私の読む 「宇津保物語」 祭りの使い ー2
と博士達に尋ねると、博士は、
「季英はまことに知者で御座います。そうであっても、季英は落ち着かない性格であって、公職には就けない者であります。季英が世に出ましたならば、公私に妨げとなるやもしれませんので、お仕えさせられないので御座います」
聞いていて季英は爪を弾いて天を仰いだ。
正頼は一人一人に、
「博士の言ったことは本当であるか」
と尋ねる。
博士達も他の者も、暗黙の中に一致して、否と
答える者が居ない中で、忠遠(ただとう)進士は、
「只今、勧学院で、心が定まり、知識有る者は、この者だけであります。他人に対して罪を犯したり過ちをしたりすることは、藤英の生涯に考えられないことです。藤英の身にしっかりした後見がないのを欠点として、大学の院内でつれなく扱い、家が富んでいれば頭の悪い学生でも優遇する、藤英が孤独で学問に疲れたときに、意地悪く試験を行うのです。
藤英は其れを気にして疲れ臥すことはありません。誰からも離れて孤立の状態で頑張っている学生であります」
と。忠遠は左大将正頼に申し上げた。
忠遠の言葉を聞いて正頼は、
「大学勧学院というのは、元来、大臣公卿高位高官を初めとして氏の一族が領土から上がるものを分けたり、荘園からのものを納めたり、賜る禄で維持したりする。
『大学の道に学所倉』
と言うことがあるだろう。
名門と言われる正頼でさえ、殊更しないことだ。御子達への公の爵録は、多くの数がある。私も頂いている。
そうではあるが、家に功績が有る者が頂いて、其れが家計に余るのを勧学院へ納める。
季英が言うとおりならば、公に仕官するのが当然である。勝れた所がない者でも身の零落を憂慮するのは尤もなことであると思う。
貧しいのをその人の欠点だと、正頼こそ世の交わりが出来ないのだ。
性格について言えば、身に憂いがあるときは公私ともに憂いが付きまとって、例え立派な人でも心が落ち着かないものだ。思いが叶えば万事が解決する」
と、正頼はみんなに告げる。博士達は畏まって聞いていた。
正頼は季英の作詩したのを、側にいる者に誦させて、琴の音に合わせて唄わすと、問題なく立派で上手く出来上がっている。正頼は季英に杯を与える。
色かへぬ松をばおきて藤が枝を
秋の山にもうつしてしがな
(色を変えない松は差し措いて、藤の枝を秋の山に移し植えたいものだ)
季英正頼の歌を頂いて、
あらがねの土のうへよりふぢかづら
這ひ出し今日そうれしかりける
(埋もれるものと覚悟をしておりました私は、藤の蔓が土の上に這い出したように、今日は嬉しく感謝に堪えません)
と、正頼に申し上げた。
正頼が藤英のみすぼらしい姿を見て、哀れと思っているときに、民部丞(民部省二等官大丞が正六位下相当)である藤原元則(もとのり)が、新しく美しい礼装(袍下襲)で、立派な石帯をさして正頼の前に現れたのを見て、正頼は、
「この学生は今、誉れを得た美男子だ。元則は暫く布衣(ほい)となって、お前の衣装をこの藤英に貸してやれ」
元則、承って藤英を呼んで人のいないところで頭髪を綺麗にし、ひげを剃り、装束を着せながら、
「お前さんは運に強くて幸運を得ましたね。私どもも学問の道が大変困難で辛いものだということは存じています。共に勤めに励みましょう。元則の家にもお越し下さい」
と、言いながら藤英の装束を調えた。
きちんと装束に身を固めた藤英は、みすぼらしい藤英を笑った学友達よりも立派に見えた。作詩も総ての作よりも勝れていた。正頼のおぼえ目出度きは藤英が一番であった。
階下の(垣下)の楽団が音楽を奏でて、一同は夜を明かして遊び、暁方に、博士四位には、女の装い、五位には白い張り袴一襲。袷の袴一襲を四位五位に渡された。藤英も頂戴した。
藤英が「院の歩み」の最後に付いたのは大変な決意だったので、正頼に見いだされることで首尾良く終わったのに、有名なあて宮に会わなかったことが悲しかった。兵の剣で斬られる思いであった 。
しかし出来ることではないと思い、中の大殿東面の竹の葉に書き付けた、
彦星のあひ見てかへるあかつきも
思ふ心のゆかずもあるかな
(彦星が織女星に会って帰る朝の悲しさは、私の叶わぬ思いに比べたら羨ましいほどだ)
正頼殿から退出した。帰ってからも藤英は西曹司で恋に悩んでいる。
(註、この辺の描写はなんか可笑しい)
そんなことがあって、東宮から
つれもなき人をまつまに七夕の
あふ夜もあまたすぎにけるかな
(冷淡な貴女を待つ間にもう何回七夕が来たのでしょう。その間彦星は織女星と何回会ったことでしょう)
いつも羨ましい思いをおさせになりますね。これからもこうなのでしょうか、そちらへお伺いいたしましょうか。
あて宮
七夕のあひみぬ秋をまつ物を
あふよをのみもあまたきく哉
(二星が逢う、年に一度来る秋の一夜のために、じっと待っている方が多いのに、会う夜ばかりを数えなさるのですね)
とんでもないお羨みばかりなさるのですね。実は何時お出でなさっても宜しいように、戸の鍵は施錠していませんの。
源宰相実忠が正頼の中の大殿の簀の子で、正頼の男の君達が碁を打っている夕暮れに、御簾のところで実忠はあて宮の女房兵衛の君に、
「どうして先夜は下屋にいらっしゃらなかったのです。今はもう貴女さえ私にいよいよ冷淡におなりになのが頼りないのです」
「変わらないのが冷淡に見えるのですよ。先夜は食事の賄いにお仕えいたしておりましたので」
などと言っていると蜩が鳴き出す。
宰相の君(実忠)
ゆふさればまろねする身のわびしきに
なくひぐらしの声やなになる
(夕とも成れば尋ねるところもなくて、独り寝する自分が悲しくて蜩の鳴くのも私に比べたら何でもないと思いますよ)
と詠うが、あて宮はその歌をお耳にも入れない。
兵部卿宮から
おく露に萩の下葉は色づけど
ころも打つべき人のなきかな
(置く露に萩の下葉色づく秋になったが、衣替えの衣を砧で打つ人もないのですよ)
どう致しましょう。こうして一人住みばかりもしていられませんのに、いつまでも冷淡なご様子を拝見するのは、悲しいことです。
と送るが返歌は無し。
右大将兼雅、
いくたびか夜にかへすらん唐衣
返/\もうらみらるゝは
(せめて貴女と夢にお会いしたいと、幾たび夜の衣を返したことでしょう。かえすにつけても恨めしく思いますよ)
送るが答え無し。
平中納言殿より
うら風はあるゝ海にも吹くものを
などあらしも早き川瀬ぞ
(沖が荒れていても、和やかな浦風は吹くものですのに、こちらの恋心が波立つ早い流れだからと言って、何も嵐が吹くようになさらなくても、宜しいでは御座いませんか)
貴女は珍しいお心の方です。
三の親王
おぼつかなまだふもみぬ物ゆえに
君はあたごとおもほゆる哉
作品名:私の読む 「宇津保物語」 祭りの使い ー2 作家名:陽高慈雨