御伽五話
一 霧の虹
私は、明らかに夢と判る場所にあって、深夜の山間に車をとばしていた。道が上下に分かれる処で、ぼんやりと滲む赤い光が、斜面に被さる滑らかなコンクリートに彩りを添えていた。気がつくと車は停まっており、鮮やかな藍色に沈みかけている。
青い制服の者達が数人、こちらに注意を寄せている。工事用のランプの明滅の隙間から、一人の男がため息と共に近づいてくる。手には、赤と白の旗を持っている。
「もういけません」
振りかえりながら男が言う。つられて私も目を転じる。なだらかな坂道にも、切り立った斜面にも、隙間の無い程に老若男女が爪先立ちをしているのが見える。
「なんなのです?」
そう尋ねた先から、私にはもう、「霧の虹」が出現しているのだということが分かっていた。すると、自分はこんな深夜に、まさにそれを見るためだけに、こんな山深いところまで車を走らせてきたのだという事を思い出した。
眼を上げると、青い男は元の位置に戻ってしきりに首を傾げている。私は車を降り、踵を引き上げながら、群衆の間を泳いだ。そして、斜面を抉るように建っている和風住宅の二階の高さにあるガードレールに硬い尻を乗せ、尻の汚れるのを気にしながら、忘れさられた洗濯物の翻るのを眺めている。
「……地域が限定されているので、climateよりはweatherの方が適切だ……」
私はふと、そんな思考を洩らした。すると、着物をからげた色の黒い女が、姉さん頭の下からきまりが悪そうに洗濯物を取り込むと、暗い室内に引き下がっていった。
何千という瞳の先には、テレビのアンテナが立っていた。そこには、ミョウバンの結晶のようなものが、ヒトデ形に凝縮していて、月の光に照らされていた。それが白から青くなり、赤になり、やがてゆっくりと回転し始めたとき、群集は堪えていた息を一斉に吐き出し、低く長いどよめきを作った。
私は落胆して車に戻り、サンルーフを開けて空を仰いだ。すると、白い帳の向こうに、二重の虹が映っているのが見えた。光の拡散も、反射も無い。ただ、ペンキ絵のようにはっきりとした虹が、二重になって映っていた。