欲しいもの、大切なもの
みなさん、子供のころに見た夢を今でも覚えていますか?
たとえば空を飛んでみたり、たとえば手のひらからビームを出してみたり、たとえば好きな人と手をつないだり。そんな、楽しい夢。
ほかにも、幽霊に追っかけられたり、高いところから落っこちたり、誰かが死んでしまったり。そんな、怖い夢。
そういう、印象的な夢を、みなさんは覚えていますか?
私はありますよ。
私の見た夢は、人形さんの夢。私のとても大切な人形さんの夢です。
白のシルクハットをかぶって、すらりとした白のタキシードを着て、手元が傘の持ち手のように曲がった杖を持つ、猫さんの人形です。きりりとした緑の目はどこか悲しげで、でも、優しさに満ちているようでした。
私は幼いころとても病弱でした。そのため、一日のほとんどをベッドで過ごし、窓越しから眺める外の世界はどこまで広がっているのだろうと想像を膨らませていました。
なんだかありがちな少女、ですか?
そうですね。そうかも知れませんね。世の中でいろいろなお話が生まれて、私のような人もたくさん生まれたのでしょう。でも、私はフィクションではないですよ?
そんな病弱な私には、もちろん友達はいません。そもそも、作る機会がないのですから、当たり前ですね。
でもひとつだけ、いえ、一人だけ、私には友達がいました。それが、先ほどの話に出てきたお人形さんです。
私がつけた名前もあるんです。でも、それはまた後でお話しますね。
彼は寂しさで沈み込みがちな私のことを一番に案じてくれました。私が外を見て泣きそうになるとすかさずにハンカチを手渡してくれたり、私が退屈をしていると話しかけてくれました。
今、冷静に考えると、それは私の想像だったのでしょう。普通、人形がひとりでに動くことはないですし、喋ることもないですよね。
でも私は、彼だけは特別だったんじゃないかと思ってしまいます。思うだけなら、誰にも迷惑をかけていませんから。ですから、この話はここだけの秘密です。
ちなみに私の両親は、どちらも忙しくお仕事をしていました。それも、私の寂しさを余計に強くした原因だと思います。
とにかく、これだけでも私にとって彼は特別な存在であるということはわかっていただけたと思います。幼い私の心の支え、といっても過言ではありませんし、彼がいるから、今の私がある、といっても過言ではないです。
彼とは毎日毎日お話をして、一緒に遊んでいました。けれど、ある日突然、私の前から彼はいなくなってしまいました。
どこへいったのか、皆目見当がつきません。彼とはよくお話をしていましたけれど、彼の出身やよく行くところ、好きな場所なんてお話は今までしたことがありませんでした。
私は泣きながらに、家中のいたるところを探しました。ベッドの下、物置、階段の隅、たまたま帰ってきていた親がいなければ、トイレの便器の中に顔を入れて探し回るところでした。
けれど、結局彼は見つかりませんでした。
私は後悔しました。泣いてばかりいるからだ、いつも暗いからだ、だから彼は私の前からいなくなってしまったんだ。そう思い、泣き続けました。
両目からこぼれる涙は止まることを知らず、干からびてしまうのではないかというほどでした。喉からこぼれる喘ぎも、私のどこにそんな力があるのかというほどに大きい声です。
何時間も、何時間も泣き続け、疲れた私はベッドの上でひざを抱えて丸くなっていました。
外は夜と夕焼けの中間のような状態で、空の紫が私を覆ってくるような気がしてとても怖かったのを覚えています。
そのころから、私の身体は少しずつ不調を訴えてきていました。なんだか身体がだるく、頭もぼぅっとしてきています。
無理もありません。私は病弱だったのですから。長いこと泣いて、喘いで、無事でいられるはずがないのです。
夜中には、私の身体は完全におかしくなっていました。自分が上を向いているのか、下を向いているのか、そもそも目が開いているのかもわかりません。
身体からは汗があふれて、苦しいという気持ちも浮かばないくらいに頭はくらくらとしていました。
不意に、額につめたい感触がして、私は少し意識を現実に向けることができました。もしかして、彼が帰ってきてくれたのかと思ったのですが、そこにいたのはくたびれて面倒くさそうな顔をしたお母さんでした。
お母さんを責めないであげてください。夜勤のお仕事を終え、やっと帰ってこられたと思ったら、私が半狂乱で家中をひっかきまわしていたのですから、くたびれるのもしょうがないというものです。しかも、看病のおまけつきです。
しかし、当時の私にはそんなお母さんよりも彼にいてほしかったのです。
私はくらくらする頭を振り、額のタオルを落としました。それでもお母さんは私の額につめたいタオルを乗せてきます。
違う、私はお母さんに会いたいんじゃない。
その思いが少しずつ、少しずつ強くなります。それに比例するかのように、私の頭のくらくらも少しずつ少しずつ強くなっていました。
何度もタオルを額から落とし、何度も額にタオルを乗せられているうちに、タオルは随分とぬるくなっていたようです。お母さんはタオルを冷やしに、私の部屋から出て行きました。
残された私は、息を荒げて外を見ます。
何度となくあこがれた外。元気に走り回る私と同じくらいの子供。そうだ、家の中だけじゃダメだ。外も探さないと。彼は私と違って健康だから、外に行ったのかもしれない。
重い身体を心の力だけで動かし、私は上半身を起こしました。そしてそのまま足をベッドの下に降ろします。
床に足が着いたのを確認して、私は両足に全力を注ぎ立ち上がりました。
これなら大丈夫。そう思って歩き始めたのも束の間、急に視界にもやが出たかと思うと、突如目の前が真っ暗になって、私は力なく崩れ落ちました。
何が起こっているのかもわかりませんでしたが、そのまま意識を失うまでそう時間はかかりませんでした。
私は白い霧の中にいました。あまり遠くまでは見えませんが、どうやら橋の上にいるみたいです。
私は訝りながらも前に向かって歩き始めました。
石畳のこの橋はゆるいアーチを描いていました。手すりも石材でできているようでした。ごつごつとした、けれど、人工的に加工されたとわかるような石材でした。
私の足音が響きます。こつこつこつ、と。
その音に気づいて足元を見ると、私の足にはきれいな靴が履かされていました。淡いピンク色をして、光沢があるヒールのないパンプスでした。
そのまま、改めて自分の身体の様子を伺うと、今更ながらに身体の調子がいいことに気づきました。
身体も軽く、頭もすっきりしています。今なら空も飛べるのではないかと思えるほどでした。
私は思わず走り出しました。外を子供たちが走っていたように、私も走りたくなったのです。健康な身体は疲れを知らず、私はずっと走り続けていました。
いよいよ息が切れてもう走れない、と思ったころでした。橋の終わりが見えてきました。よく見えませんが遊園地などで「ようこそ!」と書いてあるようなアーチもありました。
たとえば空を飛んでみたり、たとえば手のひらからビームを出してみたり、たとえば好きな人と手をつないだり。そんな、楽しい夢。
ほかにも、幽霊に追っかけられたり、高いところから落っこちたり、誰かが死んでしまったり。そんな、怖い夢。
そういう、印象的な夢を、みなさんは覚えていますか?
私はありますよ。
私の見た夢は、人形さんの夢。私のとても大切な人形さんの夢です。
白のシルクハットをかぶって、すらりとした白のタキシードを着て、手元が傘の持ち手のように曲がった杖を持つ、猫さんの人形です。きりりとした緑の目はどこか悲しげで、でも、優しさに満ちているようでした。
私は幼いころとても病弱でした。そのため、一日のほとんどをベッドで過ごし、窓越しから眺める外の世界はどこまで広がっているのだろうと想像を膨らませていました。
なんだかありがちな少女、ですか?
そうですね。そうかも知れませんね。世の中でいろいろなお話が生まれて、私のような人もたくさん生まれたのでしょう。でも、私はフィクションではないですよ?
そんな病弱な私には、もちろん友達はいません。そもそも、作る機会がないのですから、当たり前ですね。
でもひとつだけ、いえ、一人だけ、私には友達がいました。それが、先ほどの話に出てきたお人形さんです。
私がつけた名前もあるんです。でも、それはまた後でお話しますね。
彼は寂しさで沈み込みがちな私のことを一番に案じてくれました。私が外を見て泣きそうになるとすかさずにハンカチを手渡してくれたり、私が退屈をしていると話しかけてくれました。
今、冷静に考えると、それは私の想像だったのでしょう。普通、人形がひとりでに動くことはないですし、喋ることもないですよね。
でも私は、彼だけは特別だったんじゃないかと思ってしまいます。思うだけなら、誰にも迷惑をかけていませんから。ですから、この話はここだけの秘密です。
ちなみに私の両親は、どちらも忙しくお仕事をしていました。それも、私の寂しさを余計に強くした原因だと思います。
とにかく、これだけでも私にとって彼は特別な存在であるということはわかっていただけたと思います。幼い私の心の支え、といっても過言ではありませんし、彼がいるから、今の私がある、といっても過言ではないです。
彼とは毎日毎日お話をして、一緒に遊んでいました。けれど、ある日突然、私の前から彼はいなくなってしまいました。
どこへいったのか、皆目見当がつきません。彼とはよくお話をしていましたけれど、彼の出身やよく行くところ、好きな場所なんてお話は今までしたことがありませんでした。
私は泣きながらに、家中のいたるところを探しました。ベッドの下、物置、階段の隅、たまたま帰ってきていた親がいなければ、トイレの便器の中に顔を入れて探し回るところでした。
けれど、結局彼は見つかりませんでした。
私は後悔しました。泣いてばかりいるからだ、いつも暗いからだ、だから彼は私の前からいなくなってしまったんだ。そう思い、泣き続けました。
両目からこぼれる涙は止まることを知らず、干からびてしまうのではないかというほどでした。喉からこぼれる喘ぎも、私のどこにそんな力があるのかというほどに大きい声です。
何時間も、何時間も泣き続け、疲れた私はベッドの上でひざを抱えて丸くなっていました。
外は夜と夕焼けの中間のような状態で、空の紫が私を覆ってくるような気がしてとても怖かったのを覚えています。
そのころから、私の身体は少しずつ不調を訴えてきていました。なんだか身体がだるく、頭もぼぅっとしてきています。
無理もありません。私は病弱だったのですから。長いこと泣いて、喘いで、無事でいられるはずがないのです。
夜中には、私の身体は完全におかしくなっていました。自分が上を向いているのか、下を向いているのか、そもそも目が開いているのかもわかりません。
身体からは汗があふれて、苦しいという気持ちも浮かばないくらいに頭はくらくらとしていました。
不意に、額につめたい感触がして、私は少し意識を現実に向けることができました。もしかして、彼が帰ってきてくれたのかと思ったのですが、そこにいたのはくたびれて面倒くさそうな顔をしたお母さんでした。
お母さんを責めないであげてください。夜勤のお仕事を終え、やっと帰ってこられたと思ったら、私が半狂乱で家中をひっかきまわしていたのですから、くたびれるのもしょうがないというものです。しかも、看病のおまけつきです。
しかし、当時の私にはそんなお母さんよりも彼にいてほしかったのです。
私はくらくらする頭を振り、額のタオルを落としました。それでもお母さんは私の額につめたいタオルを乗せてきます。
違う、私はお母さんに会いたいんじゃない。
その思いが少しずつ、少しずつ強くなります。それに比例するかのように、私の頭のくらくらも少しずつ少しずつ強くなっていました。
何度もタオルを額から落とし、何度も額にタオルを乗せられているうちに、タオルは随分とぬるくなっていたようです。お母さんはタオルを冷やしに、私の部屋から出て行きました。
残された私は、息を荒げて外を見ます。
何度となくあこがれた外。元気に走り回る私と同じくらいの子供。そうだ、家の中だけじゃダメだ。外も探さないと。彼は私と違って健康だから、外に行ったのかもしれない。
重い身体を心の力だけで動かし、私は上半身を起こしました。そしてそのまま足をベッドの下に降ろします。
床に足が着いたのを確認して、私は両足に全力を注ぎ立ち上がりました。
これなら大丈夫。そう思って歩き始めたのも束の間、急に視界にもやが出たかと思うと、突如目の前が真っ暗になって、私は力なく崩れ落ちました。
何が起こっているのかもわかりませんでしたが、そのまま意識を失うまでそう時間はかかりませんでした。
私は白い霧の中にいました。あまり遠くまでは見えませんが、どうやら橋の上にいるみたいです。
私は訝りながらも前に向かって歩き始めました。
石畳のこの橋はゆるいアーチを描いていました。手すりも石材でできているようでした。ごつごつとした、けれど、人工的に加工されたとわかるような石材でした。
私の足音が響きます。こつこつこつ、と。
その音に気づいて足元を見ると、私の足にはきれいな靴が履かされていました。淡いピンク色をして、光沢があるヒールのないパンプスでした。
そのまま、改めて自分の身体の様子を伺うと、今更ながらに身体の調子がいいことに気づきました。
身体も軽く、頭もすっきりしています。今なら空も飛べるのではないかと思えるほどでした。
私は思わず走り出しました。外を子供たちが走っていたように、私も走りたくなったのです。健康な身体は疲れを知らず、私はずっと走り続けていました。
いよいよ息が切れてもう走れない、と思ったころでした。橋の終わりが見えてきました。よく見えませんが遊園地などで「ようこそ!」と書いてあるようなアーチもありました。
作品名:欲しいもの、大切なもの 作家名:たららんち