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私の読む 「宇津保物語」  楼上 上ー2-

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『段々身体が不自由になってきたので、気に懸かるのは、自分の琴の手を此の世に伝え残すことです。誰に伝えようか』

 と、言われますので若いときと違いまして母も不自由かと思いまして、落ち着いて犬宮へ伝授の場所を拵えまして母の希望に添えようと思いました。

 仲忠、公のことに暇を戴き静かにこの事に努めたいと思います」

 朱雀院は気持ちよく
「そうかそういうことであったのか。それは好都合なことである、去る初秋の相撲の節のときに聴いて。その後聴いていないから、聴かせて貰いたいと思う。伝授のこと終われば行って聞かせてもらう。

 無事に終了したときは、今はこのように退位した身ではあるが、お祝いは私がしよう。

 一宮にこの琴の手が伝授されるのを望んでいたが、犬宮は一宮の子供であるから同じ事である。

 さて、帝が何も仰らずにお前に暇を与えられるか、どうかな」

 仲忠
「場所のことです、帝の御意のままに致します」

「難しいかも知れないが、お許しはあるだろう」

 俊蔭の遺した文書の朗読が残っているのを思い出して言われるのを色々と聞いて仲忠は退出する。

 嵯峨院の蔵人が院の使いで車の側に来て、

「大将の殿に行きましたら、院に居られると聞きましたので、嵯峨院が是非お出で願うようにとのことです」

 仲忠は嵯峨院に参上する。嵯峨院は仲忠を待ちかねて御座所の外に出て仲忠の参上を待っておられた。院は仲忠に、

「この月ずっと待っていたのだ。大変嬉しくて礼を言いたかった。

 それは、一条に不快な思いで暮らしていた三宮が、兼雅との間が良くなったと知らせてきたから、そのことは仲忠が兼雅に言ってくれたからだと私は思う。と三宮から消息があった。

 一宮からも何かにつけて私へ、嬉しいと言ってくるので、私も老い先短くなったので特別嬉しいのだ。このように歳を取って醜くなって人々に嫌われる時に、いっそ四世まで生きたいものだと思う、今一度、いや、十度生き延びたい。心細い慰めごとだな。

 ところで、人が言っていることは真のことであるのか、京極の造作のこと。

 古い建物を壊してつくりかえて、楼という珍しい物を建築している、中々面白いものであります、と言うが本当のことであるか。どうしてすっかり私のことを忘れてと思うと気が滅入る。

 朱雀院の行幸や帝の行幸の際には、私も同行したいものだ。そういうときにでも、みんなに会いたいと思うからね」

 仲忠
「畏まって承りました。度々参内してご機嫌伺いをしたいのですが、公私ともに手の抜けないことが多く御座いまして、毎日暇が御座いません三宮の御事は私がお計らい申したことでは御座いません。折に触れて三宮について有り難く恐れ多いことを父兼雅に申しましたところ、父は自分の思う通りにしようと、宮を三条にお迎え申したので御座います」

 嵯峨院
「あの京極が懐かしいと思うわけは、昔の滋野王、即ち俊蔭の母は私の伯母に当たる宮である。俊蔭の母の源氏(父)は、御息所の腹の妹を妻にしていた。

 自分がまだ親王であった頃、かの伯母の住むところは実に優雅で趣のある処であったから、春と秋、季節の詩文を作ろうと訪問をした。

 今かすかに思い出すのは、あの場所は大変に淋しく心が引かれる処であったが、京極で何をしようとするのだ。何か催しがあるならば、私も参加したいものだ」

 と、仰せになるのを、仲忠は先祖のことを思うにつけ、聞くに付け、みなさんは寂しさ悲しさだけを覚えて言われるので、仲忠にははっきりしなかったことを院が説明してくださったので、面白く有り難く思った。そうして、

「有り難う御座いました。院の御念仏には必ず参加させていただきます。

 昔、私は年が若くて院に参内もしないで憚っていましたが、只今では心から進んで何事の折りでも院の仰せのままにお従い申そうと思っております。私は、密かに院から隔てられていると思っていましたが、母は考えるところがありまして、どうかして京極に住みたい、ついでに犬宮が成長して琴を弾きたい希望のようだから教えてあげましょう。と申します。それで都の内は喧しいところばかりでありますので、少し離れたところに高い楼を作りましたので、殿上人達は何やかやと申し上げるので御座いましょう」

 嵯峨院は大きな驚きと興味を持ち
「行幸よりもそのことの方が天下に渡って面白いことだ。朱雀院は内裏で相撲の節の時に仲忠の琴を聞いている。俊蔭朝臣が唐國から帰朝して琴を献上されたが、その琴の音が日本古来の琴と、びっくりするほどよく響き渡って音が違った。奏法を教えよと言っても聞かず、聴きたい曲も弾いてくれなかった。

 俊蔭がこういう異なることを好んで振る舞っている間に、

『文の道をある者に琴の師としよう。女宮達に教えること』

 と、度々申しつけるが聞き入れず、娘のあの内侍督を夫婦で限りなく愛して二人とない琴の名手に育てていると聞いて、私にも考えがあって、娘に宮仕えをさせよと度々勧めたこともあったが、俊蔭は心の強い思慮の深い人で、朝廷を怨み、世間のことも考えずに自ずから官位を辞して身を沈めてしまった。

 その時の大臣達は、
『日本国のために限りない面目を広めよ』
 と言って、遣唐使に加えて派遣したことを、私が惜しいと思った甲斐もなく、その事とも併せて、私一人を怨み通していたことを、今もって可愛そうに思っている。

『この御代に、あれから三代目になったこの時代に、久しい間の私への怨みを、もう余生幾らもない私に赦して下さるならば、どんなに嬉しいことだろう』

 と、私が申していたと、母君に伝えて貰いたい。
母君の答えを聞くためには、母君のお弾きになる琴を飽くほど聞かせて頂いたら、その時にこそ、本当だと安心するだろう」

 仲忠
「昔のことは詳しくは知り得ません。仰せのことはどの様なことでありましょう。母は老いぼれて仕舞いましたが、そのうちに参りましてよくよく仰せを聞くように申し聞かせましょう」

 嵯峨院は微笑んで、
「いや、それはよくない、そうするには及ばない。仲忠は公私ともに抜けられない人だから、わざわざ母君を勧誘するには及ばない。犬宮に教えが終了した後でゆっくりと聴かせて貰いたい」

 と、嵯峨院は色々と昔のことを話されたが、年寄りであるのにしっかりとした口調である。院が京極に御幸なさることはきつく仰せになった。

 嵯峨院のお住まいはきちんと整理されていらっしゃる。ご高齢とはお見えにならずに清らかで目出度いことである。月の十五日には僧を多くお呼びになって、御念仏を殿上人上達部多くを参加させて院で催される。嵯峨院で行われる儀式は荘厳である。

 仲忠は嵯峨院と話し終わり退出をした。

 
 犬宮の座所を一宮と同じ寝殿の西に小さな几帳を廻らして準備した。犬宮に仕える犬宮と同じ年頃の娘達が犬宮を相手に碁を打っていた。犬宮の手が綾の濃い紫の単衣の袖から差し出てとても綺麗な指に碁石を抓んで盤面に置いている。仲忠が、「どっちがお勝ちなったのかな、兵衛なのか、宮なのか」

 と言って盤面を見られると犬宮は恥ずかしがって石を置かれない。相手をしていた子供達も何処かへ逃げてしまった。