愛されたがりや
「行かないで!お願い―――」
そう言って、閉まり掛けたドアを、渾身の力を込めてこじ開ける。
思いのほかドアは簡単に開き、その反動で私は玄関の中へと転がり込んでしまった。
懐かしい匂いが鼻腔を刺激する。
いつから私は、この部屋に来ていないのだろう。
夏樹の部屋で、いつから私は抱かれなくなったのだろう。
私は―――。
「いい加減にしろよ。早くで出てってくれ!」
夏樹の怒声。
と同時に、未だに突(つ)っ伏(ぷ)す私を起き上がらせようと、夏樹が腕を強く引っ張った。
「い、痛いっ!やめてよ、やめて。そんなふうに乱暴しないで。お願いだから……」
そう言って、夏樹に掴まれた腕を振りほどき、ゆっくり立ち上がるふりをして、部屋の中を盗み見た。
「だあれ?あなたは……?」
見知らぬ女と目が合った。
バスタオルを纏っただけの、いかにもという姿で私を見つめている。
女は私の質問には答えずに、ただただ見つめ続けている。
腹が立った。
だから、もう一度同じ質問を繰り返した。
「誰でもいいんだよ。もう、お前には関係ないんだから」
女の代わりに、夏樹が答える。
余計に腹が立った。
私以外の女を部屋に入れた夏樹も夏樹だけれど、それ以上にその女を弁護する夏樹が許せない。
そんなに美人でもないくせに、どうやって夏樹を騙したのよ?
そう呟き、私は女を睨んだ。
なのに、夏樹は私を乱暴に部屋から引き摺り出そうとした。
その女を守るかのように。
「いやっ!ちょっと、やめてよ。乱暴はやめてって、言ってるじゃない?ねぇ、ちょっと!」
嫌がる私に構うことなく、夏樹はいとも簡単に私の身体を持ち上げる。
そして、部屋から放り出されてしまった。
「もう二度と、俺の前に現れんな!もし現れたら、今度は迷わず警察呼ぶからな!」
そう捨てゼリフを吐き、夏樹は勢い良くドアを閉めた。
夏樹……。
そう呟き、慌ててドアに擦り寄る。
と、あからさまに鍵を掛ける音がした。
夏樹?
ねぇ、夏樹ってば……?
ドア越しにいるであろう夏樹に聞こえるように、何度も何度も名前を呼んでみる。
けれど、いくら名前を呼んでみても、夏樹からの返答はなかった。
夏樹。
夏樹?
夏樹……。
夏樹……?
夏樹ぃ……。
夏…樹ぃ……。
な…きぃ……。
な…ぃ………。
涙ながらに名前を呼び続けていくうちに、次第に声は掠れ言葉にならなくなっていた。
もう、夏樹は姿を現さないだろう。
なのに、私は声にならない声で叫んだ。
やめられなかった。
いや、やめたくなかった。
歪んでいる、と言われてもいい。
だって、本当のことなんだから。
私の恋愛は、歪んでいる。
歪なカタチで……。
でも、それを教えてくれたのは、あなた。
ねぇ、間違いなくあなたでしょ?
ねぇ?夏樹―――。
「ねぇ……?そうだって、言って……?言ってくれたなら、アタシ……」
掠れながらも口にした言葉に、誰も答えてくれる者はいない。
一方通行になった言葉は、虚しく私にはね返り淋しさを植えつけ、ダメージを与えた。
なのに、諦めきれない心が最後の力を振り絞ろうとする。
ムダだって、分かっているのに。
湿った床が後押しをする。
不快な床から立ち上がろうと、私はドアを見上げた。
すると、さっきまでそこにいた夏樹の背中の跡が残こされていた。
夏樹……。
そう呟き、夏樹の化身であるその跡に頬を摺り寄せすすり泣いた。
私が涙を流すたび、夏樹の化身が次第に消えていく。
悲しかった。
なのに、涙が止まらない。
夏樹の化身が全て消えてしまうその前に、私を消して欲しかった。
全てが嘘であるように。
全てが夢であるように。
今、この世界が鏡の中の出来事で、これは非現実的な世界で起こったことなのだ、と言って欲しかった。
そうすれば、私は傷つかなくてすむ。
こんなふうに、涙を流し悲しまなくてすむのに。
どうして?ねぇ?どうして、現実なの?
どうして、嘘の世界じゃないの?
どうして?ねぇ、嘘だって言って?
お願いだから。
嘘だって言ってよ、お父さん―――。