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魔物は人間の夢を見ない

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 どこにでもある町のどこにでもある酒場のどこにでもあるテーブルの向かいで、どこにもいそうにない馬鹿がへらへらしている。うっとうしい。

「ここのワインは有名なんだよ。ね、おいしい?」
「別に」

 何が楽しいのか四六時中にこにこしているその馬鹿は、やはり清々しいほどに胡散臭い笑顔で机に頬杖をついて、楽しそうにこちらを見つめている。本当に何が楽しいのかは謎だ。
 この馬鹿の名はアグリィ。いいところの貴族の出だと本人は言っているが、現在はふらふらと旅をしている天才と紙一重で馬鹿な、残念な魔術師である。
 項にかかる金髪を遊ばせてこちらを見返す濃紺の瞳はそれだけなら珍しくないが、なぜか見る人を惹きつける魅力がある……らしい。前の町でこの馬鹿に一目惚れした哀れな女が言っていただけなのでよくわからない。青はただの青だと思う。

 わたしから言わせればアグリィはただの馬鹿だ。魔物であるわたしに食事など不要だというのに、いつも無理に食べさせようとする。そんなに一人で食べるのが嫌なら言い寄ってくる女たちとでも食べればいいだろうに。はっきり言って迷惑だ。

「シアン、もう一杯どう?」
「ミケラスカだ」

 憮然とした表情でわたしは名前を訂正した。こいつに名前を訂正するのはもう何千回目だろう。数えていないので知らない。
 シアンというのはアグリィの他界した婚約者とやらの名前であってわたしの名前ではない。アグリィはどうもその婚約者によほど入れ込んでいたのか、契約して以来ずっとわたしは本来の姿ではなく婚約者の姿に化けさせられている。緩いウェーブがかった赤銅色の髪は腰ほどもあり鬱陶しいし、胸も歩くたびに揺れて邪魔だ。唯一、ダークグリーンの眼球だけは気に入っている。
 そしてこの通り、名前もその女のものでしか呼ばれたことはない。わたしはシアンという人間の女ではないただの魔物なので、とても嫌だ。迷惑だ。

 紹介が遅れたが、わたしはミケラスカ。アグリィの婚約者でもなければましてや人間でもない。アグリィに召喚されて契約を交わした魔物だ。だから本来の姿はこんな脆弱な人間ではないし、前に述べたとおりこちらの世界の食事なども不要だ。しかしアグリィにとってはそんなことは些細なことでしかないらしく、何度言ったところでわたしにその婚約者の振りをさせることをやめようとはしない。
 こちらとしてはいい迷惑なのだが一度契約をしてしまった以上、逆らうことができないのでどうしようもない。わたしにできるのはこいつと契約を交わしてしまった己の浅はかさを嘆くことと、こいつの興味を自分以外へ向けさせることくらいだ。

「アグリィ、お前はわたしにワインを飲ませにここに来たのか?」
「そうだよ」
「違うだろ馬鹿め」

 まあ、このワインはたしかにまずくはないが。しかしあまり好みではない。これよりは二月ほど前に寄った町の酒の方がましだった。
 思わず溜息がこぼれたが、それはわたしだけではなく向かいに座っていた男も同じだったらしい。アグリィは馬鹿でとても残念な人間なので完全に忘れ去っていたようだが、実はさっきから酒場のテーブルにはもう一人、この町の人間が座っていた。名前はなんといったか。

「あんた、俺に魔術師のコンラート夫婦のことを教えてほしいって声かけたんだろ」
「ああ、そうだった。すまないね。ちょっと連れを口説くのに夢中になっていたよ」

 わたしは少しも口説かれた覚えはない。しかしそれを指摘すると話がまた進まなくなりそうなので、とりあえず黙っていることにした。
 アグリィは自分もグラスに口をつけて、今まで無視し続けておきながら「それで?」と少しも悪びれた様子もなく男に話を促す。

「あんたが会いたがってる魔術師は二年前に夫婦そろって流行り病で死んじまったよ。今はその子供が二人で住んでる。名前はたしか……姉の方がビオラで弟の方がヒックス……いや、ビークスだったか?」
「そうか、亡くなっているのか。残念だな……子供はもう大きいの?」
「たしかあんたと同じくらいかな。弟の方は時々町に買い物に来るぜ」

 ちなみにアグリィは二十代前半である。正確な数字は興味がないので忘れた。とにかくもういい大人といってもいい年齢なわけだがいつまでも落ち着きのないちゃらんぽらんである。そのせいか実際よりかなり若く見えるので、おそらく弟は十代後半くらいだろう。

「でも酒を奢ってくれたよしみで忠告しておくけどな、会う気ならやめといた方がいいぜ」
「ふうん?」

 何かおもしろそうなことがありそうだと、アグリィの眼が笑う。

「なんか親の研究を引き継いで化け物をつくってるって噂があるんだ。やつらの家は町の南の森のほうにあるんだが、そっちの方から夜な夜な得体の知れない叫び声がしたとか夜空を飛ぶ化け物を見たとかその手の怪談話が尽きねぇ。時々見かける弟もあんたと違って陰気な雰囲気だしな」

 男はまるで小さい子供に怖い話をするときのような低い声でそう言うと、アグリィに奢られたワインをぐいっと飲み干した。わたしはワインの残ったグラスを片手にちゃらんぽらんな主人を窺う。その様子は何か考えているようだったが、こちらの視線に気づくと突然笑みを浮かべた。

「……なんだ?」
「うん、シアンが熱い瞳で見つめてくるから」
「ミケラスカだ。一度その化け物に殺されてこい」

 こちらがあからさまに嫌そうな顔をしているのを満足そうな笑みで受け流し、アグリィは席を立つ。

「情報ありがとう。一応両親の研究資料はまだ残っているだろうし、早速行ってみることにするよ」
「は? あんた何を言ってるんだ。俺が今やめろって言ったの聞いてなかったか?」

 しかしもうアグリィに男の言葉など聞こえていない。その理由は別に耳が悪いのではなく頭が悪いだけである。わがままで気まぐれで、世界は自分を中心に回っていると本気で思っているに違いないおめでたい馬鹿。そういう馬鹿の意志を曲げさせることほどこの世に難しいことはないのだ。
 魔物の間ではこんな格言がある。馬鹿な人間は使えるが馬鹿な魔術師は全く使えないどころか害悪なので早々に隙を見て食い殺すべし。
 できることなら、わたしも早くそうしたいところである。