愛されたがりや
そんな私の心情を知らずに、叔母は私を無理矢理父の横たわる仏間へと押し遣った。
「見てちょうだい?こんなに穏やかな顔をしているのよ。兄さん……」
と涙ぐみながら、叔母は白い布を取った。
「はあ……」
と頷いてはみたものの、私は父の顔から目をそらした。
見たくなかった。
憎い、父の顔を。
叔母は、兄さん……、と何度も囁き、父の顔をいとおしそうに擦り、嗚咽を漏らした。
その傍らで、兄がボソッと呟く。
「お前のことだから、来ないかと思ったよ……」
「だって、課長が帰れって言うから……」
「なんだかんだ言ったって、やっぱ、一応親だもんな……。その泣き腫らした顔……」
と言って、兄が遠い目をして虚空を見つめた。
違うよ。そうじゃないの。この顔は、彼氏と別れるのがイヤで、それで泣いたんだよ……。
と、兄の顔を見たら否定出来なくなった。
いつから寝ていないのか、顔はやつれ、目の下には隈がくっきりと現れていた。
けれど、その目に涙はなかった。
泣いた、という痕跡はどこにもなく、未だに父が亡くなった、という事実を受け止められずにいる、苦悶に満ちた青年の顔だった。
「兄さんね、最後まで頑張ったのよ。翔子ちゃん、ちゃんと褒めてあげてね。ねぇ?兄さん……」
父の顔に頬を擦り寄せて、叔母が涙ながらに言った。
「はあ……」
皆が悲しみに暮れるさなかでも、私は曖昧な返事しか出来なかった。
いや、あえてしなかった。
理由はない。
ただ、誰かと話すという行為が面倒だった。
でも……?
ふと、私は疑問を抱く。
そういえば、なんで父は死んだのだろう。
父に興味がないのだから仕方がないのだけれど、私は死因について聞くことを忘れていたことに気付く。
一応、こういうことは情報として聞くべきなのだろう。
「ねぇ?あのさ――」
と尋ねようとする私を遮(さえぎ)り、兄が話し始めた。
「悪かったな、翔子。父さんが病気だってこと、内緒にしてて。だから、ビックリしただろう?急に、父さんが死んだ、って聞かされて……」
「いや……別に……」
「そんな、強がらなくたっていいよ。この俺だって、驚いたんだ……」
私の言動に、兄は強がりに聞こえたらしい。
けれど、違う、とは言えなかった。
父じゃなくて、夏樹の方、とは。
兄の憔悴した顔を見たら、どうしても言えなかった。
けれど、言いたい。
今は言えなくても、明日とか、明後日とかに言いたい。
父の死よりも、彼と別れてしまうことが辛い、と。
だから、札幌に帰りたい、と―――。
やっぱり、私は薄情な娘なのかもしれない。
「父さんな、いつも翔子のこと心配してたんだぞ」
「そう……」
「本当は、お前にも父さんの病気のことを知らせなきゃいけなかったんだろうけど、父さん、どうしても翔子には内緒にしておいてくれって……。せっかく一人で頑張っているんだから、こんなことで翔子の邪魔はしたくない、って言ってな……。うん……。本当は、会いたかったんじゃないのかな……。一人娘だしさ……」
「そう……」
だから、何?っていうか、今更死んだあとにそんなことを言われても、アタシ、困るんだけど……。
死んだ父を前にして、そんな言葉しか出てこない。
父の、その恩着せがましいいかにもという言葉が許せなくて、どうしても素直に聞くことが出来なかった。
ますます、卑屈になっていく。
父の死後もまだ、憎しみが増すなんて―――。
叔母が執拗以上に撫で続けている父の死に顔を、私はただ眺めていた。
やはり、悲しみは襲ってはこない。
それよりも、父は静かに寝ているようにも思えた。
今にも起き出してきそうな、そんな寝顔。
パッと目を開け、突然目を覚めた父は、私の姿を捉(とら)える。
そして、私に向かってこう言うのだ。
『なんて、薄情な娘だ』と―――。
そう想像しただけで、私の身体は恐怖に怯えた。
気味が悪かった。
不気味なほどに、気味が悪かった。
だから、私は父から逃げるように背を向けて、そして仏壇に向かい線香をあげてみる。
目を瞑り、手を合わせる。
その間、何も考えなかった。
何か思わなければ、と思ったところで、やはり思い浮かぶものは何もない。
だから私は、ただただ目を瞑り、ただただ手を合わせることにした。
薄情な娘だ、と思われ、父に憎まれたとしても、それでも構わない。
もしかしたら、それが私にとって唯の一救いの言葉、なのかもしれないのだから―――。