私の読む 「宇津保物語」 楼上 上ー2-
「一宮はどう思っておいでだろう、普通の人であれば言うまでもないことである。宮達と申し上げても仲忠ほど立派な方は居られないから、結構なお方だと見られるだろう」
人々は妬ましそうに評判する。
一宮の叔父忠純が一宮の車に近づいて簾を押し上げて、
「恰も幻のように思いでしょうね」
と、言うと一宮は微笑んで、
「蓬莱の山に参られましたか」
「今日のこの目出度い光景はあまりにも立派で、この世とは思われないのです」
一つの車に相乗りしている身分の高い人達、
「何と立派な殿移りの儀式であろう。仁寿殿の一宮がお産みなった仲忠の姫犬宮の立派な行列は、犬宮の幸福を語る一つの資料である。人々は今は藤壺の栄華を騒いでいるが、あの春宮が即位したら犬宮の世となろう。
我々が望みを掛ける子供達は、当てが外れて犬宮の世にはみんなが屑に選ばれてしまうだろう」
などと、行列を見ながら語っている。
車の行列から始めて世の中の人々は褒めて騒ぐ。
京極に到着すると先ず主役の方で、内侍督の車は、西門から入って西の対の南に寄せる。これは京極の殿を東西両方に建てたので、内侍督は西の対に住むことになるからである。
犬宮・一宮の車は、東の対の南に寄せる。仲忠がお出でになって、先ず一宮が降りられる。裾の方が濃い紫で竜胆の画が染められた四尺の几帳を差し出して、保護する。
犬宮が降りるときは同じく三尺の几帳で保護する。
下車するときに仲忠が、「乳母よお抱きになってと言うが、「嫌です、母宮のようにして降ります」
と、犬宮は言って、小さな扇をかざして顔を隠している様子はとても可愛くて美しい。殿達は東の釣殿に並んで犬宮達の光景を見ていた。犬宮はこの年でもう艶めかしい行動をする。
今日の祝いの席の賄いは一宮の供に加わった殿上人の料理まで総て正頼が用意した。
二日は、兼雅。三日は仲忠。それぞれの前には、内侍督、犬宮は、浅香の折敷十二、紫檀の高坏、羅の打敷である。
上達部の坏交換が激しくなる。内侍督から心こもった被物が南の庭から次々と運ばれてくる。色々な色が重なって美しく薫きこめた香りが一面に漂う。
六位の蔵人には織物の三重襲の小袿、三重襲の袴。帯刀には薄物の小袿、一重襲の袴である。
位の下の者には勿論のこと、上達部や侍の供人、随身、前駆の人々、全員に被物を渡した。
内侍督には一宮からお礼の物が渡された。
次の日、楼へみんなが集まる。一宮も見て「これは立派なもの」と見ているのを、お側の人達の目には、楼が照り輝いて此の世の物とは思われない。
南の庭の遙かな州浜、山際に建てた二つの楼のまん中三間あまりを高い反り橋にして北と南に沈の格子を造ってある。白いところは白色に美しく光るやく貝を混ぜて塗り込めてある。
楼の上は檜皮葺きにしないで青磁の薄いのを瓦のように焼いて並べてある。
楼の西寄り、西の対の南の端に念仏堂との間は十五間ある。
池の終わりは遣り水にして、かかる反り橋は左右を高欄にして瓦が葺いてある。東の釣り殿に付くまでの間は十五間。
楼の周りは水が廻っているから反り橋がある。ただ人が歩くだけの造りであるが、距離は長い。水は川より流れ込んで楼を廻る。色々な立石があり、反り橋のあちこちに立っている。楼から反り橋・渡殿・釣殿を廻る人達は、
「言葉がないほどの出来栄えである」
と、しきりに褒め称えた。
「ゆっくりと見て帰りたい、これを朱雀院、嵯峨院は御覧になれば、どのように喜ばれるであろうか。州浜の岸には春は花、秋は紅葉、盛りには、仲忠が惜しんで人に聞かせない琴を、自然と弾かずにおれなくなるでしょう」
などと言って夜になるまで立ちつくして見物していた。月が水に映るのを一宮の叔父右衛門の督忠純は、
むべこそはすむ人有しとおもほゆれ
雲井の月もうつりけるやと
(雲井の月さえ移り住むのだから人が住むのは尤もだと思うよ)
仲忠
我宿をすぎずと思へば月かげの
水のうへぞとみればかひなし
(月影が私の宿を通り過ぎずに泊まると思ったら、水の上に影を映すだけなのだから、誠に残念だ)
このように歌をみんなが詠うが喧しくて聞きとれなかった。
三日目の日、朱雀院から贈り物があった。銀製のひげ籠廿、金銀で拵えた毬栗や松の実、かや、棗などが造って入れられてある。一宮への父からの文、
「本当に長い間御無沙汰しました。引っ越しの騒ぎも終わり犬宮の琴の習われる手つきが見たいから何としてでも行きたいと思う。このひげ籠は私のように白髪になっているのが悲しいです」
という文面である。内侍督にも同じ数の贈り物をして、
「すっかりお忘れになって仕舞われましたね。私は何時になっても忘れられません。
うらやまし明暮人からもむすぶらん
ひげこのさまはかげもはなれず
(貴女が可愛い孫を側に置いて朝も晩も影さえ離れず親しくしておいでなのは羨ましい)
私の本当の喜びは末の世になるのでしょうな。貴女や犬宮の琴が聴きたい」
と、書き記されてあった。 使いの蔵人に仲忠は出会って、東の対でほどよく酒に酔わせて一宮の返書を渡し、蔵人を前に歩かせて西の対で徹底的に酒を勧めて酔わせてしまった。使いの蔵人は、
「どうして私のような使いをお引き留めになって、こんなに酒を強いられるのですか。全く不都合なことであります」
仲忠はにっこりと笑って、
「院のお叱りは私が引き受けますよ」
と、更に酒を勧めて徹底的に酔わして仕舞われた。
お使いへの被物は一宮から紫苑色の綾の細長一襲、袴。一宮の女房から「此方へどうぞ」と声が掛かって、その戸口には、裾が濃い朽ち葉色で、刺繍のある帷の几帳を立てて、歳を取った声で「こちらへどうぞ」
と座布団を出して、赤色に蘇枋襲の織物の唐衣、黒く見えるほどに濃い赤である。紅の貼り袷の袙を着て色摺りの裳が綺麗に見える。袖口を長く差し出して坏を蔵人に渡して酒を勧める。
蔵人はこれを見てますます困ってしまう。
「どうすれば宜しいのでしょう」
と困り果てて坏を受け取らない。仲忠は、
「何時もと違うではないか、早く坏を取りなさい」
言うと蔵人は立ち上がるが、よろけて倒れてしまう。中の人達が笑う。蔵人はその坏を取るには取ったが、
「もうこれ以上は受け取れません、御返杯は勘弁願います」
御簾の中の女房が
「どうしてですか」
「今日は脚気で歩くことが出来ませんので」
しどろもどろに応える。受けた坏は飲むまねだけをして、こぼしてしまった。女房は気の毒になってこれ以上は強いなかった。
作品名:私の読む 「宇津保物語」 楼上 上ー2- 作家名:陽高慈雨