私の読む「宇津保物語」 國 譲 上 ー3-
「うれしくて、気が遠くなるようです。昔はどうしようもなく心が乱れまして、気持ちを落ち着かせようと、文の一行でも御覧になっていただければと、何通も文を送りましたし、会わせなさいと兵衛女房を責めたりしましたが、とうとうお会いすることが出来ませんでした。
その折りに死んでしまっていましたら、今日のこの時がありませんでした」
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藤壺
「私も時が過ぎる間にどのような方法で消息をすればよいか、そういうような良い機会がありませんでした。このように山里の隠遁生活は心配です。自然に近いうちにお聞きになることもありますでしょう。
その様に総てのことが成るようになる世の中ですから、あれこれと言われながらも、変わったことを言うと聞くに堪えません」
実忠
「この世で生きたくない、どうしようもなかったので、しょうがありません、都を離れた景色の良いところであれば、心の憂さも和むかと歩き回って、
山里はもののわびしきことこそあれ
世の憂きよりは住みよかりけり
(古今集944)
の歌のように『世の憂きよりは住みよかりけり』とは言いますが、やはり同じように侘びしいのは、その所の良し悪しには関係がないものです」
藤壺
「まだ世の中を知らない頃は、消息を戴いても返事をしないで、疎遠なものと思っていましたが、今になって初めてその人々に私が思いやりのないと思われるのは大変に申し訳がないと思うようになりました。
もう私の事などを忘れてしまわれた人々と比べると、貴方は今も私を忘れないでおられるのを、いつも嬉しくまたお気の毒に思い申し上げているのをご存じでいらっしゃるでしょうか」
「世から離れた小野ですので、その上お心などをどうして存じ上げることが出来ますでし
ょうか。
今はもう親も生存していませんし、どの様なことから私が普通の者になってしまうことを心配する人も居ません。出家をして深い山に入ろうと考えいるのを、打ち明けたり、そういうことはしなさんなと言われたりする人はいないと思っておりました。
今回思いかけない昇進の喜びをどうしてだろうと不審に思っていましたところ、人の知らせで、
『それほどまで私の事をお考えしていただき、まずは御礼申し上げます』
と、お願いをした次第です」
藤壺
「ご昇進のことは此処でも知りませんでした。将来無事泰平で、思うようになりましたら、宮中で貴方のお役にたちたいと思いますから、出家のお気持ちは思いとどまられて、世間の人がするように宮仕えをして下さるならば私も始終申し上げたりお聞きしたり致しましょう。
そうすれば、本当に私へのお志があったと思いましょう。こんなにまで申し上げても宮仕えなさらないならば、やはり出家のお志があったのだと思いますよ」
実忠
「そう仰るのでしたら時々里へ下ってでも来ましょう。世間の人のように、妻を持つことは致しません。かって貴女に消息を致しました時から、妻とは同居を致しておりません。
此方の殿に住まわせていただいたときは、兵衛の了解を得て妻を訪ねました。貴女が入内なさって、山里に籠もりましてからは下浅の女でも近づけませんでした。
貴女の兄弟達が時々訪ねてきて、私の日常をお聞きになったことでしょう。
いまさら妻を持とうとは考えても居ません。こうしてこのまま死んでしまいたいとさえ思います」
と、大粒の涙を流してためらいながら申すので、藤壺は大変に気の毒に思い、
「今まで知らなかった人で、今珍しく気に入ったのを妻に持つというのでしたら、どう言って良いか分かりませんが、以前の北方の許へ引き続き通っているようにしてお暮らしなさい。
私が見苦しいことは、大勢の私への懸想人達がみんな私がこのようになれば良いのにと思ったようになられた。実忠お一人が、この様にしておられるのは、心苦しいのです」
「妻の居場所は分からないのです。亡き父の形見で私や妻子の分がありましても無駄でしょう。私も長生きしないでしょう。妻子も生きているのか死んでいるのか、死んでいるのでは」
「民部卿実正が知っていて訪ねられたようですよ」
「聞きましたら、近いところにいるのかも分かりません。それにしても、昔の私の行為を忘れたように女を見ることはしません」
「妻を持つことを恐れるようなのは、深い修行の結果でしょう。どうして見当違いのように、受け入れられないのでしょう」
「それが嫌で隠遁を致しました」
「本当を言えば、私のために志があるのでしたら、。先程私が申し上げた通りになさって下さい。私が申し上げた通りにしたくないと思われても、このように切にお願いをしていることを叶えてやるのだと思いになって、して下さるならば、親しく常にお話を申し上げ、また受けることに致しましょう」
「普通の人のようには出来ないと思います。こうして時々お伺いいたしましょう。仰せの通りに従いましょう」
「いいでしょう、これ以上は申し上げません。私自身も安穏に生きられるかどうか分かりません。平和に暮らしているようであれば、時々兵衛の許に訪れて下さい。そのときにはゆっくりとお話を致しましょう。
今は将来どうなるか申し上げにくいのです」
と、話して藤壺は奥へ入った。
実忠中納言は兵衛女房と話をして、暁に帰ったそうである。
絵解
この画は西の対に昇進を喜ぶ人が大勢集まっている。
実忠と藤壺が話している。
(國譲 上 終わり)
作品名:私の読む「宇津保物語」 國 譲 上 ー3- 作家名:陽高慈雨