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華鏡(はなかがみ)~鎌倉のおんなたち・時代ロマン小説連作集~

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 そして、更にそれから長い長い年月が経ちました。今回、第一話で安徳天皇を主人公にしたときから、続きもののような形で第二話を書きたい、もし書くとしたら、竹御所でいこうとその時、初めて竹御所を書こうという気になりました。
 まだ今年の春のことです。放送大学の面接講義で私の尊敬する島内祐子先生が徒然草の講義に岡山学習センターに来られた日、授業の合間に思い浮かんだ構想を走り書きしたのも忘れられない出来事でした。
 第二話を書きながら感じたことを少しお話しますと、千種というヒロインがあまりに心が優しくて綺麗なので、私、何か物凄く自己反省という自己嫌悪に陥った部分があります。難しかったのは千種の心的変化です。
 最初は理不尽なことを押しつけられて憤りを感じていたのに、いつしか政子の意図を正しく理解して自分なりに使命を果たそうとする。そういう心の強さや潔さというのがとても私には眩しく思えました。
 自分には絶対にない部分だと判るだけに、余計に惹かれたのかもしれないですね。健気なヒロインを描く度に、我が身を振り返り大変恥ずかしい想いもしました。
 しかし、千種は理想化された女性ではありません。生身の人間で、悩み傷つき歓び、様々な体験をしながら成長していきます。そして、それを側で見守り支えていたのが良人である頼経の存在であったろうと思います。
 竹御所の生涯を史実として知った時、私は十六歳差の夫婦が仲良く過ごしていて、子までなしたというのが信じられませんでした。歴史上、政略結婚で結ばれた夫婦であれば、奥さんが年上というのはありがちとはいえ、それでも数歳から十歳くらいまでが普通。
 なのに、十六歳差というのは無理がありずきる。当時は十五、六歳で第一子を産むのは普通でしたから、母と息子の歳の差と考えても良い。そんな中で自然な夫婦らしく仲良くなれたというのは何かとても二人の間に強い結びつきや感情の通い合いがあったのではないか。私はずっと以前から、そんな風に考えていました。小説にはなりそうだけど、では、どんな風にそれらの史実を味付けし組み立てていくのか?
 それが最大の課題だったといえます。
 今回、やっと三十年越しの願いが叶い、竹御所の生涯を描くことができて嬉しく思います。ただ、繰り返しになりますが、まだまだ不十分かと思います。
 これからは実在の人物にもトライして、更によりよい形で描けるように精進していきたいです。
 皆さん、竹御所の死後、頼経は二度めの妻を迎えて子どもも儲けています。竹御所が亡くなった時、彼はまだ十六歳でした。将軍という立場がなかったとしても、やはり再婚したのは仕方なかったと思います。
 でも、私はこう思うのです。きっと頼経は六十過ぎで亡くなるまで、きっと最初の年上の妻のことを忘れることはなかったのではないか、と。 
 今回、私が竹御所をなかなか書かなかった理由のもう一つとして、この話が哀しい結末になると決まっていたからでした。竹御所という実在の人物を描く限り、パターンは決まっています。三十二歳で死産して難産のために亡くなったという事実がある以上、この最後を書かなくはいけないのが何とも辛かった。
 実際、けしからんと思われるかもしれませんが、自分で自分の作品を描きながら、この小説は後半はずっと涙が止まらない状態でした。あまりに感情移入しすぎてもいけないと判っていながらも、どうすることもできませんでした。
 長々と失礼しました。
 ヒロインへの思い入れが強かったため、つい長くなってしまいました。
 いつもながら拙い作品を最後までご覧頂いて、本当にありがとうございました。

東 めぐみ拝
二〇一四年十月吉日

 追記

 つい一昨日でしたか、ラジオでこのような話を耳にしました。アメリカの有名な俳優がこんなことを言ったそうです。
―この映画は哀しい脚本だけど、自分がこれをやるときは泣いちゃいけない。
 ラストシーンで自らの任務のために愛娘と決別して死地に向かわなければならない。そういう設定の映画で父親役を演じたときの話だそうです。最初、彼はどうしても哀しくて涙が止まりませんでした。
 でも、彼は思い直したそうです。
―この映画を見て涙を流すべきなのは観衆であって、演じ手である自分ではない。演じる側が感情的になって泣いてしまったら、それはつまらない作品になるだろう。
 それで、最終的には彼は涙ひと粒も見せないで見事に演じきったそうです。
 この話を聞いて、私はとても反省しました。自分の作品を書きながら泣いてしまったことが彼の戒めの言葉と重なりました。作品の作り手というのは、やはり感情に流されてはいけないのだなと改めて思い知りました。
 なので、校正の段階では、できるだけ無駄な感情は持たないように冷静な気持ちで読み返すようにしました。
 文芸の道もなかなか奥が深いですね。これからも自分なりに精進していかなきゃ、とここで決意も新たにしたいと思います。

2014/10/25


第三話『黒髪〜大原野寂光院〜』

 女院はひそやかな吐息を一つ落とす。つと顔を仰のければ、鈍色の天(そら)が間近に迫っている。それこそ、あと少し伸ばせば、手が届きそうなほどに。
 ―空が低い。ここ洛外の大原野に来てからというもの、幾年を数えたであろうか。寺に女たち数人で人知れず棲む暮らしは単調で、流れゆく日々には何の変化もない。むろん、そのことを特に不満に思っているわけではない。
 そう、変化のある生活など、もう二度とご免だ。振り返ってみれば、我が生涯はけして平坦ではなかった。変化といえば、これほど有為転変を経験した者もおるまい。平清盛の娘として生まれ育ち、やんごとなき雲の上の帝の妻となり、更には彼女の産み奉った我が子もまた帝となり、彼女は国母と呼ばれ尊崇を受けたのだ。
 およそ女性としては最高の地位につき、栄誉を得たといえよう。しかし、その心の奥底を覗いてみれば、果たして我が心が満たされたことがあったろうか。
 良人である帝は次々と他の女を寝所に呼び、自分は形式だけの妻でしかなかった。中宮と呼ばれる帝の正妻でありながら、最後まで彼女が手に入れられなかったもの、それは良人の心だった。
 帝は才気煥発な女性を好んだ。もちろん、容姿も美しくなければならない。徳子は我が身を特に不器量だと思ったことはないけれど、さりとて、美人だと思ったことはなかった。第一、父清盛にお追従で?徳子姫は美人だ?と言う者があったとしても、それは所詮、お世辞でしかないことも知っていた。
 容貌も平凡で、気性も大人しやか、殊に取り立てて言う何ほどの特徴も特技もない。それが自分、世に並びなき権勢を誇った太政大臣平清盛の娘であった。
 例えば、我が身があの典侍(ないしのすけ)―坊門殖子のようにきららな美貌で、更に打てば響くように帝の話し相手ができるならば、もう少し帝との夫婦仲も変わったものになっていたかもしれない。