連載小説「六連星(むつらぼし)」第26話~30話
「その時。もう君のお腹に、あの子、響がいたんだろう」
「一人で産んで育てると、最初から私は決めていました。
幸運にも授かることができた、最初の大切な生命です。
なにがなんでも産むと、固く決めていました。
大好きなあなたの子供だもの、堕ろすつもりなどありません。
それでいながら、私は、芸者も続けるつもりでいました。
新米芸者の我がままと、無茶な決断に、湯西川の花柳界が、
前代未聞の大騒動になりました・・・・、
そりゃあ、そうです。
20歳になったばかりの新米芸者が、男の名前も言わず、
勝手に身ごもったんです。
温泉街で話題になり、好奇の目にさらされました。
それでも、置き屋のお母さんと、伴久ホテルの若女将が必死になって、
非難と騒動から、私をかばい続けてくれました。
あの人たちのおかげで私は、我を通し、無事に響を産むことが出来ました。
響は、湯西川の女たちが、守ってくれた命です。
湯西川の女たちの優しさと、思いやりが、私と響を、
今日まで育ててくれたのです。」
谷底の吾妻公園から登り始め、杉の巨木を抜け、
さらにカタクリの群生地を過ぎると、水道山公園の山頂の道にさしかかる。
反対側から登ってくる舗装道路へ出ると、山頂の展望台までは、
あと100mほどの距離になる。
遅れがちに着いてきた清子が、ついに息を切らして立ち止まる。
「私と別れた後。房総のホテルへ転勤したあなたが、オートバイで、
転倒事故を起こしました。
あなたが、2カ月ほど寝たきりになった事がありましたねぇ。
重体だときいたとき、私は、響を連れて行こうかと真剣に悩みました。
可愛かったのよ。そりゃあもう、3歳になった響は。
私にとっては、かけがえのない宝物です。
でもねぇ・・・・連れていくことは、何とか思いとどまりました。
響の笑顔を、貴方にも見せてあげたかったけど、
病室で突然我が子を見せられても、あなたは面食らうでしょうし、
気の毒すぎるもの。
でもあのとき、あなたには気の毒ことをしたと、私はいまでも
後悔をしています。
3歳の頃の女の子は、天使のように可愛い笑顔をしています。
あなたに、一度でいいから、その笑顔を見せてあげたいと思いました。
私は何度も、3歳のころの響の笑顔に救われています。
嫌な思いをしてお座敷から帰ってきても、響の寝顔を見るだけで
あふれるほどの元気と。活力をもらいました。うっふふふ。
もうわたしは響に、充分すぎるほどの親孝行をしてもらっています。
この子を産んで良かったと、私はいまでも、心の底から思っています」
直線の緩やかな登りは、あとわずかで、山頂の駐車場と展望台へ到着する。
水道山公園は、桐生の市街地を見おろす高台にある。
名前が示す通り、山の中腹部に、市内全域へ水を配る水道施設が
作られている。大正時代に建てられた管理棟は、
今でも現役で活躍をしている。
障害物が無いために、日暮れから夜景が楽しめる絶好の
ポイントになっている。
若者やカップル達に、人気のあるデートスポットだ。
展望台の最後の階段を登りきると、清子が手すりから身体を大きく乗り出した。
それでも清子は、俊彦の右手から指を離そうとしない。
「夜景も綺麗だけど、朝のさわやかな空気から見る桐生の街の景色も、
また、格別ですねぇ。
光ってみえるのが渡良瀬川ですね。
ここから関東平野の平たん部が、南に向かって一斉に広がっていくんだもの。
桐生が、関東の奥座敷と言われる意味が、よく解る場所です。
東京まで続いていく夜景のときの、光の帯はとても幻想的で美しい。
まもなく、スカイツリーも見えてくるはずです・・・・
ああ、目をつぶると、いまでもあの頃の懐かしい景色が甦ってきます。
ねぇ、あなた、俊彦さん・・・・」
「あれ。ここで君と夜景を見た覚えは、ないはずだけど・・・
気のせいかな、俺の」
「はい。絶対にあなたの気のせいです。
私の男といえば、ただひとりだけ、あなただけです。
湯西川で芸者修業をはじめてから早いもので、もう30年・・・
あなたと過ごしたあの一年間から、早いもので、もう25年が経ちました。
響が生まれて、大きくなって。いつもまにか、もう24歳です。
ずいぶんと、年月が経ちましたねぇ。
歳をとるはずですねぇ・・・・あなたも私も。お互いさまに」
目を上げた清子が、名残惜しそうにやっと、繋いだ指先をそっと離していく。
(31)へ、つづく
作品名:連載小説「六連星(むつらぼし)」第26話~30話 作家名:落合順平