私の読む 「宇津保物語」 菊の宴 ー2
大宮は即答をしないで、
「今思いがけないことを頼まれているのです。お話のことは暮れ方にお伺いいたしましょう」
「同じ事ならこの場でと思いますのに、不安な話ですね。後になって、あれは・・・・とは言われないように
としふれどわが身かはらぬ子の日には
まつもかひなくおもほゆるかな
(年は経っても私のまわりに変化がないので、今日の目出度い子の日もまつ甲斐もありません) 」
大宮は
ときわかず子の日のあまたきこゆれば
かはらぬ松とえこそ頼まね
(年に一度というわけではなく、数多くの子の日をお待ちだという評判なので、貴方の仰せのように、変わらぬ松などと、ご信頼申し上げられません)
そうして、春宮が去った後で大宮は大后に、
「春宮はあて宮を望まれるが、私と同腹の妹四宮と兼雅の娘梨壷をご寵愛なされていることを聞いていますので、あて宮を春宮に差し上げることは出来ません」
大后は
「どうして、このように私の許に来られたのでしょう。春宮からの御懇請を待たずに、此方から差し上げるのが筋でしょう。宮廷以外の生活、里住はなさらない方が宜しい。
もしも入内なされば、私が後見を充分に致します。春宮も思い余るのでしょう。
『お願いしてから随分になるが、御返事がないと仰ってください』
と、度々私に言われるので、今日のような日についでにと思いまして、話すのが遅くなりました」
「呆れるほど稚(いとけな)い上に、万事不十分で半端ですから」
「さてさて、妃達の中には格別此方が恥ずかしくなるような相手もいませんよ。右大将の娘梨壷だけは容姿も綺麗で、気持ちも穏やかで、春宮が召されることが度々あるようです。なかには他の妃が召されることもあるでしょう。
太政大臣季明の娘昭陽殿のお方は申すに及ばず他の方々も召されることもなく、何かたわいもないことをなさってお出でです。
そこで早く入内なさいませ、嫌らしく春宮に攻められないように」
と、大后は大宮に言う。
大后は帝(朱雀帝)に今日の祝い物を差し上げようと、蔵人の少将を使者にして、このような文を送られた。
けふよりは君にを見せむちくまのに
萬代つめる今日の若菜は
(ちくま野に万代を込めて摘んだ今日の若菜をあなたにお目に掛けましょう)
と、奉った。帝も兼ねてから気にしていらっしゃって、黄金で作った山や動物などを贈り物にされた。そして、
若菜つむ野邊をば知らで君にとは
亀のを山の小松をぞひく
(若菜を摘む野邊を知らないので、あなたのためにと、亀の小山の小松を引きました)
などと、贈り物とともに返歌をなさった。
春宮は帰られた。
上達部・親王達には、女の装束、それ以下の人。には、位に分けて与えられた。嵯峨院に仕える男女には男は、白い袿、袴、女には、装束一具ずつ。春宮の供の人には殿上人、東宮坊の使用人まで与えられた。
こうして宴が終了して、正頼は帰る。車が多数引き続き、正頼一家の男達は仲純を初めとして馬で、上達部以外の者達も馬で帰る。
頭中将仲忠、仲純侍従は馬を並べて手綱を引いて話しながら帰るなかに頭中将は、
「この世界で、このような大きな宴は、吹上の浜の遊びが最大で、それに次ぐものは無いと思っていたが、正頼殿にこそ、他の人には真似が出来ないものが有ったのですね。
宮あこ君の舞、あて宮の箏は、三千大千世界には相手になる者が居ないようでありますね。中でも今夜のあて宮の箏の琴は素晴らしかった。
源氏の中将涼や仲忠らは、自分の耳が声に誘惑されてあの琴のあたりに」
「いかにも、はっきりしないので、何となく不安であった」
仲忠は
「あて宮の事となると、まるで人が変わってしまうとは思いませんか」
「花咲く里を見棄てて、花のない里へ飛んでいく雁のように」
「そうですね、恋しい女を捨てて」
当時流行の戯れことを言いながら正頼の殿に帰ってきた。
正頼一家が帰る、とそこに春宮より
「今日一日大変に嬉しかったのは、待たなければならないと思っていたことが、もうすぐ実現すると思ったことです。そこで、
君によりたゆげに袖もひぢぬれば
うれしかりしもえこそつゝまね
(貴女のことで、気がゆるんで涙がこぼれて袖が濡れてしまったので、この喜びを包みきれずに申し上げるのです)
今すぐ入内を早く。川島の松のように何時までも待っているとはお考えになりませんように」
と、伊勢物語二十二段
むかし、はかなくて絶えにけるなか、なほや忘れざりけむ、女のもとより、
憂きながら人をばえしも忘れねば
かつ恨みつゝなほぞ恋しき
といへりければ、「さればよ」といひて、男、
あひ見ては心ひとつを川島の
水の流れて絶えじとぞ思ふ
とはいいけれど、その夜いにけり。
を、借りて言ってこられたので、大宮は、
つゝむべき袖のくちなばうれしさも
つひになき身となりもこそすれ
(包むはずの袖が朽ちたならば、嬉しいことも嬉しいと思わない身になりましょう)
と返歌をすると、春宮から、
いづこにかつゝまざるべき嬉しさは
身よりもことにあまりしもせじ
(何処にでも包めるのですから、嬉しさが身から外に余るということはありますまい)
と、言われたので、あて宮は
雲にまだおよばぬ身よりあまならぬは
ながき心のなきにやあるらん
(雲にまでは達していない我が身が余らないのであれば、気長いお気持ちがないのではありませんか)
と、思いましたので。
そうして、大宮も正頼も春宮を信頼している、とあて宮を懸想する人達は、精進潔斎して、各寺に、不断の修法を毎日七回行わせ、それを春の初参りの日まで行わせて、大願を掛けたり。
あるいは、山林に入って、吉野の奥の金峰山、加賀の白山、豊前の国の宇佐社まで参り、願を掛ける者の中に、源宰相実忠は、人の世の移り変わるのも知らずに、正頼の殿を片時も離れずに、草木を眺めては涙を流し、このようにあて宮に訴えた。
ことの葉もなみだも今はつきはてて
たゞつれ/”\とながめをぞする
(言葉も涙も尽き果てて、ただ、ぼんやりと 思いに沈んでいます)
最早何と申し上げるすべもございません。この年頃思い惑っているこそ甲斐がなく、間に人を立てず、夢ほども直接に申し上げないでしまったこと。
貴女が雲の上に行ってしまわれても下の方から申し上げることをお許し願いたい。もうしばらくは、無駄に死なせないでください。
と、文を送ったが何の御返事もなかった。
右大将兼雅
入内がお決まりになった今では、申し上げるのも大変恐縮で御座いますが、
「今日のみと春を思はぬ時だにも たつことやすき花の蔭かは(今日限りで春は終わりだとは思わない時でさえも、たやすく立ち去ることが出来る花の蔭だろうか)躬恒 古今集134」
と言う歌の心地が致しております。そこで、
八百万あれたる神はねぎつれど
君は物きく時のなきかな
作品名:私の読む 「宇津保物語」 菊の宴 ー2 作家名:陽高慈雨