私の読む「宇津保物語」第 四巻 嵯峨院
(露のかかった美しい籬(まがき)の菊を見る人が、物思いに苦しんでいると仰っても、誰がそれを尤もだと申しましょう)
三宮は、あて宮や八姫の歌を見て、
「たよりのないこと」
そうして、姫君達は内へ入られた、人々も去った。
絵解
この絵は、正頼の姫君男君達が集まって管弦の遊びをしている。親王三宮は菊を折っておられる。
この絵は、女房四十人ばかりが、姫君達の前に並んで何かを差し上げる。
東の棟より起きて来たので果物を差し上げる。
そうしていると東宮の従兄弟の平中納言、正頼大将の屋敷を訪問されて、侍所にいた三男の右近中将祐純と会われた。
「久しくお尋ね申し上げなかった失礼のお詫びを申し上げようと参上いたしました」
「その旨のお言葉を父に伝えましょう」
と言って祐純は奥に入って、
「平中納言様がお見えですよ」
と父の正頼に伝える。
「あちらには人がいる、こちらでお会いいたしましょう」
と寝殿の簀の子に座を造り二人対面して世間話をする。
中納言は、
「このところ久しくお伺いいたしませんで、知らないことが多々あります」
正頼、
「恐縮です。持病の脚気が再発いたしまして、休暇願を出しまして家に籠もって参内致しておりません」
「先日の花の宴にお出でがなかったことを東宮が気にして、何かと様子をお聞きになりました」
「どなたがご出席になりましたか」
「右大臣忠雅、右大将、民部卿、親王達でした。博士も招待されていました。学士正光、式部の大輔忠実朝臣、右中辨惟房朝臣、秀才、進士達も招待されてました。詩と和歌二つの会が設けられました」
「すべての道に明らかな人大勢参られたな。そこで詩は如何でしたか」
「律詩でありました。御題がございました」
「その詩こそが興味がありますね」
「当日私は突然、人に言われて騒ぎに巻き込まれました」
「それは誰が、我が一家の者でしたか」
正頼は自分の家の者かと心配するので、中納言は、
「まあ、そんなところでしょう」
「其れで、どんなことがあったのです」
「一日少し用がありまして参内しました所、あの方この方と参集されておられて、正頼様が参内なさらないのは、どうだこうだと喧しく言う中で私が何気なく『おかしいことですね、左大将が参内なさらないのはご病気のせいではありませんか』と申しましたので、上野(かんづけ)の宮が大変に驚かれ
『正明(平中納言の名前)朝臣はなんということを言われる』
と、厳しい声で言われるので、東宮はじめ右大将、兵部卿の宮、他大勢の方が、大変なことと驚かれる中、上野宮は、
『左様な軽々しいことは申し上げるでない。正頼様とは並々でない関係の正明が、御前でこのようなことを申し上げたならば、それにも増して他所であればどんな呪詛怨念を以て仰せ有ることでしょう。あの大将を恨み、呪詛(ずそ)しているのです。天下に正頼大将を呪詛して無くそうとも、中納言の上にはまだまだ位が多くある。人を呪う者は三年で死るるという。大将いささか脚に病があるのであれば、中納言がそうさせたのだと思いますよ』
などと、本当にお恨みになるので、東宮も、これはおかしい、とお考えになったのか
『それはそれとして、大将と中納言はどんな関係があるのですか、あなたには。子供の朝臣には』
『頼明(よりあきら)(上野宮の名前)にはいろいろと子細があります。正頼大将の九姫あて宮は、頼明きの童部(わらわべ)妻であります』
と、上野宮は言った。
参会者は不思議に思い、東宮も、
『正頼大将の九番目の娘は、いつから上野宮の妻に』
と、問われるので、
『皇女、大宮のお産みになった九姫です。大変勿体ないほど美しい評判の方で、なかなか苦労いたしましたが、頼明一計を案じて、掠め取り妻に致しました』
と、上野宮は言うので、東宮はそのようなことがあるとは、と思いになるが、
『そういうことになってしまったのでは、懸想人の民部卿や左衛門の督などが、聞いて咎めるか怪しむであろう。まして、帝が聞き過ごされることはあるまい。それは不可思議なことであるよ』
と、東宮は仰いました」
と、中納言は長々と正頼に話した。さらに、
「そこに居合わせた者みんなが、おかしなことだと、腑に落ちない様子でした。民部卿実頼中将が正頼様に申していませんでしたか。全部を申し上げることが出来ません十分の一ほどをお話しいたしました。ばからしい話が多くございましたから」
正頼は聞いていて、本当のことは少しも言わずに、
「妙なことを言われたものですな。ここにいるあて宮は上野宮どころか、まだまだ幼いので結婚させようとは思ってもいないのに、事実であるかのように仰るとは、怪しいことである」
と言って正頼は笑った。そうして中納言は去っていった。
絵解
この絵は、正頼と中納言が対面している。
侍所で話しておられる、そこには多くの侍がいる。
こうしている時も、七男の仲純侍従は、参内して帰ってきて、寝ても起きても、常にあて宮を想って嘆いている。大変侘びしく感じるので、前栽の中に、今はまだ咲かない花を引き抜いて、その葉に書く、
おもふこといかで知れとか花すゝき
秋さへ穂にもいでですぐらん
(花薄は自分の思うことをどういう方法で人に知って貰うつもりだろうか。秋にもなれば自然穂に出て知られる筈なのに)
アア、侘びしい、いつ晴れてこの思いを伝えることが出来るのだろうか、などと書いてあて宮に見せると
もろともに生ふるすゝきのいかなれば
穂にいでで物を思ふてふらん
(私たちは一緒に育った兄妹なのに、どうして穂に出ない物思いをすると仰るのですか)
兄妹の間柄なのに、
と、尾花を添えて差し上げる。兄の侍従は、
「そうだから侘びしいのだよ」
絵解
この絵は、正頼、あて宮が居る。女房が多く侍している。
こうする中、兵衛の佐行正は津の國の有馬温泉に行き温泉場の歓楽地を歩いてみても、京のことが想いだされて、悲しいなと感じると、連れている童を京に向かわせて、大将正頼に、
しほたるゝことこそまされ世中を
思ひながすの濱もかひなく
(世の中のあらゆる思いを流してしまうという長洲の濱に来た甲斐もなく、悲しい思いは募るばかりです)
と書いて、宮あこ君(宮の十一郎)に、
この中の文をあて宮にお渡し下さい。あこ君、私の胸の苦しさをお知らせしましょう。と書いて童に持って行かせた。
宮あこ君は受け取ってあて宮に見せた。走り書きであるが見事な筆跡である。あこ君は、
「遠方からわざわざ書いてお出でのお気持ちを察して、少しでも何かお書きなさっては」
「アア、面倒な、どうしてこのような文をお見せになりますか。『このような文をお父上母上にお見せしたならば、私は叱られます』と行正に言いなさい。今後受け取ってはなりません」
と言ってあて宮は返事を書かない。
そこで行正の使いの童に、宮あこ君自身の文を書いて渡した。
作品名:私の読む「宇津保物語」第 四巻 嵯峨院 作家名:陽高慈雨