overdose
“それじゃあクロリス…行ってくるよ。”
“気をつけてね、パパ。”
雪がチラつくようになった頃。
デニスはいつものように杖を持ってクロリスと天使のような孫に微笑みかけました。
彼はすっかり歳をとって足を悪くしていましたが、海辺を毎晩散歩することを日課にしていました。
デニスは夜の海ではカロリーナに会うことができると言っていたのですが、実際はどうだったのでしょうか。
いつもは波の音に耳を傾けたり波間を眺めたりしながら海辺をゆっくりと散歩してから帰路に着くのですが、その日、デニスは家に帰ることはありませんでした。
なかなか帰ってこないので心配したクロリスや彼女の夫が探しに出たのですが、海辺には彼の杖のみが残され、肝心要の本人はどこにも見当たりませんでした。
翌日に浜に死体が上がったのですが、それは彼のものではなく、無残に変わり果てた意地悪なヨルゴスのものだったそうです。
話によると、彼の喉はまるで生前彼がセイレーン達にしてきたように、ぱっくりと割れていたとか…。
結局デニスの身体は見つからないまま、1週間後に彼の葬儀がひっそりと行われました。
皆は口々にカロリーナが迎えに来たのだと言いましたが、私…クロリスは、それがあながち間違いだとは思いません。
私の父親・デニスはセイレーンの母親と、海で穏やかに眠っていると思います。
それは何故かと言いますと、そよ風のような囁き声が波の音に混ざって、海辺から毎晩聞こえてくるのです。
それは幼い頃から続いているのですが、不思議と恐怖感は感じず、むしろ安心感を与えてくれます。
父の生前は女性の声だけだったのですが、今は父の声も重なって聞こえてくるので、恐らく女性の声は私の母のものなのでしょう。
父の杖が落ちていた海辺は『セイレーンの浜』と名付けられ、今では恋愛成就の場所として有名な場所になっています。
誰よりも深い愛で結ばれた二人は、今日もセイレーンの浜から穏やかな声で私の名前を呼ぶのです。
これは、あるセイレーンと一人の人間の愛の物語…。
…私の両親の、愛の物語…。