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学校図書館より

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 この時に一緒に行った親友と先日数年ぶりに会い飲みながらこの話したら、彼もこの事を良く覚えていて昔話に花が咲いた。数十年たっても色あせずに話が出来るのはよほどインパクトがあったのだろうか。
その時同席していた彼の娘さんが私たちの話を聞いて一言「それって凄いことだよね」という。私には何が凄いのか理解できなかったので「なんで?」と問うと
「今の子供たちは他人と違うことはしたがらないもの。目立つことは出来るだけ避けるものよ」という。それを聞いた友人は
「そんなこと関係ないわで、他人がどう思おうが、それ面白げな、やろう!そんだけや」と地酒の入ったぐい飲みを干しながら数十年も東京暮らしをしているのもかかわらず相変わらずの讃岐弁で娘に答える。
「それに数十年経ってお互いに話が出来るんでしょ、それってやっぱり凄いよね。それに素敵よね」綺麗な東京の言葉で娘さんがまた答えた。

 若い時、彼とは本当に馬鹿なことを色々やった。列車通学だった私たちは「今日は歩いて帰ろうや」「おう!そうしよう」と彼の最寄り駅まで数キロ歩いて帰ったと思えば、成人しては車でノンストップ四国一週だの夜中に「高知へ日の出を見に行こう」だの、それは常に私が言い出し「よしやろうと」と彼が同調し実行したものだ。写真など殆ど無いがその日のことは鮮明に記憶されていて青春の一ページといえる思い出として残る。それが出来たのが若さというものだろうかなと今になって思うと同時に若い人は直ぐに携帯機器で写真を撮るがその記憶が数十年残るとは思えない。媒体を通じて思い出を残すことも必要だが、まずは無意識と感動を含め自分の頭の中へ記憶することが大事ではないかなと感じてしまう。その為に非日常の行いを行うことも重要だったんだと思える。

私は今でも誰彼捕まえては突拍子もない話、夢の話を良くする。それは若い時から成長していない証拠でもある。ある時は遊びの話だったりイベントだったり事業だったり。でも若い時はお互い得る経験だけが在る為か直ぐに事が進むが、結婚し家庭を持ち、守るものと欲が絡むと同調者が居なくて若い時の馬鹿話が本当の馬鹿話だけになってしまうのは少し寂しく残念で、それが歳を取った、大人になったと人は形容するのかなとふと思う。
作品名:学校図書館より 作家名:のすひろ