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 なぜそんなことになったのか皆目検討がつかないのだが、昼休みに担任の教師に呼び出された。職員室の扉を開くとエアコンでよく冷やされた空気が部屋から漏れ出し、心地よく体をなでた。
 なぜか不機嫌そうな教師の手招きに応じて机のところまでいそいそと歩いて行き軽く目礼すると、手すりも背もたれも無い簡素な丸椅子に座るよう顔の仕草のみで指示された。何となく落ち着かないそわそわした気持ちで辺りをきょろきょろと見回しながら教師が口を開くのを待つ。窓から外を眺めると、部屋に面した校庭でまるでそれこそが生きる目的そのものであるかのようにサッカボールを夢中で追う少年達の姿が見えた。あまり余所見ばかりしていると相対している教師から不興を買いそうなので視線を再び不機嫌な顔に戻す。それでも目のやり場に困るので、仕方が無く青髭に囲まれた妙に血色の良い口元を凝視する。はっきり言って整っているとは言いがたいこの口元に取ってつけたような健康そうでぷっくりとした唇はあまりにも不釣合いで、局所的に3D効果を施されたリップクリームの広告を思わせる。煙草を吸わないくせに何故か黄ばんだ歯がその裏側に隠されていると考えると、それだけで吐き気を催すし絶望的な気分になってくる。呼吸のたびに細かく収縮運動を繰り返す鼻の穴も何だか気になる。他の人であれば全く気にならない動作であるのだが。
 教師は依然として思わせぶりな態度を取って、顔はこちらに向けながらも目を閉じたまま腕組みをしている。まるで思索に耽っているように見えないこともないが、その表情や態度があまりに滑稽なのでただ馬鹿馬鹿しいだけだ。まさに知性の低い人間が人生の中盤に差し掛かった頃に始めて触れた哲学に感化され、自慢げに本に書かれていた思想を披露するような醜さ。思わせぶりな態度。一番の楽しみな時間である昼休みをこんな仕様も無い教師に今まさに握りつぶされていると思うと、本当に気が滅入ってくる。
 一瞬ぴくりと痙攣のような動きをしたかと思うと、再び緩やかな肩の上下運動に戻る。それが失いかけた自分の影響力を取り戻そうという静かな努力なのだということが自分には手に取るように分かった。大体の場合において教師とは愚かなもので、そもそも教師を志さんとする大多数の人間に知性の有する最も尊い部分が取り返しのつかないほど欠損しているという実感は、まともな人間であれば誰もが持っていることだろう。もちろん教師を志すような人間の多くを除いてだが。それには感覚以外にも論拠はあって、人に何かをしてやろうと考える発想そのものが卒倒するほど傲慢なことであって、かつそれに全く気づいていないという恐るべき発育不全を起さないかぎり、教師というおこがましい職業に就きたいという欲求はそもそも生まれ得ないからである。そういった脳に致命的な欠陥を持つ人間たちに、人生において最も多彩で最も多感な精神と時間を徹底的に侵され、損なわれる生徒の置かれた状況を省みず、著しく見当違いな点を重要な問題と考えて道化のように空回る教師たちよ。それは喜劇ではなく悲劇なのだ。席を立つことも許されず、笑いすら取れない見るも憐れなピエロが必死に立ち回る様を一日中鑑賞させられている無力な生徒たち。撮影されていることすら気づかない演者たちが繰り広げるこのグロテスクなB級ホラー映画のファンがいるとすれば、それはそれで趣のある良い趣味だと思う。僕にもそんな造詣の深さがあれば良いのだが。
 気づけば時計の針が13時30分に差し掛かっている。昼休みの終わりの時間が近づいている。運動場には隅のほうで足を引きずりながら歩く用務員が見えるだけで、元気に駆け回っていた少年たちの姿はもう無い。午後の授業に向かうために腰を上げ目礼してその場を立ち去ろうとすると、突然教師の表情がその行為を咎めるかのように険しくなり、首を上下に小刻みに震わせた。その行為をどう解釈してよいものかと考えているうちに、他の教師たちは次の授業のために書類の束を抱えて出ていってしまった。後には担任と退屈そうにデスクで煙草をふかす教師と僕だけが残された。人が減ったせいか冷房の効きが強くなり肌寒さを感じたのでエアコンのリモコンを探そうと辺りを見回していると、その様子に気づいた煙草の教師がこちらに近づいてきた。
「何をそんなにきょろきょろしているんだ」口からとぎれとぎれに煙草の煙を吐きながら教師が言った。
「エアコンのリモコンを探しているんです。何だか寒くて。」
煙草の煙が目に沁みるらしく充血した目をぱちぱちとさせながら「そうか」と呟くと、左手に持っていた鞄の中に手を入れてごそごそと何かを探し始めた。どうやら探し物はすぐに見つかったらしく、てらいのない満足げな笑みを浮かべてそれを取り出した。それは見たところ、どうやら最近流行しているメントール入りの目薬のようであった。何度かテレビのCMで見たことがある。容器のデザインは目薬というよりも香水に近く、それも70mlほどはあろうかというボトル状の革新的なデザイン。黄ばんだ白いワイシャツとよれたグレーのネクタイというファッションとの対比によって、そのデザインは実際以上に格式高く見える。まるで香水のように目薬を正面から顔面目掛けて噴射させ、より効率的に薬を浸透させようとまたもや目をぱちぱちさせている。五回ほどそんな調子で目薬を撒布すると、満足した様子でその目薬を胸のポケットにしまい込んだ。容器が大きいせいで胸のポケットがこんもりと盛り上がっているが、そのファッション性の高い目薬の蓋の部分がハンカチーフのように上から覗いていることによって不恰好さが帳消しになっていると考えているようだ。
 その目薬のブランド名を思い出そうとその奇妙に膨らんだ胸ポケットを凝視していると、教師は何か重大な事を思い出したように、急に体を左右に揺らし始めた。それは僕に免震構造の高層ビルを思い出させた。
「そうだ、いかんいかん」必要以上に深く息をはきすぎたせいか掠れた声でそうつぶやくと、近くのデスクに置いてあった三角錐状の模型を持って部屋を出て行ってしまった。いつの間にかエアコンは停止しており、夏らしいむんむんとした空気が部屋中を満たしていた。うっすらと腋の下が濡れてくるのに気づいたのでシャツのボタンを全開にし、シャツの裾を限界までたくし上げた。隆起した筋肉を汗が膜のように覆ったその様は、ニスで照りをつけたマホガニー製の彫り物のようだ。少しでも冷えた空気に体を触れさせようと姿勢を低く保ち、再びエアコンのリモコンを探すことにした。こういう時にこそ明晰と自負する己の頭脳が役に立つ。大抵こういうものは職位の高い人間のデスクにあるに違いないという推論を立て、それゆえに入り口から見て奥に当たるデスクの上にリモコンが置いてある可能性が高いと判断した。目標を見定めると同時にそこに辿り着くまでの最短経路を野生味溢れる勘により導き出し、獲物を見つけた豹の如く姿勢を低く保って疾走をはじめた。飛んでいくように目の横を通過していく風景に実際以上のスピード感を覚え、それが更に気分を高揚させる。
作品名: 作家名:木村太樹