華鏡(はなかがみ)~鎌倉のおんなたち・時代ロマン小説連作集~
ずっと一緒にいると、あなたの側で生きていくと約束したのに、その約束が果たせなかった。
「頼経さま、私、眠うなりました。少し眠ってもよろしいですか? 目覚めたら、また、お話しして下さいませ」
呂律が上手く回らない。それでも、ちゃんと私の言葉が聞こえたのか、頼経さまは頷いて下さった。
「ああ、次にそなたが目覚めるまで、私がこうして腕に抱いていよう。だから、安心してお眠り、千種」
優しい手が髪を撫でてくれる。大好きなひとの温もりに包まれて、私は深い深い眠りへと落ちてゆく。
そして、私は夢の世界へと入ってゆく。永遠に醒めることのない幸せな夢の中に。
海に降る雪〜終章〜
今日も鎌倉の空も海も涯(はて)なく蒼い。頼経は今日、由比ヶ浜に来た。
千種の死からふた月を数えたが、いまだ彼の心は亡き妻と過ごした幸福な想い出に囚われている。
「そなたの望みどおり、連れてきたぞ」
頼経は傍らに妻がいるかのように優しく話しかけ、懐から錦の袋を取り出した。中から現れたのは数本の髪の毛だ。千種のものだった。
去年の夏の終わり、頼経は千種とここ由比ヶ浜を訪れた。あの時、千種は言ったのだ。
―頼経さま、もし、私がこのまま儚くなったら、私をまたここに連れてきて下さいますか?
あの折は何を馬鹿なことをとただ千種が初めての出産に怯えているだけなのだと思っていた。けれど、今となっては、どうだったのだろう。
あの時、既に千種は己が運命が尽きようとしていることに気付いていたのではないだろうか。愚かな自分は迂闊にもそんな千種の不安にも心細さにも気付いてやれなかった。
将軍御台所という立場上、その骸を海に流すことはできない。だから、頼経は千種の髪の毛をひと房切り取った。その一部を海に還してやろうと考えたのである。残りの遺髪は一生涯肌身離さず持っているつもりだ。
頼経は千種の髪と白い菊の花束を海に流した。千種は小手毬の花が好きだった。まだ互いに夫婦だと知らぬ頃、彼が贈った花束には小手毬が入っていて、とても歓んだのだ。
思えば、小手毬の花を贈ったあの日の夜、自分たちは夫婦なのだと知った。世にも許された良人と妻であると知り、勇んだ彼は千種を強引に抱いた。あの夜、恐らくは一度めの契りで千種は身籠もったのだ。
自分たちが浅からぬ因縁で結ばれていたのは確かだが、果たして、本当にそれが良かったのかどうか。自分が千種を手折ることがなければ、彼女は今も元気で生き存えていただろう。三十二歳での初産に、千種の華奢な身体は耐えることができなかった。
可哀想に、五日間も苦しんだ挙げ句、死産してしまい、本人も出血多量で助からなかった。今も彼は千種を死に追いやったのは自分ではないかと自責の念に駆られて止まない。
頼経はしばらくの間、痛みを堪えるような表情で浜辺に佇んでいたが、想いを振り切るかのように、首を振った。
眼を開いた時、既に波間を漂っていた千種の髪も菊の花も見えなくなっていた。千種が好きだった小手毬の花をせめて手向けにしてやりたいと思ったが、生憎、今の季節には小手毬の花はどこにも見当たらない。
純白の花を愛した妻は稀に見る心の清らかな女だった。だから、小手毬の代わりに白の菊花を持ってきたのだった。
そなたが望むなら、私は何度でも、この声が嗄れるまでその名を呼び続けるだろう。
千草、私の千草。ただ一人の愛しい女。
頬に冷たいものが触れたような気がして、頼経は空を仰いだ。鎌倉の空には鈍色の雲が垂れ込めている。鈍色の天(そら)からは白い雪の花びらがひとひら、また、ひとひらと舞い降りてきていた。
まるで亡き人の魂を鎮めるかのように。
愛しい人の丈なす艶やかな髪を飾るかのように。
天から降り注ぐ雪は散華のように舞い落ちる。
頼経は髪や肩に雪が降り積もるのにも頓着せず、いつまでも海に降る雪を眺めていた。
竹御所は鎌倉初期に生きた女性である。初代将軍頼朝の唯一の血筋を引く生き残りとして、幕府の権威の象徴として、御家人の尊崇を集め、彼らを纏める役割を果たした。
寛喜二年(一二三〇)年、二十八歳で十二歳の四代将軍頼経と結婚。今に残る記録によれば、夫婦仲は円満だったと伝えられる。
結婚四年目には懐妊し、周囲は頼朝の血を引く源氏嫡流の後継者誕生に強い希望を抱いた。しかし、あえなく死産し、難産のあまり竹御所も落命することになってしまう。
―児死して生まれ給ふ。
当時の資料では、期待の男児でありながら死産であったことを嘆じている。
竹御所の死により、頼朝の血筋は完全に断絶した。その訃報を聞いた御家人は悲嘆に暮れ、続々と各地から鎌倉に下ってその死を惜しんだという。
当時の歌人藤原定家は自らの日記にこのようなことを書いた。
―竹御所の死は源氏が根絶やしにした平家の祟りであろう。
今となってはそれを確かめるすべはない。だが、壇ノ浦で平家を完膚無きまでに討ち滅ぼした源氏がこのようにいとも呆気なく絶えてしまったのも、やはり因果応報なのだと思わずにはいられない。
竹御所の死はこうして当時の様々な人に大きな衝撃と波紋を与えた。
それから時代は幾つも流れ、明治維新により、頼朝が鎌倉期に築いた武家政治は江戸幕府の終焉とともに長い幕を閉じた。
今、母方の比企一族の菩提寺である妙本寺で竹御所は静かに眠っている。その安らかな眠りを妨げるものは何もない。
(了)
この作品は実在の人物を描いておりますが、すべてはフィクションです。なお、構成上、一部の史実と作品内の表記に違いがあります。
※ 北条政子一一五七〜一二二五(一二三三)
竹御所の出産日 天福二年八月二十三日(十二月二十三日)
いずれも上記が史実として正しい年代、()内は作品内で描いた年代。
小手毬(こでまり)
花言葉―優しい心、良い気立て、伸びゆく心、友情、努力、優雅、品位。四月の誕生花。
あとがき
こんにちは。今年は秋の深まりが早く、今日などは毛糸を着込むことになりました。まだ漸く九月の下旬に入ったばかりですから、これは少し異常気象ですね。
さて、今月は何と?鎌倉物?です。鎌倉時代を描いた作品は私の数ある作品の中でもけして多くはありません。しかし、私の原点となり、今の私を作ってくれたのは実はこの鎌倉時代なのです。
私が小説らしきものを書き始めたの小学校六年のときです。友達と交換日記みたいなものに小説を書いて読み合っていました。もちろん、当時は小説などと呼べる代物ではなく、あくまでも物語、お話のようなのだったと思います。
そして中学に入り、大河ドラマ?草燃える?と出逢いました。これが、私が歴史に興味を持つ直接の原因となったのです。幼稚園の頃から大河ドラマ?平将門?を見ていた私にとって、大河ドラマは身近なものでした。
作品名:華鏡(はなかがみ)~鎌倉のおんなたち・時代ロマン小説連作集~ 作家名:東 めぐみ