小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

宇津保物語

INDEX|3ページ/3ページ|

前のページ
 

かげろふの有るかなきかにほのめきて
あるは有りとも思はざらなむ
(蜻蛉のように居るか居ないのか分からない風にほのかに暮らして、生きて居てもそこに居るなと思われたくないのです)
 
 と、娘がやんわりという声がとても面白く聞こえた。 聞いて若子君の気持ちはさらに高くなって、

「本当に、このような哀れな暮らしをなぜなさっておられます。誰の御一族でいらっしゃいます」

 と言うと、娘は、

「さあ、どうして名前が言えましょうか。このような惨めな暮らしをしていますので、こちらを尋ねてくるような人は居ませんので、怪しい人と思いも寄らないことです」

 答える。若子君は、

「知らない人と親しくなるとよく言うではないか、その知らないことが頼りになるのです。大変に気の毒に見えたので、通り過ぎることが出来なかったのに、その思いが今はっきりいたしました。親御さんがいらっしゃらないのは、いかにも心細いものでしょう。何というお名前ですか」 

 歳陰娘は、

「誰々と世に聞こえた名で有りませんので、教えましてもおわかりにならないでしょう」

答えて、娘は前にある琴を音低く弾き始めた。

「不思議な見事な演奏だ」

 若子君は聞き入って、夜が明けるまで話をして、お互い心がふれあうことが出来たのでしょうか、若子君は娘のところでお泊まりになった。

そうして若子君は娘の哀れな心細い生活を見てしまってから、娘に本心から恋をしてしまった。

 恋の心は千倍にもふくれ上がってしみじみと愛おしく思い、親の元に帰りたくない、それを若子君は何とも思わないが親達の秘蔵っ子である、片時と言えども見えなかったら大騒ぎをする。

 それでも若子君は、娘とこのように親しくなって娘の側から離れることが出来ない、娘を見捨てて立ち去るのは後のことが気になり、親のこと娘のこと二つが思い悩みとなって、娘に、

「このようになった今は、二人の間が離れることを考えなさらないでください。こう二人が結ばれたのは、何かの縁があって私は貴女を見初めたのでしょう。貴女を見ないで過ごすと言うことはとても出来ないことですが、貴女が見たように親たちが居ます。片時も私を側から離しません、内裏に上がるのも何となく後ろめたく思っています私が、昨夜から、このように貴女とここにいます、親達がどのように大騒ぎをしているだろうか。


貴女を訪ねることは、私は浮気心などさらさら無くて真剣でありますが、人はどう見ますか、私の思うままに貴女に会いに来るのは難しいでしょう。何とか機会を見付けて夜中でも明け方でもこちらに参ろうと思うが、真実、親御様はいらっしゃいますか、貴女の処に通う男の方がいらっしゃいますか、ありのままをお話下さい」

と、若子君が言うと娘は大変に男を愛する気持ちが高まってきて、恥ずかしさで心の中は大変であるが、やっとの思いで、

「親も揃っていて、それ相当の身分の知人でもあれば、このような所で、ただ一人で、このような落ちぶれた暮らしを、仮にでもするようなことがありますか。このままここで朽ち果てるのが私の行く道なのです」

 と娘が言うと、

 「そうであっても、どなたの子供なの貴女は。もし、ここに来ようと思って来たのでなくとも、貴女と会ったら、貴女をじっと思い続けることでしょう」

「親は有名な人ではありませんから、私が貴方にお告げしてもお分かりにはなりませんでしょう」

 と、娘は言うと側にある琴を弾きながら泣く様子は本当に哀れを感じる姿である。

 若子君は娘と一夜肌を合わせて深い契りを心ゆくまで結んで夜を明かしたのだが、自分の身分と娘の境遇を考えると二度と会うことが難しいことが二人とも感じていて悲しさが広がる。

 明るくなると、こうしても居られない、家でも心配して大騒ぎするだろう、若子君は思う。だから。

「それならどうしようか、今日だけはこうしてここに一緒にいたいと思うが、親たちは一時でも目の前から離れたところに自分を置くと言うことは絶えられない、ちょっとした外出でも自分を連れて出られる。
 昨日はお供して出かけたくはなかったのであったが、同道するようにと無理矢理頼まれたので、仕方なく賀茂社に参ったのであるが、今から思うと。お前に会うことが出来たのだと思う。
 何かの導きだったのだろ。さらに、今の気持ちは、夢の中でも貴女を思う心は変わりませんが、再度ここへ訪問することは無理なことであろう」

 と言うと、女は、

 秋風の吹くをも歎く浅茅生に
  いまはと枯れんをりをこそ思へ
(丈の低い茅萱(ちがや)の原に秋風が吹くのをさえ、なげき悲しんでいるのに、「今はも」と枯れて訪れず)

 枯れてを離れて訪れず、と言う意味でかすかに詠うと、若子君は愛おしさが倍になり、娘の悲しみが伝わってきて、

 葉ずゑこそ秋をも知らめ根を深み
それみち芝のいつか忘れん
(葉の末の方は秋を知って色が変わるでしょうけれども、元の根は深いのですから、訪れた芝の道はいつになっても忘れないでしょう)

私の仏のような大事な人、私が貴女を疎かにしていると考えないでください。別れたとしても二人の間が絶えてしまうようなことはありません。私の二親に対してただ慎む間だけです。

 と言って、立ち上がって部屋を出ようとすると、なお彼女のことが悲しく思われて、単衣の袖を顔に押し当てて少しの間泣く。そうして顔を上げて、

 宿思ふ我いづるだにあるものを 
  涙さへなどとまらざるらん
(貴女を思う私が出ると言うことだけでも堪らないのに、どうしてその上に涙なんか出るのでしょう)

と若子君は涙を出して詠うと、娘は倒れ伏して泣き出し、

見る人の名残有りげもみえぬ世に
  何と忍ぶる涙なるらん
(貴方のご様子では名残惜しげにさえも見えないのに、何を忍び悲しむ涙なのでしょう)

と言う姿は本当に心苦しいのではあるけれども、若子君は父上の殿のことも気になるので、何回も何回も約束の言葉を言って外に出ると、自分の御殿では内部を歩くだけでも、付人が何人もぞろぞろ後に従うのであるが、今はただ一人で御殿に帰ろうとして、どの道が御殿の道とは知らないのに、可哀想な女を見捨ててきたと、自分なのか他人なのか見極めが付かなくなり立ち止まってぐるりを見回して辻の一角にいた。
作品名:宇津保物語 作家名:陽高慈雨