悠里17歳
1 上京
私たちはいつの間にか眠っていた。バスが作る程よい揺れと程よい温度。眠気は正に催眠ガスのように発生し、自然に逆らって横にならずに座っているのにしっかり眠ってしまう、それも深く。どこまで喋ったのかもはや思い出せない。
私、サラ・フアレス、牧 晴乃の三人は神戸に住む高校三年生、昨日の夜からバスに乗って東京に向かっている。というのも私たちはスリーピースの「S'H'Y」なるバンドを組んでいて、今度学校で行われる文化祭でゲリラライブをする予定なのだ。今のところ生徒会役員を務めるベースの晴乃、文化祭の実行委員でドラムスのサラのお陰でハード面は整いつつあるが、肝心かなめの演奏の実力が伴っていない。話せば長くなるが詰まるところ私たちは東京でミュージシャンとして活動している実兄の「審査」を受ける事となり、バスに揺られて日本の都を目指している。
まだ暗い車内、私はふと目を覚ますと周囲を確認した。隣には晴乃、その向こうにはサラがまだ眠っている。時計は午前五時、私は遮光カーテンに潜り込み窓の外を確認すると夜は明けているが周囲はまだ薄暗い、雨が降っている。
「げげーっ、雨降っとうやん……」
いつものことだけど、雨が降っていると傘を忘れたことに気付く。降る前に気付かないものかと自分の忘れっぽい性格にゲンナリする。
「どの辺りまで来とう?」
カーテンの向こうから戻ってくると、漏れた光に気付いたのか、晴乃がひそひそ声で話し掛けてきた。
「ゴメン、起こした?」首を横に振るのを見てひとまず安心「まだ高速道路。近くまでは来とうと思うけど……」
外をチラ見しただけなので正直に回答すると晴乃も気にせずに微笑んだ。
「昨日、どこまで話したっけ?」
バスに乗り込んでから寝るまでの間、二人にリクエストされて先月アメリカに里帰りした時の話をした。ただ、バスが出す眠気に誘われどこまで話したか覚えていない――。
「んとね、そうそう。これ」
晴乃は笑顔で私の胸の前に、首からぶら下がっている環っかに手を伸ばした。晴乃が手にしたそれは、お父さんが誕生日にくれた革製の鍔だ。ということは私の話を最後の方まで聞いてくれたということか。
「これオシャレ、とっても和風で。だけどメイドイン・USなんやね」
晴乃は鍔にあしらわれた桜の花びらと「守破離」の文字を見て言った。「守破離」というのは、
師の教えを習って「守」り
師の流儀を極めて既存の型を「破」り
自己を極めて独自の境地を拓く「離」
という考え方で、これを道場訓としているところもちらほら見られる。私も帰国してから調べてその意味を知った。これは私の剣道だけでなく、自分自身の生き方にも通じるところがあって、そのまま私の好きな言葉になった。
「そう、でもこれを付けて稽古するにはまだ未熟やからお守りがわりに持っとうねん」
「へえ、サラやったら早速付けてそう」
まだ弐段の自分にはこのような鍔をつけるのは自分が許さない。そう考えるのは日本人のDNAなのか。
「何か言った……?」
名前に耳が反応したのか、サラも目を開けた。
「サラ?」
寝呆けた顔をしている彼女は何か言いたそげだ
「わっかるわぁ、お父さんの気持ち……」
「サラ……」二人とも私の大講演を聞いていて、私の方が先に喋り疲れて寝てしまったと揃って二人からのツッコミが入った。
「あはは、そうやったんや。ゴメンね」
照れ笑いをしてその場をごまかす。二人もつられて声を殺して笑いだした。
「あたしだって、日本での生活が窮屈な時があるもん」
サラだって半分は日本人だ。彼女の家では日本語がないので、家の中だけは母国アメリカというイメージがある。それは合衆国ではよく見られる光景で、在米の西守家でも中では日本語だったし食事はお箸で食べていた。だからサラ自身も家の内外で切り替えていて、それで二つの自分を保っている。
小学六年生の頭に神戸にやって来た彼女は「親切だけどよそよそしい友達」が自分を取り巻いていたと話す。その年の二学期初め、親の離婚で転校してきた私はそのサラを初めて見て、友達付き合いの上手な子に見えたが、実はこの時同じ国のDNAを持つ私に助けに近いサインを送っていたことに気付かずにすれ違いがあったことはお互いが未熟だった故の古傷だ。
今のサラからは想像つかないけれど、当時はかなりストレスがあったんだと思う。「仲間に入れてもらうために自分を殺した」そこまで言う本人があまり思い出したくないことは普段陽気なサラが話題に上げようとしないところで理解ができる。
「日本人であろうとするから余計に辛かったんやね?あたしなんか途中で諦めたもん」
日本の社会は外国人にとって合衆国ほど寛容ではない。それは私が現地との対比で感じたことだ。自由であるために自分自身をよく知る必要がある。それは日本でも同じだ、しかし合衆国と違うところがある。ここでは自分を知った上で対象に応じた生き方を要する場面がある。
見た目は変えようがない、だからサラは社会に溶け込むことよりも自分らしくあることを一と選んだ。初めて出会った小学生の頃の彼女の名前は「小南サラ」だった。母方の姓、つまり日本名を名乗っていた。しかし、中学に上がりその頃から既に自分自身について悩んでいた彼女は名前をサラ・フアレス(Sarah Juarez)と改めた。それが彼女なりのケジメなんだろう。それでも日本人であろうとした父との違いはそこだ。
彼女はマイペースな女の子に見えるけど実は繊細な部分がある。それは知っていたけれど、私自身がアメリカに行った事で、サラの強さが改めてわかった。本人に言っても透かされるだけなので言うことはないけれど。