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華鏡(はなかがみ)~鎌倉のおんなたち・時代ロマン小説連作集~

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〜海辺にて〜

 俺はいつも海を見ていた。そう、こうやって片手のひらを耳に当て、じっと聞き入ると、かすかに海鳴りの音が押し寄せてくる。寄せては返す白い波頭(なみがしら)を俺は海鳴りに耳を傾けながら、飽きることもなく眺めている。
 永遠に途切れることのない波は、人の生にも似ている。誰かが今日、亡くなっても、入れ替わるように翌日には新しい生命がこの世に生まれている。限りなく続いてゆく人の営みに俺は海を重ねてみる。
 俺の人生をたった一瞬で丸ごと変えてしまった海、俺の大切なものすべてを飲み込んだ海。それはこれまでの俺の二十年というけして長くはない人生を振り返る時、切り離して考えることのできないものだ。
―どうぞ生きて、我らの分まで生きて、我が一族の血を後世に伝えて下さりませ。
 今も絶え間なく鳴り響く潮騒の狭間から、無念の死を遂げた人たちの悲憤の声が聞こえてくるようだ。
 俺を抱き涙ぐんでいた祖母の最後の表情は、うっすらと微笑んでさえいた。それが祖母との永久(とこしえ)の別れに―実の母とも生き別れになるとは、その時、あまりにも幼すぎた俺は想像だにしなかったのだ。
―お祖母(ばば)さま、これから我らはどこにゆくのですか? 
 そのときの俺の問いに、祖母はハッと胸をつかれたような表情になった。それもそのはず、当時、俺は六歳になったばかりの幼子にすぎず、祖母の眼に映じた俺はさぞあどけなく、いとけない童だったはずだ。
 祖母は一瞬、何かに耐えるように眼を伏せ、やわらかに笑んだ。あのように菩薩のごとくに穏やかで美しい祖母の笑顔をかつて俺は一度たりとも見たことはなかった。恐らく、あれは死を覚悟した者だけが手に入れることのできる諦観の滲んだ微笑だったのだろう。
―この千尋の海の底にも、都がございます。我らが暮らした都と寸分違わぬ賑やかな都がこの波の下にもあるのです。我らはこれからその都に参るのですよ。
 俺は祖母に言われるとおり、小さな手のひらを合わせて伊勢神宮がある西方を伏し拝んだ。
 波の下にも真に都があるのですか? 俺が訊ね返そうとする前に、俺は祖母に抱かれて冷たい早春の海に沈んだのだ。それから先はまさに地獄だった。
 水に飛び込んだときの苦しさは今でも俺を夜半、目覚めさせ悪夢を見させる。海中に身を投じた俺たちはすぐに苦悶に喘ぐことになったが、それでも祖母は気丈にも俺を抱きしめ離すまいとしていた。
 俺は懸命に喘いだ。あれほど生きたいと願ったことはない。わずか六歳の幼子がそれほどに生きたいと願ったのだ。そう、俺には果てしない未来が延々と続いているはずだった。
 だが、あれほど切ないほどに生きたいと願った俺は今、この瞬間、生きることに倦んでいる。自分という人間がこの世に生き存えていること自体が厭わしい。
 何故、俺一人が助かった?
 俺はお祖母さまや伯父上の一族の生命を犠牲にして、のうのうと生きているのか。この世ではとうに死んだものとされている俺は、最早生きながら死んだ人間だ。
 空しい。本当の俺を知る者は誰一人としてなく、俺が生きていることを知る者は誰もいない。
 自分は何のために生きているのだろう。俺は海を眺めながら、何度も自問自答を繰り返す。
 そして、想いはいつも同じ場所へと還ってゆく。
―憎き源氏。頼朝め。
 我らを滅ぼした源義経は死んだ。頼朝が殺したのだ。醜い骨肉の争いの挙げ句、頼朝は自らの弟たちを次々と殺した。血で血を洗う呪われた宿命を源氏一族が甘んじて受け容れねばならぬのも我ら一門の無念なのか、仏罰なのか。
 俺は唇を噛みしめて、ただ浜辺に立つ。春まだ浅い三月、鎌倉の海は冷たく、海鳴りは一向に止まず響いていた。

 父と娘

 先刻から、その場の雰囲気はピリピリとして今にも割れそうなほどの危うさを孕んでいる。楓はむうと頬を膨らませて父を睨み上げていた。
 父恒正がこれ見よがしに盛大な溜息を洩らす。
「楓(かえで)、良い加減にせぬか」
 楓はそれでも花のような唇を引き結び、頑なに黙(だんま)りを決め込んでいる。恒正は呆れたように首を振った。
「これでは、この父が恥ずかしうて到底、北条どのにそなたを引き合わせることなどできぬわ」
 楓はこのときとばかりに叫んだ。
「それならば、いっそのこと、この縁組みを破談にしてしまえばよろしいではありませんか! 大体、私は最初から北条氏に縁づくつもりなどないと何度も申し上げております」
 恒正は不機嫌さを隠そうもしない。
「この縁組みはわしがそなたのためにと、わざわざ御所さまにお願いして北条どのに声をかけて頂いたのぞ? その御所さまお声がかりのありがたくも勿体ない縁談を何故、そなたは不意にするような愚かなことばかりするのだ?」
 楓はつんと顎を反らした。
「大体、私はその御所さまという呼び方も好きではありませぬ。源氏のおん大将はいわば武家の棟梁でいらっしゃるのに、何故、武士が御所さまなどという公家風の呼び方を好まれるか解せませぬ」
 途端に恒正が顔色を変えた。
「おい、楓。良い加減にせぬかッ。御所さまは今や飛ぶ鳥を落とす勢い、この鎌倉の地では比類なきお方ぞ。その鎌倉どのに向かってそのような恐れ知らずの無礼な口を利いて、何とする。そなた、そのまま首と胴体が真っ二つになりたいのか?」
 楓はプイと横を向いた。
「二つでも三つになっても構いません。私は思うたところを口にしたまで。父上はその御所さまのお声掛かりの縁談で、まさに天にも上る心地なのかもしれませんが、私には良い迷惑です。出世なさりたいのなら、娘を贄にせずとも、ご自分の裁量才覚でなさいませ。私はそのための捨て駒にされるのは金輪際ご免ですから」
 言うだけ言うと、楓は部屋から足早に出た。背後では父がまだ何やら喚いているが、そんなことには頓着しない。そのまま自分の居間に戻るやいなや、部屋に閉じこもった。
 床に突っ伏している中に、涙が溢れきた。楓は十六歳。この鎌倉で生まれ育った。父河越次郎恒正は?鎌倉どの?と呼ばれ崇められる征夷大将軍源頼朝の側近中の側近。頼朝の舅であり妻の政子の父である大物北条時政とも懇意にしている。
 その時政の庶子の中の一人、五男だか六男だかとの縁組みを恒正が持ち出してきたのは、そもそもみ月ほども前のことだった。最初は冗談か何かと思っていたのに、何と父は主君頼朝に頼み込んでまで、時政の倅との縁談を進めたかったらしい。
 初めて聞いたのは年末の何かと気ぜわしい時期で、恒正も多忙に取り紛れていたのか、以後は一切口にせず、楓はあの縁組みはもう立ち消えたのかと都合良く解釈していた。
 だが。年が改まってしばらくしてから、また北条氏との縁組みを蒸し返し始め、どうやら怖ろしいことに、この話は当人の楓の意思などおよそあずかり知らぬ場所で着々と進んでいるらしいのだ。
 最近はいよいよ件(くだん)の子息と楓の引き合わせをすると話も具体的になり、父は是が非でもこの縁談を纏めようと躍起になっている。必然的に父と娘も始終、諍いばかりしている有様だ。