私の読む「宇津保物語」第二巻 忠こそ
箏の琴、琵琶を出してきて、いろいろな曲を演奏なさる。千蔭はほめるのであるが内心はとても聞けたものではないと、この場にいるのが苦しくなる。北方のお付きの人たちは、この光景を見て。
「歳をとって、この有様はどうしたことだろう」
こっそりと諫めになるが、北方は聞きもしない。
上中下の使用人達は気が乗らない管弦の合奏を、老いた北方だけは千蔭の気持ちを向けようと、懸命に演奏する。千蔭は北方の許に参上することは苦痛ではあるが、諸方の山に修行する気持ちで、月日が経つままに千蔭の北方に対する気持ちは薄れていくのであるが、縁を切ることはしなかった。
忠こそが十歳になった年に、昇殿が許された。帝が忠こそをとても大事にした。父親の千蔭も娘がなかったので、
「忠こその母に仕えていた女房達は、他所にはやらない、ずっと忠こその側に仕えるように、私が生きている限りは我が娘のように愛しくしていくから」
と言って、月に一回亡き妻のために「法華八講」の会を開いて亡き妻を供養していた。
千蔭は自分の領地から財宝すべてを忠こそに譲る。と思って、財産をなくして困惑している人を助けようともしなかった。そうして年を過ごすうち、左大臣の北方から受けた数々の施しに対して、紙一枚たりとも北方に与えようとはしなかった。
北方は、散財するばかりで得る物がないので、自分の周りの家具調度から、財産の田や畑まで売り払って、莫大な浪費をして貧しくなった。
絵解 ここは千蔭大臣の屋敷
こうして千蔭の北方訪問は続いた。忠こそは十三四歳になった。容姿端麗、心が優雅で、ほどよい童になり、遊芸に秀でて、何処と言って非のない色好みの男に成長した。帝は忠こそを寵愛されて御簾の家に連れて入り、帝の女御達とも話をさせた。忠こそは普通の殿上人ではとても直接見ることも出来ない帝の女御達にも倦いてしまった。
今の世で忠こそに勝る容姿と優雅な男は存在しなかった。才能は優れて、もう言うことがないので、巷では
「忠こその世である」
と言われるほどの男になった。
こうするうちに、忠こそは父の千蔭と共に北方の一条殿を訪れるようになり、北方は、
「立派で美しい子供だ」
と思い、珍しい話などをするうちに、忠こそは、亡き忠恒の姪の、あこ君、と言うのが北方の側に侍していたのに。いつの間にか忍んで通うようになっていた。
この北方は、忠こそに気を遣い、
「お父上の千蔭大臣があまりお見えにならないのに、忠こそが度々来られて、私はお父上に変わって忠こそを頼りにしていますよ。あなたの後見は私がしっかりといたしますよ。真のことですよ」
あまり気にはしていなかったが、千蔭大臣が、内裏に参上して、政治向きの要件が多くあると言って、長い期間北方の許を訪れなかった。
北方は苛々して、湯水を断って、淋しそうにして千蔭の訪れを待っていたが、文さえ貰えず、一ヶ月が過ぎた。
北方は待ちくたびれ、逢う方法もなく、
菅原や伏見の里を忘るゝは
わが荒れまくやをしまざるらん
(お忘れになっておいで下さらないのは、私の宿が荒れてしまっても惜しいとはお思いにならないからでしょう)
と書き送ったが、さらに恥をかくことになった。
この文を千蔭が見ると、北方への思いが一層薄れていくと感じるが「こうしてはおれない」と文を書く。
体調が悪くて内裏に参殿もいたしもしないで、外出をいたしませず、そちらに伺うこともできません。体調が回服致しましたらそちらへお伺いたします。菅原の歌は真のことですか、
荒れまくは君をぞをしむ菅原や
伏見の里のあまたなければ
(貴女のお宿が荒れると言うことは惜しまないどころではありませんよ。私には尋ねる女の人は貴女以外にないのですから)
お互いに離れてはいますが決して忘れていると言うことはありません。
と書いて送った。千蔭大臣は北方の気持ちを察して、
「このように仰るのだから、今夜だけでも訪問しないと」
と考えて、その夜一条の北方の屋敷を訪問した。
車から降りて中にはいるまでは、
「久しくご無沙汰しているので、これからは度々ご訪問をしよう」
と思う。
北方の前に座ると、以前と同じ「何でこんなところに来たんだろう」と言う想いが起こって、帰ってしまおうと考えるが北方に侍る人や自分の従者達のこと考え、しばらく口も聞かないで座って立ち去ろうとはしないでいた。
北方は何か物足りなくて不安で、千蔭が珍しくお出でになったので嬉しく相対して、お話をするが、千蔭が現れない長い間の恨みを言ったり、わざと情深く振る舞ったりするのであるが、千蔭は良い応えを返す様子もなく、北方の様子を見ているとますます身体の調子がおかしくなるような気がしてくる。
「顔に出してはまずい」と、心にもないことを話してしばらくいたが、それがとても苦しく感じてきて、何かの口実を考えて退出しようとすると、
「帰しませんよ」
と、北方はあれこれと話を続けて千蔭を止める。北方の側に侍る女房達も、今ここをお出になると何か悪いことが起こりますよ、空模様が可笑しくなってきました。などと言って、はっきりと千蔭を押しとどめようとするのが分かり、千蔭は仕方がないなと、三日ばかり一条殿に滞在した。
四日目になって千蔭は帰ろうとした、北方は、
「物忌みの日に当たるようですよ、夢を見ました」
と言ってとめるが、
「内裏よりお召しの使いが来ましたので」
と、急いで一条殿を離れた。
そうして千蔭はやっと我が家に戻り、落ち着いて仕事が出来る。
「不思議だな、我が家では食事が美味しい。あの一条では口が曲がるようである」
聞いて、子供の忠こそは、
「と父上が仰られても、あちらには美味しいご馳走が沢山あります」
というと、父の千蔭は、
「歌にあるだろう
何せむに玉の台も八重葎
生へらむ宿に君とこそねめ
(古今六帖3874)
思ふ人来むと知りせば八重葎
覆へる庭に玉敷かましお
(万葉集2824)
玉敷ける家も何せむ八重むぐら
覆へる小屋も妹と居りては
(万葉集2825)
分かるだろう」
といって、亡き妻の帳台の中に入って横になった。
忠こそは父の言葉を聞いて、
「今夜は一条殿にはお行きにはならないのですね」
父は、
年ふれど忘れぬ人と寝し床ぞ
ひとり臥すにもうれしかりける
(お母さんと死に別れてずいぶんと日が経つが、忘れることの出来ない妻と共に臥した床なのですよ。一人で横になろうとも嬉しいことです)
と言って垂れ幕を開いて横になったので、忠こそは父千蔭に、
ねし人もなみだのうへに臥す物を
やどのしたにはかずもかへなん
この歌は意味不明一応原本の補注の終わりに
「父君がいらっしゃらないので、一条北方もひとり寝を悲しんで身をもがいていたっしゃるでしょう」
作品名:私の読む「宇津保物語」第二巻 忠こそ 作家名:陽高慈雨