愛されたがりや
「おはようございます」
出勤時間ギリギリに会社に着いた私は、その足で課長席へと向った。
社内は皆出勤しており、既に鳴り響く電話の応対に追われていた。
いつもの見慣れた風景だ。
「課長、おはようございます」
改まった顔をして課長の前に現れる私に、課長は訝(いぶか)しげな眼差しを向けた。
「あっ?あぁ……。おはよう……」
「課長?突然で申し訳ありませんが、今朝方、父が亡くなったと連絡がありまして、それで何日かお休みを頂きたいのですが……」
まるで仕事の報告をするような口調で、私は淡々と言った。
「えっ?い、今、なんと言ったのかね?」
驚いた顔をして、課長が聞き返す。
私は内心、面倒臭い、と思いつつも、また同じような言葉を無表情のまま繰り返した。
「今朝、母から連絡がありまして、父が亡くなったそうです。そこで、月末のこの忙しい時期に、私事の事情で休むとなると皆に迷惑を掛けてしまいますので、出来れば月初めに何日かお休みを頂ければ、と……」
「君は、馬鹿かね?」
真顔で課長が言う。
バカ、と言う単語は先程も聞いたばかりだ。
今日一日で、それもこの短時間で言われるとは、この私でもやはり応える。
私が俯いたまま黙っていると、課長は不機嫌そうに話しを続けた。
「何をしているんだね。今日は仕事はいいから、直ちに実家に帰りなさい」
「えっ?」
「えっ?じゃない。お父さんが亡くなったというのに、のこのこ会社に来ている場合じゃないだろう。仕事のことは、皆に任せればいい。だから、君は早く帰って上げなさい」
課長の顔が次第に憐(あわ)れむ表情となり、口調も穏やかになっていった。
「でも……」
「でもじゃない。君の実家は、確か帯広だったね。なら、今から帰る支度をしてJRに乗ったとしても、実家には昼頃に到着する。休暇届けは、私が代わりに出しておく。一週間の公休が取れるが、それでも足りない場合は連絡しなさい。有給もまだ残っているだろうから、それを使うといい」
どうして課長は、こんなに死者のことを思うのだろうか。
と、熱心に私を諭すように説得する課長の顔を眺めながら、思った。
私を心配してなのかは分からない。
ただ、まるで自分事のように感情移入をしてきては、絶えず私に悲しみの眼差しを向けるのだ。
そんな課長が、父と同様、煩(わずら)わしく思えた。
やはり私は、薄情なのかもしれない。
こうして、平気な顔をして他人の厚意を無下に出来てしまえるのだから。
私は課長の言葉に、はあ……、と曖昧な返事をただただ繰り返していた。
実家に帰りたくない私を察して欲しかったからだ。
けれど、課長のその死者に対する姿勢は変わらなかった。
憐(あわ)れみの表情を崩さない課長を眺め、何故課長がそんな顔をして私を見つめるのだろうか、と考える。
そうか……。
2年前、課長も自分の母親を病気で亡くしていたのだ。
だからだろうか。
当人以上に気持ちが分かるから、こんなにも同情をして、早く帰れ、と執拗に繰り返すのは……。
迷惑な話だ。
「何をもたもたしているんだね?早く、帰って上げなさい」
課長の口からまた、帰れ、の文字が出てきた。
私は、その言葉を押し切ってまでそこに居座り続ける勇気は持ち合わせてはいない。
だから、という訳でもないけれど、課長に追い遣られるように滞在時間わずかで会社をあとにすることとなってしまった。