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私の読む 「宇津保物語」  あて宮

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あて宮


 左大将源正頼の九姫、あて宮の皇太子妃として入内する日が、十月五日と決定した。

 これまで懸想文を送った君達、上達部、親王達思い惑うこと限りがない。

 中でも、源宰相実忠、と、あて宮の同腹の兄七郎侍従仲純の落胆ぶりは酷かった。死ぬだけだと思い惑い、悲恋の悲しみを縷々書き連ねて、毎日あて宮に送ってくる。勿論あて宮は返事は書かない。

 苦悩する中でも仲純は、ただあて宮を思い詰めて湯水も飲まず、死んでしまうのかと思い沈んでいるのを、母親の大宮は可哀想に思って、

「何と情けない姿になったものだ。春宮がしきりにあて宮入内を求められるのを、迷うよりは差し上げようと思うのに、蔵人中将祐純と仲純二人だけが大勢の兄弟の中から選ばれて春宮殿に昇殿が許されている特別な待遇であるから、あて宮が入内と決まったならば、あて宮のことを一切お前達に任せようと思ったのに。役に立たない人になられて、大変悲しいです」

 と、言って涙を流して途方にくれる。

 仲純はあんまり苦しいので、話はするが理解が出来ない、あるかないかの息の下から、母宮に言う。

「月日の経つにつれてこんなに苦しさが増してくるのに、これ以上は生きておられないと思うのです。

 司や冠を人並みに賜って私の出世を見たいと思われる父君母宮の思し召しに添って、御代の限りお仕え申そうと思っておりました。

 それをこのように、このまま死んでしまうのが、誠に悲しゅう御座います。

 大勢の妹がいますなかで、あて宮だけに一生仕えようと思っておりました。入内の時は、せめて雑役などと思っていましたおりに、お役に立てない者となってしまいました」

 と涙ながらに語る。

 大宮は父親正頼に、
「仲純が何となく頼りがないように見えるので、私は思い悩んで病気になりそうです。どうすればよいのでしょうか」

「情けないこと、貴女が気の毒で。どうして仲純に限ってこうなんだろう。私の子供はみんな、親が恥ずかしいと思ったり、人に笑われたりする者はいないが、その中でも仲純は世に抜け出て家門を栄えさせ、新たに氏を持つ筈なのに、このようならば大変残念なことである。世の中というのは、色々と有って騒々しいことである」

「侍従仲頼が患っているように、みんなも患っています。源宰相実忠も死ぬんだと言っているようであります。

 今年という年は、巡り巡ってこうなる年であるのです。何となく騒がしくて落ち着かない年で、春の始めより人々は行動を慎んで、御嶽参り、熊野詣でに高貴な身分の上達部が車に乗らないでわざわざ高い山に登って祈りをする年なのです」

 それでも、あて宮の入内の日は近づいてきた。

 あて宮の手回りの道具、あて宮始め女房供人に至るまでの装束を新しくされた。

 供の者は、女房四十人、位は四位で、或者は宰相の娘である。髪は身丈よりも長く、身長も丁度良い高さで、字も上手いし、歌も良い歌を詠い、琴の他弦楽器を上手く演奏する。

 相手との応答も見事で、年齢は二十歳前後で、服装はみんな唐綾で平絹は全然混ぜない、そして色は全員が赤色。

 童六人、五位の娘の十五歳以下で、容姿は大人のようである。装束は、唐綾の赤色五つ重と表衣、綾の表袴、袷の袴、綾の袙を着る。

 下仕え八人、素人の織った粗末なものは着せない。檜皮色の唐衣に紅葉襲の表着。貴族の家人で五位六位の者の娘二人を、あて宮の樋洗いとして従わせた。
 端の娘に至るまで、恰好もいいし身なりも整っていた。 

 あて宮入内当日が来た。車が数多く集まる。

 あて宮の供の人、身分に応じた装束で、日が暮れるのを待っていると、

 仲忠中将から、縁を金銀で飾った蒔絵置口の箱四つに、沈木で造った髪飾りの挿し櫛、他に、装飾用の髪飾りが四通り。髪を梳る用品(御髪上みぐしあげ)四揃い。
 髪に添えて結んだそえがみ、仮髻(すえ)、女官が正装の時に頭髪の前につけた、玉石類をちりばめた飾り、蔽髪(ひたい)、細長い両脚形に作った女房装束着用の時に用いた理髪用具、釵子(さいし)かんざし、元結い、彫物の飾りのある櫛、彫櫛(えりぐし)、珍しい物ばかり。

 鏡、懐中する紙、畳紙(たとうがみ)鳥の子紙の色紙、歯黒の道具一式。

 薫物(たきもの)の箱は銀の箱に唐の合わせ薫物を入れて、沈でご飯のように作った物に、銀の箸が添え、薫炉(ひとり)一番(ひとつがい)に沈の灰を入れて、黒方(香名)を炭のようにして入れて、小さな銀の炭取りなどを添えて、繊細に美しく仕上げて贈り物にされた。その髪調度の入れ物に、  

 からくしげ明くれものを思ひつゝ
みなむなしくもなりにけるかな
(明けても暮れても貴女のことを思って、あれこれと将来を頼みにしてきましたが、なにもかも駄目になってしまいました)

 調度の箱の中に入れておいた。


 仲忠はあて宮の供をして東宮殿に上がる女房の孫王に夏冬の装束を贈り物とした。仲忠の使いの者が、持ってきた贈り物を置くだけで帰ってしまった。

 中将源涼は夏冬の装束などを美しく調えて、沈の箱四つに畳んで入れ、美しく包装をして、

 人しれずそめわたりつる袖の色も
    今日幾入(いくしお)とみるぞかなしき
(人知れずに思っていたその涙で赤く染まった袖が、今日又新たに濃くなったのを幾入(いくしお)かと思うにつけて、悲しゅうございます)
 幾入(いくしお) 布を幾度か染めること

 歌を入れて贈る。

 大宮は正頼を見て、
「言葉がないほど美しい贈り物である。
 このまま貰えば気がかりであるし、返すと情がないと思われる。贈り物は人を驚かせるほどに立派なものである。返さずに戴いておいた」

 と笑って言われた。

 宰相源実忠は悲嘆にくれてばかりしていないで、女房の兵衛の君に孫王女房の装束一具と同様な物をを贈って、

 もゆる火も泣く音にのみぞぬるみにし
       涙つきぬる今日のかなしさ
(私を苦しめる燃えさかる火も、涙で少しは下火になりましたのに、その涙は今日は出なくなってしまいました)
 
「あて宮と話す隙が有れば、私がこのように言っていたと話してください。総てのことを忘れられませんが、もう何も考えられません」
 と、言い足した。
 
 こうしていると、
「仲純侍従、人の顔も分からない、気絶なされた」
 と、騒ぐ。

 大宮に正頼は一方では仲純の気絶騒ぎが気に掛かるが、その一方であて宮入内の準備を急がれる。
 大宮は仲純の局を覗いて、

「加減はいかがか、あて宮入内のことで貴方の看病は出来ませんよ」

 仲純
「もう私は死ぬでしょう。今一回、あて宮に会うことが出来ませぬか」

「なんということを、どうして死ぬようなことがありましょうか。それでも、今すぐにあて宮を此処に呼びましょう、来るであろうか」

「今日死ぬようなことはないだろう」
 大宮は独り言を言って、あて宮に、

「兄の仲純が、死ぬような心細いことを言っていますから、行って見舞いを言ってやりなさい。入内という目出度いときに、縁起でもないと思うけれど、侍従がどうしても貴女に会いたいと言うから」