リコーダーが吹けない(零的随想録1)
レッドキャニオン
エフゼロ。F-ZEROというゲームがあって、僕は一作だけやったことがあるのであるが、その作品は近未来賞金レースゲームを舞台に繰り広げられるリアルすぎるレースゲーム。どんなに現実に似せても現実らしくないようになるのとは逆に、どんなに現実と乖離したF-ZEROのマシンも、そのレースがリアルなのは、やはり元ネタのF1レースが原因か。ダメージを受けすぎると爆発するマシン。続編などでは敵車破壊を堂々と繰り広げる。ドライバーには互いに怨恨関係がある。現実をありありと描いた作品が何と任天堂ファミコンの任天堂が堂々と出したローンチタイトルなのである。
だが、ここでキャプテン・ファルコン、ドクター・スチュワートらの話をしたいわけではない。僕が話したいのは、外伝作かつ、キャラクターがゲーム中に出てこない『F-ZERO MAXIMUM VELOCITY』(日本語『F-ZERO FOR GAMEBOY ADVANCE』)である。これが僕がやった唯一のF-ZEROである。英語名のほうが作品名としてはいい表現なのかもしれないが、F-ZEROというと、当時はもうファミコン版の時代ではなく、N64番が出ているころである。Velocityとは、速度。マキシマム・ヴェロシティーとは、最高速度。だがこのゲームで出せる最高速度は600km/h程度。それが遅いのか、と思うだろうが、N64版では、もはや1000を超える速さが出ている状態、どうしても遅いと感じる。
そもそもこのゲームは、システム自体はファミコン版と変わらない。設定が少しN64版に近づいたぐらいで、マシンの総入れ替えとコースの大胆な位置変更。一体なぜあの時にあんなものを出したのか。当時F-ZEROといえば、ファルコン抜きでは語れなくなっていたというのに。
僕が思うのには、恐らく2作目(厳密には3作目)だったN64版で、最高速度があまりに乖離しすぎたこと、またゲームシステム自体がいろいろ破綻していくようになっていくのでは、との危機感が強かったからと思う。現実には、その後の作品はそのような心配は無用だった。どの作品も正当に評価される中、外伝であるマキシマム・ヴェロシティー(ForGBA)だけはその設定のあまりの違いのため、埋もれてしまった作品である。
だが、他のシリーズに比べると、レースゲームとしての完成度はすごく高いと思う。マシンもチート性能は散見されない。他の作品同様この作品も正当な評価を得てほしいが、やはりレッド・キャニオンのような速さによる激しさを感じさせないのが原因か。400〜500km/hも十分速いはずなのだが。
作品名:リコーダーが吹けない(零的随想録1) 作家名:フレンドボーイ42