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Desire

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4日目:彼女は患う



「月を見るのは、すき?」
 薄く開けた瞼から彼の姿を見つめていた。窓辺の白い椅子は彼の特等席。こちらに背を向けた椅子に浅く腰掛け、今日も輝く雲ひとつない空を見上げている。微動だにしないその姿は、まるで精巧な剥製のようだ。
「おはよう、リア。今日は早いね」
 リアの声にぴくりと反応し、彼が振り向く。きしりと木の椅子は音を立てた。
「月を見るのは嫌いじゃないよ。月が輝き出したら、俺はリアに会えるから」
「……あなたの言葉は、どれも意味がわからないわ」
「そうだね。難しいかも」
 彼は感情のコントロールがうまい。こうして向かい合っていても、彼は儚げに微笑むだけでなにを考えているのかわからない。それはたぶん、リアが彼を知らないだけではないと思う。
 彼はきっと、意図して隠しているのだ。理由はわからないけれど、大方リアに知られたくないことがあるのだろう。知られたくないどころか、そもそもリアは彼のことをなにひとつ知らないのだけれど。
「……? リア? 具合が悪いのかい?」
 あれこれ考えているうち、彼は椅子から立ち上がる。七分袖のリネンシャツから、彼の骨ばった腕が覗いている。色白い彼でさえ目立つ、右手に巻かれた白い包帯。
 鉛でできたキャンディでも口にしたみたいに、心が一気に重くなった。喉の奥に息が詰まり、勝手に居心地が悪くなって下を向く。
「……ちがう」
 どうにかそれだけ搾り出して、膝の上に乗った自らの手を少しつねった。
 ほら、リア。言うんだ。あれは、わたしがつけた傷なんだから。

「ごめんなさい」

 リアの頬に伸びかけていた彼の手が一瞬止まる。すぐにその手は頭を一撫でし、こちらもまた彼の特等席になりつつあるリアの右隣、白いベッドへと腰掛けた。
「どうしてリアが謝るの? ああ、ごめん。この手のこと? 大丈夫、たいしたことないよ」
 ひらひらと包帯の巻かれた手を振り、彼はリアにアピールする。
 嘘つき。結構深く切れているはずだ。じゃなきゃあんなに血は出ないだろう。ふと床を見れば、彼が念入りに拭き取ったのか。白い床には染みひとつなかった。
 彼を傷つけた凶器は枕元においてある。きらり輝く銀色のナイフ。彼はあのあともリアからナイフを取り上げることはしなかった。
「どうして、怒らないの?」
 純粋に、疑問だった。
 人質に武器を預け、人質に傷つけられ、怪我をした。彼はこの部屋になんの目的があって来た?
 彼はリアに殺されに来たと言った。それは本当に?
 ならばその怪我は彼にとって目的への第一歩になり得るのか?
「じゃあ、リアはどうして怒られたいの?」
「だって……人を傷つけるなんて、わたし、最低だわ」
「誰も傷つけたらいけないなんて、綺麗事さ。気にすることじゃない」
 彼の左手が背中に回され、抱き寄せられる。ぬくもりなんてものは感じない。彼の身体はいつだって氷のように冷え切っている。逆に、ぬくもりを感じるような人間は「俺を殺してくれ」なんて無茶な願いを持ってこないだろう。
 わたしと彼の関係は、被害者と加害者。本来ならこんなことありえない。なのに、不思議と嫌な気持ちにはならないのだった。それどころか懐かしい気持ちにさえなる。
 数日前、会ったばかりなのに。
「……あなたはどうして死にたいの?」
「死にたくはないよ。死ななきゃいけないだけで」
 幾度となく、同じことを聞いた気がする。リアはこの問いに真っ当な答えが返ってこないと知っている。それでも、リアと彼を繋ぐ鎖のひとつはそこに収束するのだ。
「だいたい、死ななきゃいけないなんておかしいじゃない。誰に指図されて死ぬと言うの? あなたはあなたでしょう? あなたは誰かに死ねと言われたらそのまま死ぬの?」
「死ぬだけじゃ駄目なんだ。リアの手で殺されないと」
 ほら、すぐそう言う。リアに責任を負わせようとする。
 あなたは死んで満足かもしれない。だけど取り残された人はどうやって生きていけばいいの?
「……俺が生きていると、俺の大切な人が死んでしまうから」
 彼がぽつりとこぼした言葉は、いつもと違った。
「……その人は、病気?」
「病気、かな。彼女の病気は俺だ……俺が苦しめてる。彼女と離れたくないから。俺が、悪いんだよ」
「そんなの、わたしにはわからないわ。わたしは"彼女"じゃない」
「そうだね。ごめん、リア。変な話をしちゃったね。」
 苦笑をこぼして、彼は話を終わらせる。話は終わったのに、リアの心にはわだかまりが残っていた。
 そんなリアを知ってか知らずか、彼は抱き寄せる手を緩めない。むしろ強くなっている気さえする。病気を患う大切な彼女がいるくせに、見知らぬ部屋の女を抱き寄せるのね。と、なかば嫉妬のような感情を自覚した。馬鹿馬鹿しい。沸いた思いを頭から振り払う。

 彼が死にたいのは、彼の大切な"彼女"を救うため?
 大層な理由だ。死んでどうなる。病気で苦しんでいるのなら、傍にいてくれるほうがずっといい。

 彼が”彼女”のために殺されたいのなら、わたしは誰のために彼を殺すの? 彼のため? "彼女"のため?
 わたしは、彼の大切な"彼女"じゃないのに。


作品名:Desire 作家名:桜木