リコーダーが吹けない(零的随想録1)
リコーダーが吹けない
僕は中学、いや小学校時代からリコーダーというものは苦手でした。そもそも鍵盤ハーモニカの、それも鍵盤に『ド』『レ』『ミ』なんて貼って、そうやってなれた少年がいきなりリコーダーになんてなれるはずがないのですが、昔から楽器になれているような子はすぐに上達し、僕はそれまで音楽が好きだったのに、嫌いになりました。僕は小学校時代、図画工作、体育、家庭科、そして音楽の4つは苦手で苦手でしょうがなかったのです。それが中学校で評定対象になった時(図画工作は美術、体育は保健体育、家庭科は技術家庭に名前は変わりますが)僕は落胆したものです。なんでこんなのやるんだよ。家庭科はまだ理解できます。一人暮らししたら必要スキルでしょう。でも、アートや音楽は好きな人がやればいいし、運動なら気持ちよくさせるのが一番だろうと。合点がいかない。
中でもリコーダーが、ソプラノにようやく慣れたのに、アルトに替わるものだから、混乱しました。『ド』の位置が違うんですよ。せっかく一番下が『ド』と覚えていたのに、それまで『ド』なものが『ファ』になったのです。しかも今までの『ド』はいままで『ソ』なんです(当時まだものが大きくなると音の音域が下がる事を知らなかったのです)から。
とにかくリコーダーなんていらねえ、と思っていたわけです。そもそも世界的演奏者が使う楽器であるのになぜリコーダーは教育に用いられるのか。やっとわかったのは高校に入って、リコーダーを吹かなくてよくなってからです。構造が単純で円柱形のため安いプラスチックや樹脂で作っても簡単で破損することがないからなんです。そして構造ゆえに値段も木製でなければ安く購入することができる。それが売りなんです。また、ジャーマン式、バロック式を中学では併用することになりましたが、運指がわからない。だって微妙に違うんですから。
僕は結局上達しないまま卒業してしまい、いまでもリコーダーは吹けません。でもいいじゃないですか。音楽は聴いて楽しむものでもあるはずです。好きなように楽しむのが娯楽というものであるはずです。だからはっきり言います。
『リコーダーが吹けない』
作品名:リコーダーが吹けない(零的随想録1) 作家名:フレンドボーイ42