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宇津保物語

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 この先お前の子孫が幸福であれば、その絶頂の時、禍いが有ればその禍が極限になって命絶えようとするとき、また、熊や狼、虎などに襲われて身を食われようとするとき、もしくは、家来の侍達に身が犯されそうになったとき、そうしたこの世でとんでもない酷い目に遭遇したとき、秘蔵した琴を音量高く弾き鳴らしなさい。

 もしも子供が与えられたなら、十年間子供の成長を見守って、その子が賢く心豊かく心身共に人より優れて成長したと確信したら、その子供に二双の琴を渡しなさい」

 と、娘に遺言をして俊蔭は亡くなった。またその後を追うようにして乳母も亡くなった。

 俊蔭が死んだ後、娘は、自分は心も身も落ちぶれてしまったと考えているうちに、日にちも過ぎると使用人達は一人も残らず退散してしまい、世間のことを全く知らない娘が一人残されてしまった。

 娘は自分一人だけで住んでいるということが世間体にも悪いと思い、隠れ忍んで生活していると、

「ここは無人だろう」

 と、道行く人が家の中から家財を盗んでゆき、やがて家屋を壊してしまい、寝殿だけが簀の子も無くあるだけで、周りは野原のようになってしまった。娘はかって乳母が使っていた使用人がしもた屋の一部屋に間借りしているのを呼んで自分の使用人にした。

 父俊蔭が言い残した領地からの年貢を得ていたが、娘の様子からそれも滞り、領地は領民が好きなようにする領主のいない喜びの地になってしまった。

わずかな調度の類も親の亡くなったときの騒動の間に四散してしまい主立った物は殆どが失われてしまった。


世間を知らない娘の境遇は哀れで悲しく、春は花を眺め、秋は紅葉を眺めて暮らす明け暮れに、この女は乳母の従者が食事を作れば食べ、作らなければ食事抜きの生活であった。

 娘一人隠れている几帳や屏風は、そういう調度類だけは家財は喪失したと言っても広い家であった名残として無くなってはいない。

 父親の俊蔭は清貧な人であったのか、情緒の深い人であったのか家は風雅に造り、広い敷地に植木は面白く、草花も見よい景色になっていて、夏にはいると、出入りする庭師も居なくなったので、蓬が生い茂り、今は訪問する者が無くなった中で、娘だけが明け暮れ眺めていると秋になり木々や草が色濃くなり、眺めていると悲しくて娘は、

侘び人は月日のかずぞ知られける
  明け暮れひとり空をながめて

独り言に詠って、日の経つのを気にしている。

 そうしていると、八月の中旬頃に時の太政大臣が願掛けのことがあって、賀茂社に参詣なされた。恒例に依る舞人・陪臣を連れて厳めしく俊蔭の家の前を通り過ぎる。

舞人や、従者が大勢続く、数多くの先払い達が行列の先端を行く。行列を見ようと、格子の裏に板を張った壊れた蔀(しとみ)に寄って娘が見ている。すると大臣達一団の従者と車が過ぎて、遅れて先払いが前を払う小一団が追い駈ける。歳廿ばかり男に十五歳ぐらいの美しく光る髪を肩まで垂らした男の子が馬の周りに多くの馬添えを侍らせて過ぎて行った。

この子供は左大臣の四男で、父の大臣がこよなく可愛がっておられ、片時も目を離すことがない子供であった。若子君と言われていた。

 娘の壊れ家から、清らかな美しい尾花が人を招くように風に揺れていた。それを見て、先にたった二十歳ばかりの若子君の兄が、

「面白い、何か招くような花だな」

吹く風のまねくなるべし花すすき
わしよぶ人の袖と身つるは
(しきりに招く花薄は、私を呼ぶ女の人の袖だとはっきりと見えたのだが、そうでは無くて風が招くのですね)
 
 と言って過ぎていった。若子君は、

みる人の招くなるらん花すすき
我袖ぞとはいはぬ物から
(お兄さんの目に狂いはありません、貴方の見たその人が招いているのだと思いますよ。まさか花薄を私の袖ですとは自分の口から言わないでしょうから)

 と、下馬してこの花を手折る。そのとき壊れた蔀の奥から見ている娘を見付けて、

「おかしな所に綺麗な娘が、それにしてもこの家の壊れ方酷い」

 若子君は見る。

 急いで入ろうとする娘の後ろ姿を見て、非の打ち所が無い娘だ、若子君は、可哀想にと思うが、先を行く行列を追わなければ・・・・・・・、娘が気になるけれども馬に乗って去っていった。

そうして賀茂社に到着して、神楽などを奉納して、行事が終わると若子君は、

「昼に見たあの娘は何なんだろう、もう一回会ってみよう」

 と、考え、日が暮れて全員が引き上げると、わざと一行から遅れて、みんなが社から出払ってしまうと、若子君は秋晴れのもと静かに佇む彼女の家を見回り昼間と違って時間をかけてよく見ると、趣味深い人がゆっくりと丹念に仕上げた処であるから、荒野のように草が生え、崩れて恐ろしく感じる建物、庭であるが、木立、遣り水の流れ、草花の配置、趣があって見所がある。蓬葎生い茂っているところを平気で若子君は入って行かれた。

秋風が賀茂川を渡って少し早く吹き、庭の草むらには虫の声が響き渡っている。月光が庭を照らすのが哀れに感じる。人声が全く聞こえず、こんな所にどんな人が住んでいるのだろうかと気の毒に思い、独り言で、

 虫だにもあまた声せぬ
      淺芽生(あさじふ)に
ひとり住むらん人をこそ思へ
(虫さえも沢山住んでいない淺芽の生えているこの寂しいところに、たった一人で居る女の人に私はしみじみと同情する)

 詠って深い草を分けて入っていく、建物の処まで来たが人の気配がない。ススキが風に吹かれて不思議な人たちと招いている。内部をよく見ようともう一つ近くまで寄っていくと、東面の格子を一間だけ上げて、忍びやかに琴を弾く女が見えた。立ち止まって若子君は中に入っていった。娘は奥に引っ込んでしまった。


 あかなくにまだきも月の隠るるか
    山の端にげて入れずもあらなん
            (古今集884)
 業平朝臣の歌を詠って簀の子の端で、

「このようにして住んでいるのはどなたか。お名前を教えてください」

 と言うが答えがない。闇夜となってきて中に入った娘の姿が見えなくなる、月も隠れてしまったので、若子君は、

 立ちよると見る見る月の入りぬれば
影をたのみし人ぞ侘しき
(ここへ来たと思ったらもう見ているうちに月は入ってしまったので、その月影を頼みにして立ち寄った私は侘びしい悲しい思いですよ)

 続けて、

 入りぬれば影も残らぬ山の端に
宿まどはしてなげく旅人
(月が入ってしまったのでその影も残らぬこの闇になったこの山の入り口で、旅人である私は宿が分からなくて嘆いていますのに)
 
 と詠いながら娘が入っていった後を追うと、塗籠(ぬりごめ)があった。そこに入ってさらに物を尋ねるが、全然答えがない。

「いやもう、おかしな方で、何か仰ってください」
 若子君は言う、

「通り一遍の気持ちでこうしてお訪ねはしませんよ」

 などと言うと、娘は何となく懐かしい気持ちがして、私よりも若い童であろうと少し軽く考えた。
作品名:宇津保物語 作家名:陽高慈雨