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私の読む 「宇津保物語」  梅の花笠

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 木工の助は、宮内省に属する木工寮の次官。正六位下相当。宮殿の造営、修理等、工匠の事を司る役人。

 右近の尉清原の松方「夏を催す虫」

春山の木のねの蝉はすをせばみ
       夏の木の葉やこひしかるらん
(春山の木の根を巣にしている蝉は、巣が窮屈なので、夏の広々した木蔭がさぞ恋しいであろう)
 兵衛の尉藤原ちかまさ「秋をまつ木の葉一

春わかみほのかに見ゆるこのめには
       秋こそいとゞ遠く見えけれ
(春が若いので、木の芽があるかないかわからない程ほのかで、これが大きくなり夏を経て色づく秋になるというのは大変遠い先の事と思われる)

 右兵衛尉在原の時蔭「冬をいなぶる烏」(冬をいやだといって受けつけない鳥)

冬山に巣くひし鳥もはだ寒み
       春のさとにや宿とるらん
(冬山に巣をつくって棲んでいた烏も寒いので、春の訪れた里に宿をとるでしょう)

 右兵衛尉もとすけ「まとゐにたらぬ月」(団楽に月が参加しないという事)

わがともの野べのまとゐにおくるゝは
       すぎにけらしな春の望月
(我々友達の野辺の団楽に月が出ないのは、春の十五夜が過ぎてしまったからだろうな)

 同じき尉平のこれすけ「オくれたる月」

あさかげに遥かにみれば山の端に
       のこれる月もうれしかりけり
(朝の光で遥か遠方を見ると、月が山の端に残って、私を待っていたのかと実にうれしい)


 このように誰も彼もが歌を詠もうと楽しみがます夕暮れに、正頼の北方の前で、姫達の演奏がある。その中に、あて宮が、かって左大臣源忠恒の北方が所有していたのを正頼が買い取った「かたち風」と言う琴を、「こか」という曲を、耳慣れた部分を何回も引いて演奏した。
 この「こか」の曲が仲忠以外の人には容易に弾く事が出来ないものである事、しかも当時有名な曲で、人々が少くとも名前は耳にして親しみを持っている曲である。あて宮は仲忠から習っていた。仲忠は、

「申し分のない弾き方である。少し手直しが必要かな。いつになったら私の手を完全に憶えられるだろう」
 と、気持ちは全く別のことを考えていると、あの忠こそ行者が、出家をした先の鞍馬山に大きな寺を建てて父母のために、厳かな経仏の供養をして、人と言葉を交わさず一筋に仏道修行をして、ねごとにも教典の語句を口にしている。
 
 忠こそは、右大臣橘千景と源氏初代の娘が十四歳、姿が清らかであると有名であったのを妻に迎えて、共に仲むつまじく暮らしていたが、妻が十六才になった年の五月五日、光り輝く男の子を出産した。名前を「忠(ただ)こそ」と付けられた。

 母親は忠こそ五歳の時になくなった。父親の千蔭景が育て成長したが、左大臣の北方が、夫の亡き後に、千蔭に言い寄るが、相手にされず、陰謀をはかって、その結果忠こそは行者とともに山に入ってしまう。千蔭は忠こそを思い死んでいく(忠こそ巻)

 その忠こそが再度登場した。

 忠こそが師事した山伏は、賢い知者で仏教の本旨を極めて鞍馬を出発地として六十余の国を巡って仏前、社に詣でて祈念し読経をして行をした。
 
 忠こそは、春日社に詣でると、一夜大般若経の主要な部分を読経して、「次は熊野に詣でることにしよう」と計画を立てて出発すると、春日社で演奏するあて宮の琴の音に心が引かれて急いでその音の方へ向かう。忠こそが見ると、色とりどりの幔幕を張り巡らして、人々が大騒ぎをしているのが花が一面に咲いているように見えた。 風に混じっていろいろな騒音が聞こえてきた。

 そこで近くによって聞くと、そこにいた随身や舎人達が、

「行者さん、貴方はどちらのお方ですか、仏に仕える身で神の社に現れるとはいかがなものでしょう」

 と、咎めるのでこのように忠こそは言って立ち去った。

 珍らしく風のしらぶる琴の音を
きく山人は神もとがめじ
(珍しく風の奏する琴の音を山伏が聴いていたといって、神はお咎めになるようなことはあるまい)

 というのを仲忠が聞いて、呼び止めて、

「なかなか興味を惹く歌を詠まれる」

 と、着ていた袙を脱いで、行者の忠こそに被(かづ)けた。そして、

 みな人も衣ぬぎかけ松風の
ひゞき知りたる人やあるとぞ
(私と同じように皆さん、衣を脱いで、松風の響きを愛でる風流な人がいる筈だが、その人にかずけてください)

 行者の肩にかづけて、社の前よりあの「かたち風」
戴いて、あて宮と同じ、こかの曲をさらに上手く奏した。少しの手抜きをしなかった。

【胡笳こか】中国古代北方民族の胡人が吹いたという、葦(あし)の葉で作った笛の調べを琴の曲としたもの。胡の国に長く捕らわれていた後漢の蔡琰(さいえん)の作という。琴の曲名。

 帝が自ら琴の調子を合わせて、仲忠に演奏するように差し出しても辞退して演奏をしないのに、このように仲忠が自分から進んで演奏をする、聞いている全員がこれは珍しいことであると興味を持って聴き入った。

 兵部卿の御子(正頼の北方大宮の弟)

「侍従仲忠は帝のご命令であっても琴に手も触れないのに、行者のためには手を惜しまずに演奏をする」

「そのことは忘れてしまいました」

 と答えて、こかの曲全部を演奏し終えた。左大将正頼は、綾掻練の袿一襲、萌着色(浅緑)の小袿一襲、袷の袴一具、神前より持ってきて、仲忠に与える。正頼は行者を呼んで顔を見ると見覚えのある顔であった。

 さてこの人物は、見覚えのある人物を次々と浮かび上がらせ、あの忠こそだと思い当たり、

「不思議な思いでそなたを見ていたが、この正頼を存じていらっしゃる」

 行者は、

「一向に分かりませぬが、どなたでいらっしゃいますか」

「昔、帝のお前に藤原君という右大臣がおられた。貴方はその故右大臣(橘千蔭)の子供さんの忠こそ君とお見受けいたしました。お気の毒なそのお姿は、如何なされたのですか」

「今はこのように鳥や獣に混じって長い暮らしを致しましたが、お忘れになったと思っていました。この山伏姿があれからの私でございます。貴方様はお位は何でございます」

「私は、納言のようなものでございます。(大将かけたる正三位の大納言とある)前々から忠こそ君は如何なされたのであろう、とお噂をしていましたが、かような惨めな山伏姿におなりになるとは。一体どうしたお心の変化で山伏になろうと思い立たれたのですか」

「私は、五歳で母を亡くしまして、世を過ごしていましたが、情けなく思っていました。一人っ子であります。
 父親の心を知らないではいけないと思って、自分の気持ちを奮い起こして殿上の勤めを果たしていましたが、色々と心に不愉快なことに合いまして鬱陶しく思い、十四歳の時にお前を退出しまして山に籠もることにいたしました。

 今年で二十年になります。(忠こそ三十四歳)
 幼いときに母との死に別れは生涯の悲しみであると思いまして、前世の罪を償いたい、母御も仏の国へ無事に行かれること、穀類を断って全国を行脚をいたしています」