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魔物は人間の夢を見ない

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 勢いよく開け放たれたドア。そこに立っていたのは昼間会ったビークス・コンラート少年だった。しかしその顔におどおどした様子はなく、姉の部屋を荒らされたことで怒りの形相に歪んでいる。こういうのを闇にとらわれた顔と呼ぶのだとアグリィがいつか口にしたのを思い出す。あるいはこちらの方が真の顔で、昼間のあれは仮面だったのかもしれない。

「シアン、外へ出よう」

 声がしたときにはもうアグリィの姿はない。少し前まで部屋のベッドの前にいたはずが、わたしがビークスに気をとられた一瞬の間に窓の外へ飛び出していた。翼もないくせに、こいつはいつも自分にも翼があるような勘違いをしている。

 ビークスの手に握られている杖から眩い閃光が走った。もちろんそれがただの明かりであるはずはない。
 どうしようか一瞬迷う。しかし空を飛べないアグリィが飛び降りたのをほったらかしにしておくわけにもいかないのでわたしもビークスを無視して窓枠を飛び越えて外に飛び出す。その後ろを光の線がが追いかけてくるが構っている余裕はなかった。自由落下するアグリィのもとへ不可視の翼を広げて急下降し、地面と激突する前に抱きとめる。それと同時にアグリィが魔術符を起動させて追ってきていた光を風の魔術で弾いた。

 先程の化け物が現れたのはその時だった。

「ぐる、ぐががあぁっ」

 いつの間に現れたのだろう。今しがたわたしたちが飛び降りた窓から飛び出してきた化け物は低い咆哮をあげ、またあの巨大な火の球を放ってきた。よく見ればもうさっきの傷は回復している。そして相変わらず言語文化が違うので何が言いたいのかよくわからない。たぶん友好的ではないことは態度からよくわかるのだが。

「ああ、次から次へと面倒くさい」

 この状態でわたしが迎え撃つのは難しい。魔術で迎え撃ったとしてもアグリィで手が塞がっていて戦いづらい。いっそのことアグリィをここから落とすか。もう地上近くまできているのでこの高さなら死にはすまい。

「いいよ。僕がやるから」

 わたしのよからぬ考えに気づいたのかは知らないが、アグリィはわたしの肩越しに懐から取り出した魔術符を化け物にかざす。アグリィが短い呪文を発するのと同時に効果は現れた。
 化け物の放った炎は風に吹き消されるかのように瞬く間に消滅し、こちらへ向けて飛び掛っている途中だった化け物は空中で風に捕らわれた。文字通り、風が化け物を包み込んで空中にそのでかい体を留めている。

 化け物が理解不能な咆哮をあげて暴れまわるが、己を捕らえる風に切り裂かれるだけで一向に破ることはできない。わたしたちの飛び出してきた窓から身を乗り出したビークスも慌てた様子で杖をかざして解呪を試みるが、風は少しも衰えることはなかった。アグリィの風を敗れるほどの術師は人間にも魔物にも滅多にいない。

「で、次はどうするんだ?」
「屋敷の中へ戻ろう。今度は玄関からね」
「また戻るのか?」

 てっきり今日はもう逃げるのかと思っていた。しかしどうやら先ほど少女の白骨死体を見て以来アグリィはちょっとご機嫌斜めらしい。物腰の柔らかさは変わらなかったが身にまとう空気はいつもと少し違った。あれのどこがアグリィの気に障ったのか、わたしにはわからない。わたしが魔物だからなのか、アグリィのことを知らないだけなのか。

「うん。外での戦いは少々目立ちすぎる」

 アグリィは地上へ降りると屋敷に忍び込んだときのように玄関の鍵を破壊して、両開きの扉を片方だけ押し開ける。アグリィの考えはわからないがきっと何か考えがあるのだろうからわたしも一緒に中へ入った。

 玄関を抜けるとそこは吹き抜けの広間になっていた。普通なら調度品の一つでもありそうなところだが、天井にシャンデリアが下がっているくらいで彫刻や絵画はどこにもない。先ほどの姉の部屋と比べるとずいぶん様子が違っていた。それによく見るとあちこちに埃や蜘蛛の巣が見られ、あまり手入れが行き届いていないように見える。それだけビークスが姉のことを大切にしているということだろう。弔いもせずまるで生きているかのように世話を続けるほどに。

「ここで何をする気なんだ? たしかに障害物がない分、戦いやすいかもしれないが」

 外からはまだ化け物の叫びやビークスの魔術の気配を感じるが、屋敷の中自体は不気味なほど静まりかえっている。まるで廃墟のようだ。わたしとアグリィの声が静寂に木霊し、屋敷を満たす夜の気配を震わせる。

「あの術はしばらく解けない。その間に、シアンにお願いをしたかったんだ」
「ミケラスカだ」

 無駄だとわかっていてもこんなときまでつい癖で訂正してしまう。
 しかし今回は無駄ではなかった。苦笑の一つすら浮かべず、アグリィは言い直す。

「じゃあミケラスカ、一つ頼んでもいいかな」
「なっ……」

 一瞬頭に血が上って何も考えられなくなる。今の状況が全て吹っ飛んで、ただ無心に目の前にいる主人を攻撃したかった。殴りたい。平手で。

「ごめんね。これからちょっと大きな術を使うんだ。だからその間、少し時間を稼いでもらえるかな。それとその間僕のことを守ってほしい」

 憂いを帯びた、申し訳なさそうな顔。アグリィはわたしに大きな?お願い?をするときはいつもこんな顔をする。それがわたしに不快感を与えていることを知っていながら、いつだってこの顔で?お願い?をする。

 アグリィはわたしに?お願い?をしてはいけないのだ。アグリィがしていいのは命令であって?お願い?ではない。なぜならわたしはアグリィの使い魔で、それ以外の何かになんてなれないのだから。どんなに丁寧に扱われたってその現実は揺らがない。わたしの心はシアンにはなれないのだ。たとえどんなに愛情を捧げられたとしても。
 わたしは魔物で、お前は人間なんだよアグリィ。

「お前はどうしてそうなんだ。なぜわたしに命令しない?」

 気がつけばその感情は言葉となって溢れ出ていた。

「わたしは人間でもなければ、ましてやお前の死んだ婚約者なんかじゃない。わたしは魔物で、お前の使い魔だ。望みがあるならそんな顔をしないで偉そうにふんぞり返って命令すればいいんだ。わたしは貴様とそれ以外の関係など築けない! たとえ、どんなに望まれたって――」

 その言葉を遮るように、アグリィがそっとわたしの頬に触れる。困ったように、まるで泣きそうな顔でわたしに触るから、ふと、可哀相だと思った。もう戻らない婚約者を追い続けるこの馬鹿が。胸が痛いのも、ただの同情。それだけ。他の何かなんかじゃない。なあ、そうだろうミケラスカ?


「それでも、君は僕の最愛の人なんだよ」


 違う。わたしはお前の婚約者なんかじゃない。わたしは魔物だ。人間として扱われるのなんて真っ平なんだ。
 そう言ってやりたかったのに、それが言葉になることはなかった。別にこの馬鹿がかわいそうだからでも胸が痛かったからでもなくて、魔術から解放された化け物が扉をぶち破って突入してきたから。

 降り注ぐ魔術の奔流はアグリィの魔術符の力で全て吹き飛ばされる。ふわりとわたしの偽りの赤髪が風に揺れた。

「その話はいつか別の機会にしよう」