんだろう。ぼくは口をはさまないようにしている。
だけど、それから月に一度、延々とぼくと父さんは会いつづけることになった。
このつきに一度の感動的な親子の対面ってやつ。ぼくはおおいに疑問だった。
もとから無口な父さんと話すことは、もうあまりない。こうして会って、黙って公園のベンチに座って、池をながめる。そこになんの意味があるんだろう。
ぼくは父さんの横顔をそっと見た。
父さんは少し疲れているみたいだ。
目の前で魚がはねた。
「もう行くか」
父さんがベンチから立ち上がった。
こうして月に一度の儀式は、終わりを告げるのだ。
「小学生連続失踪事件は、今月に入って一五〇件を超えました」
テレビではニュースが流れている。
「某国による拉致であるとも、現代のハーメルンの笛吹きであるともささやかれていますが、今夜はこの事件の特集です」
この事件のことはぼくも知っていた。知っているどころか、クラスではこの話題でもちきりだった。いろいろな噂がまことしやかにささやかれた。
「いつも一人でいるやつが、ねらわれるんだって」
「違うよ。あまり話さないやつさ」
「ゲームおたくが危ないらしいよ」
「じゃあ、つぎはおまえだ」
「こえ~」
さいわい、ぼくの学校では、まだいなくなった子どもはいない。
「怖いわあ」
母さんがリビングに入ってきた。ウクレレ教室から帰ってきたのだ。
料理教室に英会話レッスン。岩盤浴にエアロビクス。
母さんはいつもいそがしい。いつも明るい。いつも人生をエンジョイしてる。
しょんぼりした父さんより、ずっとマシだけど・・・ぼくはどこかついていけない。
「ノボル。知らない人についてっちゃダメ」
そんなことわかっている。ぼくは幼稚園生じゃない。
母さんは、ぼくと父さんが今日なにをしてきたのか、たずねなかった。それが取り決めのようになっている。だけど、たとえたずねられても、話すことなんてなにもないのだ。
テレビでは、まだあの番組が流れている。
「あとになってわかったことですが、一五〇人の失踪した子どもたちの中には、親から虐待を受けていたという証言もあり、警察では事件との関連性を調べています」
一五〇人。少なくない数だ。
それでもぼくは、それを遠い出来事のように感じていた。
その日までは・・・。
「竹尾がやられた」
このニュースは、その日のうちに、さざなみのように全校中にひろまっていった。
「竹尾がいなくなったんだって」
「あいつ、ただでさえ影うすかったからなあ」
「学校へ行くといって、うちを出て、そのままだって」
「それ、いつのこと」
「おとつい」
竹尾くんとぼくは、二年前に同じクラスだった。竹尾くんは物静かな子で、休み時間でも友だちの輪には加わらず、一人で本を読んでいた。
ぼくと竹尾くんは、一度だけいっしょに帰ったことがある。
「竹尾くん!」
一度も話したことのない竹尾くんに声をかけたのは、うつむいて歩く竹尾くんの後姿が、あまりにも寂しそうだったからかもしれない。
竹尾くんは、ぽつりぽつりとしか話さなかったけれど、それでも竹尾くんちの暮らし向きは、だいたいわかった。
それに、ぼくと竹尾くんには意外な共通点があった。
ふたりとも、両親が離婚していたことだ。竹尾くんは、お父さんといっしょに住んでいた。
「父さんとは気があわないんだ」
竹尾くんはうつむいた。
「お酒を飲むと、泣きながら、ぼくをなぐったり、けったりするんだよ。きっとぼくが気に入らないんだろうけど、どうして泣くんだろう? 大人ってわからないね」
竹尾くんは笑った。
やがて、竹尾くんとはクラスがべつべつになり、それきりになってしまったけれど、はにかむような竹尾くんの笑顔を、ぼくはよくおぼえている。
また、父さんと会う日がやってきた。
公園のいつものベンチで、ぼくは父さんを待った。まもなく父さんはやってくるはずだ。
目の前では、五人の人たちがストリートダンスを踊っている。ぼくは、ぼんやりとそれをながめた。
「ノボル」
いつのまにか、父さんがそばに立っていた。
「ノボルは、ゴーストダンスって知ってるかい?」
「ゴーストダンス?」
初めて聞く言葉だった。
「インディアンのことはノボルも知っているだろう?」
「アメリカに、もともと住んでいた人たちのことだね」
「そうだ。そして、インディアンたちは、あとからアメリカにやってきた白人たちから、徹底的に弾圧を受けた。無理やりほかの土地に住まわされ、それにしたがわない者は殺された」
父さんがぼくのとなりにすわった。父さんはどうしてこんな話を始めたんだろう。
「やがて、インディアンたちの間に、おかしな話が信じられるようになった」
「おかしな話?」
「ゴーストシャツという奇妙な服を着て、男女が輪になってぐるぐる回りながらおどるんだ。死者の歌を歌いながらね。そうすればゴーストシャツは白人たちの銃弾をはじき返し、バッファローが群れをなす大草原がもどってくる。インディアンたちは本気でそう信じたんだ」
今日の父さんはよくしゃべった。
「馬鹿げた話だよ。そんなことが起こるはずもない」
「そうだね」
「だけど、インディアンは本気でそう信じたんだ。きっとそこまで追い詰められていたんだろう」
父さんは、この話から何かをぼくに伝えたかったのかもしれない。
「いくら踊ってもバッファローが群れをなす大草原はもどってこない。銃弾をはじき返すような奇跡も起こらない。取り戻せないことってあるんだよ」
父さんは寂しそうに笑った。
父さんと会った帰り道。同じクラスの庄司くんとたまたま出会った。
桐が森のすぐ近くだった。ほかの森が宅地造成で切り払われてしまっても、この森だけは手つかずのまま残っている。
ぼくたちは、少し立ち話をした。
話題はもちろんあの話だ。
「いなくなっているのは、小学生だけじゃないらしいぜ」
庄司くんは言った。
「中学生や高校生。なかには幼稚園や保育園の子もいるんだって」
「へえ」
「なあ、ノボルは知ってるか? 変なうわさ」
「変なうわさ?」
「いなくなったやつらのことさ。いなくなるにはなるんだけど、そのあと、そいつらを見た人もいるんだって」
「まさか」
「親しかった人の前にあらわれるんだけど、声をかけると、スーッと消えうせるんだって」
庄司くんは大きな体をふるわせた。
「だけどそれも、最初の一、二ヶ月さ。その後はまったくの行方知れずなんだって」
「怪談だね」
「都市伝説ってやつ。おたがいに気をつけような」
「いったいなにに気をつけたらいいんだよ」
「ま、それもそうだな。じゃあな」
ぼくらは手をふってわかれた。
ゴーストダンス。日本語にすれば、幽霊おどり。
父さんはあの話からなにをぼくに伝えたかったんだろう?
考えながら、ぼくは歩いた。
父さんはなにが取り戻せないと思っているんだろう?
わからなかった。
「まあまあ」
どういっていいのかわからないから、ぼくはとりあえずそう答えておいた。
父さんと母さんが離婚したのが、三年前。なぜ別れたのかぼくは聞いたことがない。大人には大人の事情があるんだろう。ぼくは口をはさまないようにしている。
だけど、それから月に一度、延々とぼくと父さんは会いつづけることになった。
このつきに一度の感動的な親子の対面ってやつ。ぼくはおおいに疑問だった。
もとから無口な父さんと話すことは、もうあまりない。こうして会って、黙って公園のベンチに座って、池をながめる。そこになんの意味があるんだろう。
ぼくは父さんの横顔をそっと見た。
父さんは少し疲れているみたいだ。
目の前で魚がはねた。
「もう行くか」
父さんがベンチから立ち上がった。
こうして月に一度の儀式は、終わりを告げるのだ。
「小学生連続失踪事件は、今月に入って一五〇件を超えました」
テレビではニュースが流れている。
「某国による拉致であるとも、現代のハーメルンの笛吹きであるともささやかれていますが、今夜はこの事件の特集です」
この事件のことはぼくも知っていた。知っているどころか、クラスではこの話題でもちきりだった。いろいろな噂がまことしやかにささやかれた。
「いつも一人でいるやつが、ねらわれるんだって」
「違うよ。あまり話さないやつさ」
「ゲームおたくが危ないらしいよ」
「じゃあ、つぎはおまえだ」
「こえ~」
さいわい、ぼくの学校では、まだいなくなった子どもはいない。
「怖いわあ」
母さんがリビングに入ってきた。ウクレレ教室から帰ってきたのだ。
料理教室に英会話レッスン。岩盤浴にエアロビクス。
母さんはいつもいそがしい。いつも明るい。いつも人生をエンジョイしてる。
しょんぼりした父さんより、ずっとマシだけど・・・ぼくはどこかついていけない。
「ノボル。知らない人についてっちゃダメ」
そんなことわかっている。ぼくは幼稚園生じゃない。
母さんは、ぼくと父さんが今日なにをしてきたのか、たずねなかった。それが取り決めのようになっている。だけど、たとえたずねられても、話すことなんてなにもないのだ。
テレビでは、まだあの番組が流れている。
「あとになってわかったことですが、一五〇人の失踪した子どもたちの中には、親から虐待を受けていたという証言もあり、警察では事件との関連性を調べています」
一五〇人。少なくない数だ。
それでもぼくは、それを遠い出来事のように感じていた。
その日までは・・・。
「竹尾がやられた」
このニュースは、その日のうちに、さざなみのように全校中にひろまっていった。
「竹尾がいなくなったんだって」
「あいつ、ただでさえ影うすかったからなあ」
「学校へ行くといって、うちを出て、そのままだって」
「それ、いつのこと」
「おとつい」
竹尾くんとぼくは、二年前に同じクラスだった。竹尾くんは物静かな子で、休み時間でも友だちの輪には加わらず、一人で本を読んでいた。
ぼくと竹尾くんは、一度だけいっしょに帰ったことがある。
「竹尾くん!」
一度も話したことのない竹尾くんに声をかけたのは、うつむいて歩く竹尾くんの後姿が、あまりにも寂しそうだったからかもしれない。
竹尾くんは、ぽつりぽつりとしか話さなかったけれど、それでも竹尾くんちの暮らし向きは、だいたいわかった。
それに、ぼくと竹尾くんには意外な共通点があった。
ふたりとも、両親が離婚していたことだ。竹尾くんは、お父さんといっしょに住んでいた。
「父さんとは気があわないんだ」
竹尾くんはうつむいた。
「お酒を飲むと、泣きながら、ぼくをなぐったり、けったりするんだよ。きっとぼくが気に入らないんだろうけど、どうして泣くんだろう? 大人ってわからないね」
竹尾くんは笑った。
やがて、竹尾くんとはクラスがべつべつになり、それきりになってしまったけれど、はにかむような竹尾くんの笑顔を、ぼくはよくおぼえている。
また、父さんと会う日がやってきた。
公園のいつものベンチで、ぼくは父さんを待った。まもなく父さんはやってくるはずだ。
目の前では、五人の人たちがストリートダンスを踊っている。ぼくは、ぼんやりとそれをながめた。
「ノボル」
いつのまにか、父さんがそばに立っていた。
「ノボルは、ゴーストダンスって知ってるかい?」
「ゴーストダンス?」
初めて聞く言葉だった。
「インディアンのことはノボルも知っているだろう?」
「アメリカに、もともと住んでいた人たちのことだね」
「そうだ。そして、インディアンたちは、あとからアメリカにやってきた白人たちから、徹底的に弾圧を受けた。無理やりほかの土地に住まわされ、それにしたがわない者は殺された」
父さんがぼくのとなりにすわった。父さんはどうしてこんな話を始めたんだろう。
「やがて、インディアンたちの間に、おかしな話が信じられるようになった」
「おかしな話?」
「ゴーストシャツという奇妙な服を着て、男女が輪になってぐるぐる回りながらおどるんだ。死者の歌を歌いながらね。そうすればゴーストシャツは白人たちの銃弾をはじき返し、バッファローが群れをなす大草原がもどってくる。インディアンたちは本気でそう信じたんだ」
今日の父さんはよくしゃべった。
「馬鹿げた話だよ。そんなことが起こるはずもない」
「そうだね」
「だけど、インディアンは本気でそう信じたんだ。きっとそこまで追い詰められていたんだろう」
父さんは、この話から何かをぼくに伝えたかったのかもしれない。
「いくら踊ってもバッファローが群れをなす大草原はもどってこない。銃弾をはじき返すような奇跡も起こらない。取り戻せないことってあるんだよ」
父さんは寂しそうに笑った。
父さんと会った帰り道。同じクラスの庄司くんとたまたま出会った。
桐が森のすぐ近くだった。ほかの森が宅地造成で切り払われてしまっても、この森だけは手つかずのまま残っている。
ぼくたちは、少し立ち話をした。
話題はもちろんあの話だ。
「いなくなっているのは、小学生だけじゃないらしいぜ」
庄司くんは言った。
「中学生や高校生。なかには幼稚園や保育園の子もいるんだって」
「へえ」
「なあ、ノボルは知ってるか? 変なうわさ」
「変なうわさ?」
「いなくなったやつらのことさ。いなくなるにはなるんだけど、そのあと、そいつらを見た人もいるんだって」
「まさか」
「親しかった人の前にあらわれるんだけど、声をかけると、スーッと消えうせるんだって」
庄司くんは大きな体をふるわせた。
「だけどそれも、最初の一、二ヶ月さ。その後はまったくの行方知れずなんだって」
「怪談だね」
「都市伝説ってやつ。おたがいに気をつけような」
「いったいなにに気をつけたらいいんだよ」
「ま、それもそうだな。じゃあな」
ぼくらは手をふってわかれた。
ゴーストダンス。日本語にすれば、幽霊おどり。
父さんはあの話からなにをぼくに伝えたかったんだろう?
考えながら、ぼくは歩いた。
父さんはなにが取り戻せないと思っているんだろう?
わからなかった。
作品名:笑いたけのゴーストダンス 作家名:関谷俊博