見えない僕と私の色
黄色い声援、というけれど、その八割は嘘だ。
突然、何を言い出すのかと思うかもしれないが、実際にそうなんだから仕方がない。
世の中にある黄色い声援の「色」は、特にこれと決まっているわけではない。ピンクもいるし、青の人だっている。緑だって、もちろん文字通り黄色い人だっているけれど、それは取り立てて多いという程ではない。だから、黄色い声援の八割は嘘なのだ。
僕がこの声の「色」に気付いたのは、いつ頃のことだったろう。物心がついたころには、もう見えていた気がする。
僕にとってそれが見えるのは当たり前のことだった。もちろん誰にでも見えているのだろうと思っていたのだが、無邪気だった僕が「色」のことを言うと、両親は怪訝そうな顔をして、「何を言っているの?」と言った。
この時の言葉の「色」を忘れることはない。
疑惑に満ちた灰色、そして、焦りに満ちた赤色。
もしや、この子は変な障害でも持っているのだろうか、なんて思われたのかもしれない。
そんなことがあって、これは僕にしか見えないものなのだとわかり、それからほどなくして、相手の「感情」を表していることもわかった。
この「色」は、人によってころころと変わる。
怒っているから赤、哀しいから青、嬉しいから黄色。そう全員が決まっているわけではなく、人によっては青でも怒っていたり、黄色でも悲しんでいたりする。そして、それを大体把握することができれば、僕はその人の気持ちを完全に理解できるようになる。
けれど、知りたくもない他人の気持ちを知ることはつらいことでもあった。
僕と出会うと決まって不機嫌な「色」をする。そんな人の「色」を見ると、僕はこの力を呪ってしまいたくなる。
だけど、呪おうが恨もうが、この力は僕についてまわる。いつしか僕は一人になって、家族とも疎遠になってしまった。
僕はこの「色」と一緒に生きていくしかないのだ。それは仕方のないことだと、諦めるほかになかった。
だた、僕にはどうしても腑に落ちないことがあった。
先を歩く友人が、私を急かす。
――相変わらず、街はカラフルだ。
そんなことを考えながら彼女を追う。履きなれていない高めのヒールが少しつらい。せっかく買ったのだから、と思い切って履いたのはいいが、どうにも私には合わなかったみたいだ。
私の目に映るたくさんの「色」。それが見え始めたのは、つい数年前のこと だった。見えるようになった原因はわからないけれど、とにかくこれが声の「色」だと気付くのに、そんなに時間はかからなかった。
最初、私は嬉しかった。これで人に嫌われるようなことはなくなる。人に傷つけられることはなくなる、と。
実際に今、私の周りで私のことを嫌っている人はいないはずだ。そうなるように行動してきたし、私には相手の気持ちが「色」でわかるのだから、嫌っているかどうかは簡単に確かめられる。
でも、嬉しかったのは最初だけ。今は面倒くさくてたまらない。相手の気持ちがわかってしまう所為で、私は必要以上に気を使いすぎてしまう。そんな無理がいつまでも続くはずがない。かといって、下手なことをして嫌われ、一人になってしまうのも嫌だった私は、いつまでもいつまでも相手の「色」を伺い続けた。
今日もそうだ。誘いを断ることができずに、友人と二人で街まで来ることになった。
友人の口から、いろんな色が飛び出てくる。彼女の「色」はどれも綺麗なのだけれど、時々信じられないほど汚い「色」を出す時がある。
それは、自分の不甲斐なさを責める時だったりする。
なぜ彼女がその時、そんなに汚い「色」を出すのか、私にはわからない。けれど、きっと彼女は純粋なのだろう。だからこそ、不甲斐ない自分に誰よりも腹を立てるのだろう。そして、そんな気持ちは誰にも知られたくないはずだ。
それを勝手に見て、知られたくないであろう気持ちを知る私。
嫌悪感が襲う。
この力を得た時、私は喜んでいた。けれど、実際は誰も幸せにしない力だ。できることなら、この力を捨てて以前の私に戻りたい。
――でも。
私はふと足を止めてしまう。友人が少し先で、どうかしたのかとこちらを見る。私の前にある、綺麗なドレスが飾られているショウウインドウに、私の姿が映り込んだ。
どうしても、この「色」に関することで腑に落ちないことがあった。
なぜ、私には自分の声の「色」がないのだろう?
どうして僕には自分の声の「色」がないのだろう。
この疑問は、僕が「色」を見ることができると気付いてからずっと僕に付きまとい、僕を悩ませ続けた。
友達、家族、そこらの人々。みんながみんな、言葉に「色」を乗せて会話をしている。
今日はどうしたの? と伺うような白に近い灰色。
また明日、という、少しさみしそうな夕闇色。
おはよう、という、希望に満ちた空色。
そんな色が飛び交う中で発せられた僕の言葉は、何色になるでもなく飛んでいく。正確には、飛んでいるのかもわからない。何しろ、「色」がないから見えないのだ。
音というものは、空気が振動して耳に入り、耳の中のなんとかというものが振動し、なんとかというものに伝わって、そこから脳に行き、処理するらしい。高校の授業でやったような、テレビで見たような、そんな曖昧で頼りない記憶だが、そう覚えている。
では、「色」はどうなるのだろう。耳の中に入ってきた「色」は、脳で処理されるのだろうか。いや、そもそも脳に伝わるのだろうか。伝わっていないから、「色」が他の人には見えないのか、そして、伝わっているから僕には「色」が見えるのか。
わからないことは多いし、きっとわかることもないのだろう。悩んでも解決しないことはこの世にいくらでもある。けれど、僕は考えてしまう。
どうして僕の声には「色」がないのか、その答えを探し続ける。
突然、何を言い出すのかと思うかもしれないが、実際にそうなんだから仕方がない。
世の中にある黄色い声援の「色」は、特にこれと決まっているわけではない。ピンクもいるし、青の人だっている。緑だって、もちろん文字通り黄色い人だっているけれど、それは取り立てて多いという程ではない。だから、黄色い声援の八割は嘘なのだ。
僕がこの声の「色」に気付いたのは、いつ頃のことだったろう。物心がついたころには、もう見えていた気がする。
僕にとってそれが見えるのは当たり前のことだった。もちろん誰にでも見えているのだろうと思っていたのだが、無邪気だった僕が「色」のことを言うと、両親は怪訝そうな顔をして、「何を言っているの?」と言った。
この時の言葉の「色」を忘れることはない。
疑惑に満ちた灰色、そして、焦りに満ちた赤色。
もしや、この子は変な障害でも持っているのだろうか、なんて思われたのかもしれない。
そんなことがあって、これは僕にしか見えないものなのだとわかり、それからほどなくして、相手の「感情」を表していることもわかった。
この「色」は、人によってころころと変わる。
怒っているから赤、哀しいから青、嬉しいから黄色。そう全員が決まっているわけではなく、人によっては青でも怒っていたり、黄色でも悲しんでいたりする。そして、それを大体把握することができれば、僕はその人の気持ちを完全に理解できるようになる。
けれど、知りたくもない他人の気持ちを知ることはつらいことでもあった。
僕と出会うと決まって不機嫌な「色」をする。そんな人の「色」を見ると、僕はこの力を呪ってしまいたくなる。
だけど、呪おうが恨もうが、この力は僕についてまわる。いつしか僕は一人になって、家族とも疎遠になってしまった。
僕はこの「色」と一緒に生きていくしかないのだ。それは仕方のないことだと、諦めるほかになかった。
だた、僕にはどうしても腑に落ちないことがあった。
先を歩く友人が、私を急かす。
――相変わらず、街はカラフルだ。
そんなことを考えながら彼女を追う。履きなれていない高めのヒールが少しつらい。せっかく買ったのだから、と思い切って履いたのはいいが、どうにも私には合わなかったみたいだ。
私の目に映るたくさんの「色」。それが見え始めたのは、つい数年前のこと だった。見えるようになった原因はわからないけれど、とにかくこれが声の「色」だと気付くのに、そんなに時間はかからなかった。
最初、私は嬉しかった。これで人に嫌われるようなことはなくなる。人に傷つけられることはなくなる、と。
実際に今、私の周りで私のことを嫌っている人はいないはずだ。そうなるように行動してきたし、私には相手の気持ちが「色」でわかるのだから、嫌っているかどうかは簡単に確かめられる。
でも、嬉しかったのは最初だけ。今は面倒くさくてたまらない。相手の気持ちがわかってしまう所為で、私は必要以上に気を使いすぎてしまう。そんな無理がいつまでも続くはずがない。かといって、下手なことをして嫌われ、一人になってしまうのも嫌だった私は、いつまでもいつまでも相手の「色」を伺い続けた。
今日もそうだ。誘いを断ることができずに、友人と二人で街まで来ることになった。
友人の口から、いろんな色が飛び出てくる。彼女の「色」はどれも綺麗なのだけれど、時々信じられないほど汚い「色」を出す時がある。
それは、自分の不甲斐なさを責める時だったりする。
なぜ彼女がその時、そんなに汚い「色」を出すのか、私にはわからない。けれど、きっと彼女は純粋なのだろう。だからこそ、不甲斐ない自分に誰よりも腹を立てるのだろう。そして、そんな気持ちは誰にも知られたくないはずだ。
それを勝手に見て、知られたくないであろう気持ちを知る私。
嫌悪感が襲う。
この力を得た時、私は喜んでいた。けれど、実際は誰も幸せにしない力だ。できることなら、この力を捨てて以前の私に戻りたい。
――でも。
私はふと足を止めてしまう。友人が少し先で、どうかしたのかとこちらを見る。私の前にある、綺麗なドレスが飾られているショウウインドウに、私の姿が映り込んだ。
どうしても、この「色」に関することで腑に落ちないことがあった。
なぜ、私には自分の声の「色」がないのだろう?
どうして僕には自分の声の「色」がないのだろう。
この疑問は、僕が「色」を見ることができると気付いてからずっと僕に付きまとい、僕を悩ませ続けた。
友達、家族、そこらの人々。みんながみんな、言葉に「色」を乗せて会話をしている。
今日はどうしたの? と伺うような白に近い灰色。
また明日、という、少しさみしそうな夕闇色。
おはよう、という、希望に満ちた空色。
そんな色が飛び交う中で発せられた僕の言葉は、何色になるでもなく飛んでいく。正確には、飛んでいるのかもわからない。何しろ、「色」がないから見えないのだ。
音というものは、空気が振動して耳に入り、耳の中のなんとかというものが振動し、なんとかというものに伝わって、そこから脳に行き、処理するらしい。高校の授業でやったような、テレビで見たような、そんな曖昧で頼りない記憶だが、そう覚えている。
では、「色」はどうなるのだろう。耳の中に入ってきた「色」は、脳で処理されるのだろうか。いや、そもそも脳に伝わるのだろうか。伝わっていないから、「色」が他の人には見えないのか、そして、伝わっているから僕には「色」が見えるのか。
わからないことは多いし、きっとわかることもないのだろう。悩んでも解決しないことはこの世にいくらでもある。けれど、僕は考えてしまう。
どうして僕の声には「色」がないのか、その答えを探し続ける。