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華鏡(はなかがみ)~鎌倉のおんなたち・時代ロマン小説連作集~

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 夜も更けてから、楓は時繁に伴われて小屋に戻り、再び明け方まで時繁に抱かれた。
 翌朝、二人はまた浜辺へと行った。昨夜、焚き火をした後がまだくっきりと残っている。
 時繁は先刻から、携えてきた例の布包み―草薙剣をずっと眺めている。彼が何を考えているのか、楓には見当も付かなかった。
 突如として、彼は布包みを解き始めた。固唾を呑んで見守る楓の前で、時繁は幾重にも包まれた布を丁寧に解き、ひとふりの剣を手にした。
 帝位を象徴する神器だというから、どのようにきらびやかなものかと想像していたのだが、楓の印象では何の変哲もない長剣のように見える。銀色に鈍く光る刃は長く優美で、柄も特に変わった細工はない。豪華という形容は一切当てはまらず、むしろ地味と言いたい。
 時繁はその長剣を握り、感慨深そうな表情で試す眇めつしている。と、彼が突然、剣を片手に捧げ持ち天に向かって突き上げた。
 その瞬間、奇蹟は起こった。明るい太陽が輝き惜しみない光を海へと降り注ぎ、海は眩しくきらめいていた―はずだった。なのに、俄に空には暗雲が立ちこめ始めたのだ。
 更に墨を溶き流したような不気味な空には時折閃光までひらめき始めた。突然、大音声が響き渡り、天からひとすじの光が降りてくる。その光は時繁の掲げた長剣へと流れ込み、その瞬間、草薙剣はこの世のものとは思われぬほどのまばゆい光を放った。
 眩しくて、到底眼を開けていられない。楓は思わず手のひらで視界を覆ったが、当の時繁は悠然と微笑んでいた。漸く剣の光が徐々に弱まり始めた時、楓は小さく声を上げた。
 相変わらず薄墨色に染まった空を透き通った銀の鱗を持った龍が泳いでいる。
「時繁さま、あれは私が初めてあなたさまの小屋で過ごした夜、夢で見た水龍です」
 楓が興奮した口調で告げると、時繁は頷いた。
「天も朕が考えたことをお許し下さったようだ」
 水龍はしばらく悠々と気持ちよさそうに空を翔けていたが、やがて、空が少しずつ明るさを取り戻してくるのに従い、その姿は薄くなり見えなくなった。
 楓はハッと我に返る。慌てて周囲を見回すと、先刻まで暗かった空は元どおりの蒼穹となり、太陽が輝いて、すべてのものを明るく照らしている。まるで今し方、眼にしたものはすべて夢幻だったかのようだ。
 時繁は何事もなかったかのように、既に光を失い元の姿に戻った剣を握りしめていた。
「楓、これはもう、朕には無用のものだ」
 時繁は呟き、草薙剣の刀身を愛おしむかのように撫でた。
「ゆえに、この宝剣は海に帰そうと思う」
 楓は愕き、時繁を見た。
「良いのですか? これは、あなたさまが主上であらせられると証(あか)す、たった一つのよすがでは」
 時繁は笑いながら首を振った。
「既に都には新しい帝が立って久しい。朕は既に亡くなり、あくまでももう過去の人間だ。今は新しい剣が造られ、神器として祀られていると聞いた。今更、これが本物の神器だと主張しても、何の意味もないんだ。楓、朕はもうただ人として生きたい。それが唯一の望みだ。そのためには、これはもうかえって邪魔なんだよ」
 幼いときから平家に利用され、平家のために生きたといえる安徳帝だからこそ、言えることなのかもしれなかった。
 時繁の手から剣が離れた。勢いつけて投げられたそれは、瞬く間に海中へと落ち、波にさらわれ沈んでいった。
 第八十一代の帝、安徳帝の手により、草薙剣は今度こそ本当に海へと還っていった。この瞬間、安徳帝は本当にいなくなったのだ。帝は自ら自分自身の存在を海に葬った。自らの?死?とともに不遇の帝が得たのは永遠の魂の安息だった。
 ひそかに生きてきたこの年月、安徳帝の心が安らいだことはかつてなかった。復讐と憎しみだけに生きてきた彼は楓という存在を得て、初めて人を愛すること、心の安らぎを知ったのだ。
「もし、お祖母さまの言われるとおり、真にこの波の下に都があるのなら、きっと剣は平家一門が暮らすとこしえの都に辿りつくだろう。朕は今日この時をもって、帝であることも平家であることも止める」
「それならば、私も今日限り、源氏とは縁を絶ちます」
 二人は眼線を合わせ、頷き合った。
 時繁が晴れ晴れと言う。
「最早、我らは源氏でも平家でもない。すべてのこの世の柵から解き放たれた」
 ここまですっきりとした良い表情の時繁を見るのは初めてだ。
「憎しみはもう、剣と共に、あの海の底へと消えた。楓よ。俺は積年の復讐をやり遂げて、しみじみと感じたのだ。俺は確かに宿願を果たし一族の無念を晴らしたが、少しも心は晴れなかった。ただ自分も源氏と同じ、結局は謀略で相手を陥れたという虚しさだけが残った」
 楓は静かな声音で言った。
「憎しみは憎しみしか呼びませんもの」
「もう、俺は忘れたいんだ」
「忘れましょう、子と共に親子三人で、どこか私たちを誰も知らない土地で暮らすのです」
 と、時繁が黒い瞳を目一杯に開いた。
「今、今、何と申したか?」
 楓は頬を染めながら、消え入りそうな声で告げた。
「時繁さまのお子を授かったようにございます。薬師の診立てでは今年の六月には生まれると」
 懐妊を知ったのは霜月だったが、色々とあって言えなかったのだと告げた。
「そうか、そうだったのか。俺が父親になれるんだな」
 時繁は男泣きに泣いていた。生きながら死んだとされ、別人として生きてきた彼の胸にこの時、去来する想いは何だったのだろうか。
「そうか、でかした、でかしたぞ、楓」
 時繁は今にも踊り出しそうなほどの勢いだ。時繁が歓べば、楓も嬉しい。それに、こんなに歓ぶとは思ってみなかったので、余計に嬉しさもひとしおだ。
「とりあえずは長門の養父母の許に孫の顔を見せにいくとするか」
 時繁がいっとう明るい声で言い、楓は微笑んで頷いた。
 鎌倉の海はどこまでも蒼く、由比ヶ浜では今日も潮騒が聞こえる。





 この日を境に、時繁と楓は鎌倉から姿を消した。その行方は杳として不明だが、これより十年ほど後、京都で二人の子どもを連れた幸せそうな二人を見かけた知り人がいたという。
 男の方は何やら小商いをしているようで、まだうら若く美しい妻は二人の娘たちを育てながら商いを手伝っていた。小さいながらも、男の営む小間物屋は繁盛していたとのことだ。

               (了)









 ハス,はす(蓮)
 花言葉―「雄弁」「休養」「沈着」「神聖」「清らかな心」「離れゆく愛」

 
 

 



 生と死〜序章〜

 水を打ったような静けさの中、沈黙があたかも重い石と化したかのように、その部屋中にいる人々の上にのしかかっていた。最早、どれほど祈りを天に捧げよう悲嘆に暮れようと、逝こうとする人をこの世にとどめることはできないと判っていた。
 だからこそ、人々はただ唇を噛みしめ、うなだれて見守るしかなかった。自分たち人間の無力さをこうして神仏は往々にして知らしめようとする。だが、逝こうとするのが年老いた人ならば、まだ憂き世のさだめと諦めようもできるが、あたら花の盛りの若さで逝く生命をどうして平静で見送れようか。