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私の読む「宇津保物語」第六巻 吹上 上ー2

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こうしていると、用意された贈り物をその数通りに客人に渡す。贈った馬を綺麗に飾りを付けて、腋の飽いた袍を着た馬小屋の人が一頭に二人がついて、さらに一人の馬引きが馬を踊らせるようにして客人の前に現れ、さらに荷物を負わせた馬が続いて現れる。引き出物が現れる度に、舞人の出に奏する乱声(らんじょう)が奏せられ舞人が舞う。

 種松北方が、仲忠、仲頼、行正三人の客人に、道中の神々に捧げる供え物「弊(ぬさ)」を渡す。銀の透箱を各人に一つ「ぬき」を入れる。黒方の香墨、砂鉄、銀、黄金を「ぬさ」にした。箱を結ぶ紐に挟んで北方の歌が付けられていた。仲頼少将に宛てては、

 今はとて立つとし見れば唐衣
       袖のうらまで潮の満つかな
(今こそお別れだと仰ってお発ちになるのを見ますと、唐衣の袖の裏まで涙の潮が満ち溢れるのでございますよ)

 仲忠に贈った弊の入った透箱に、

 古郷にかへる弊(ぬさ)だにとり憂きを
 やどに待つらん人をこそ思へ
(故郷にお帰りになる旅にさえ別れが惜しまれて、弊を差し上げるのが悲しく気が進みませんのに、久しくお帰りをお待ちのご両親様の御心が思いやられます)

 良佐行正に、砂金の入った箱に、

 君がため思ふ心はありそ海の
       濱の真砂におとらざりけり
(貴方を思う私の心は、荒磯の濱の真砂の数にも劣りません)

 その日の被物は、赤色に二藍襲の唐衣。袷の袴が添えられる。将監達には、裏のある白張り袴。

 そうして、やっと出発した。涼は部下を連れて、紀伊の守他、国中の者が見送る。関所で別れる。


絵解
 ここは吹上の宮、涼の部下達が衣替えして居並ぶ。乗馬で現れた者達は腕に鷹を据えている。旅行用の食物・雑品を入れた旅籠を馬に負わせる。遣り水に黄金の舟を浮かべた細工物、衣の櫃、蘇芳の籠などが前に並べられた。すかしのあるかざり箱、「すきはこ(透箱)」も並べる。

 この絵は、客である仲頼達が直衣姿で馬に乗り出発する。

 二番目の絵は関所で、紀伊の守が開いた別れの宴である。仲頼達には沈の折敷を廿、供の者には机を並べて、料理を並べる。被物は女性の装束を一襲ずつを肩に掛けて差し上げる。絹を衣櫃に入れてさしあげる。そうして紀伊の守が立ち去り仲頼達は京へと向かうときに、都鳥が遠くでなく、

 仲頼少将

 名にし負はば関をも越えじ都鳥
       こゑするかたをもゝしきにして
(都鳥がその名の通りであれば、都鳥の鳴く方向を宮廷と考えて、関を越えることを止めにしましょう)

 仲忠侍従

 いとゞしく越えうき物を都鳥
       関のこなたにきくがうれしき
(今となってはいよいよ切にこの関を越えることが辛く思われるところへ、都鳥の声が此方でするのがうれしい)

 良佐行正 紀伊の国が忘れられなくて

 夕暮にたなはなれたる駒よりも
       涙の川ぞはやくゆきける
(夕暮れに何かの拍子で手綱が取れて自由に喜び走る馬よりも、もっと早く私の別れを悲しむ涙は流れますよ)

 あるじ涼

 行く人の駒もとゞむぬ棚橋は
       惜しみとりたる甲斐もなきかな
(行く人を惜しんでその人の馬が進めないようにと、棚橋をとった甲斐もなく、お止めすることが出来ないのですね)棚橋とは棚のように板を渡した簡単な橋のことである。

 紀伊の守

 なきたむる涙の川のたきつ瀬も
       急ぐ駒にはおくれぬる哉
(別れを惜しむ涙が川となり瀧となって走るのですが、急ぐ駒には遅れてしまいました)

 と、互いに別れを惜しんで関に別れて、仲頼達は京に上り、紀伊の人は田舎に帰って行く。

 

 こうして、四月四日の夜更けに、宮内卿の屋敷に一行は到着した。宮内卿は帰還の宴をしっかりとした。仲頼達には黒柿の机二台、羅の薄物の表。将監達には朴の木の机をお渡しになった。

 宮内卿は杯を持って

「あちらは如何でしたか、浜辺のご馳走で満腹なさった貴方方には、このような山の料理のようではなかったでしょう」

 仲頼少将

「しかし、私は我妻の宮内卿の娘のことが気になりまして、おちおちご馳走を頂く気持ちになれませんでした」

 山里にこのめを置きてわかれては
        濱のほとりにかとぞなかりし
(山里に妻を置いて一人で行きましては、浜辺に参っても本当に甲斐はありませんでした)

宮内卿

 きを朽みふたつときらぬ枝なれば
        あかずあはれと思ふこのめぞ 
(もとの木が危ないので滅多に切らなかった枝を貴方のためには切って差し上げたのです。常に大切にいとしと思う木の芽を差し上げたのです)

 仲頼は、舅の宮内卿に、沈の破子、牛などを差し上げた。侍従や行正は宮内卿に宴席の礼を言って、仲忠は桂の屋敷に、良佐行正も別れて退散した。

 さてこの三人は、紀伊の国から持ち帰った物珍しい物を、友人朋輩に配った。
 仲頼少将は、黄金の舟を内裏に、銀の旅籠馬は左大将正頼に、破子は宮内卿に、北の方には透箱始め細工物を渡した。

 仲忠侍従は、銀の馬は父の右大臣兼雅へ、破子は嵯峨院に、透箱を始めとした細工物は、母親の兼雅北方へ舟と被物の清らかな物だけは思うことがあって手許に残しておいた。

 良佐は、妻も子も親もいないので、船は東宮に、旅籠馬は嵯峨の院に、破子は后の宮に、そして透箱の他の細工物は手許に持っていた。

 左大将正頼は中の大殿にいってあて宮に琴を弾かせて聞いていて、中君以下夫のある姫達が来られたときに、四郎の左衛門佐連純が正頼に、

「少将仲頼がお出でになりました」
と、伝える。正頼は

「久しく訪れがなかったが、遊び歩いて斧の柄が朽ちてしまったらしい。この一月ほど目に付かなかったが。此処でお会いしよう」
 と言って、簀の子に座る場所を作らせ「ここへ」
といって、対面した。
 
「この頃内裏にも参内しないで、この京の中にも見かけなかったが、どうしたのだろうとおかしく思っていたが」

 仲頼は

「申し訳ございません。粉河寺に願果たしをしようと思いまして、紀伊の国の方へ出かけておりましたところ、おかしな人に見られて京へ上ることが出来ませんでした。昨夜やっと帰って参りました」

「それは誰ぞ、思いつかないが」

「紀伊の国の判官・尉(じょう)である、神南備種松と言う者の孫である源氏涼で、粉河への道の辺に今も住んでおります。司の尉が松方尉を見付けて我が方に来まして、涼が

『一日か二日ばかり馬牛を休養させて、それから京に上られては如何』

 と言って止められたので、泊まることにしましたが。それが、どういうことか、言うところの西方浄土に住むような気がいたしました。
 
 吹き上げの宮と呼ばれているかの者の住むところは、四面八丁の地所に大殿を、金銀、瑠璃、しゃこ、瑪瑙で造り磨き上げ、周りは、千もある堂塔を造り鸚鵡・孔雀が鳴かんばかりに造られたところに住んで居ました。お話だけではお分かりにならないと思いまして、彼の地を想像していただこうと、頂いた彼の地の土産をお持ちいたしました」

 と言って、涼や種松他から貰った品物を見せた。 正頼は