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悠里17歳

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 この数日で自分自身のことを軸にして、そこから派生する多くの事を勉強した。合衆国という国、そこに住む人、外国人、アイデンティティ……。  
 お姉ちゃん、篤信兄ちゃん、叔父のエディとその子供たち、そしてお父さん……みんな合衆国で「日本人」として力強く生きている。
 国籍に関係なく、合衆国では人種が国籍のようなもので、結局私や倉泉家の一族はどの国にいても日本人であって、アメリカ人でもある。だからエディもお父さんも合衆国では日本人である努力をしている、怠ってしまうと出自のない空虚な存在になってしまうからだ。
 お姉ちゃんの言う「自由に伴う責任」の意味がわかったような気がする。

 努力をすれば掴めるものがある、例え掴めなくても近づくことができる。そのためには自分が何者であるかをしっかり把握し、そしてそれを誇りに思うことが絶対条件だと私なりに解釈した。
 日本に帰れば新学期が待っている。これからの一年は自分の方向を決めるのに大きな節目となることは間違いないだろう。結論は出てないけれど、一年前でも一年後でもない、まさに今17歳になったこの時にこの経験ができたことそのものが私にとって一番大きな事だ――。
 お婆ちゃんは「とにかく今は勉強しなさい」と教えてくれた。そしてお父さんは「こっちに来ないか」と撤回はしたけどそんな提案をした。
 アメリカという国は私の国籍でもあるけけれど祖国でもなければ故郷でもないことに変わりはない。だけど、倉泉悠里という人間の中にいる四分の一のYuri Kuraizumiが自分の形成には重要な部分を担っていることがよくわかった。五年後にやって来る国籍の選択含め、アメリカに渡るといった今まで全くなかった選択肢が絶対ではなくなった事は今は実感しいるが、ただ、今の私にはおそれ多い。今アメリカに渡ってしまうと四分の三の日本人がフェードアウトするような気がしてならなかった。
 結局はこれからも自分というやっかいな境遇を持つ人間についてもっと勉強しなければならないということだ。
 
   * * *

 窓からいつまでも沈まない太陽が見える。飛行機は太陽と同じように東から西へ進むので、いつまでたっても追い駆けっこしている。そして日本に着けば日付は一日飛び越える。来た時もそうだったけど時差というのはやっぱり理解できておらず、物理的な距離よりも二つの国の距離の遠さを感じてしまう。
 私はスクリーンの前の席に座り、ただただ流れている映画を見ている。慣れるというのは恐ろしいもので、ボソボソと話す映画の台詞も聞き取れるようになっている。ただ、内容はもう一つ興味をひくものでなかったのでただ目にしているだけで頭は別の事を考えていた――。

「何か、飲むかい?」
 そんなボーッとしている私を目の前に対面で座る黒人男性の乗務員が私に声を掛けてきた。訛った英語、聞き取れるのだから不思議だ。
「日本人?」
 反応が少し遅れた。彼はその一瞬の遅れで私の出自を見抜いた。
「ええ、正しくは違うけど……、私、日本人に見えますか?」
 確かに日本人であるが、四分の一はアメリカ人であることを説明した。
「ああ、どことなくね」
彼は席を外ししばらくして、私好みの熱いお茶を入れて戻ってきた。聞けば日本人にお茶を出すと大抵の人は喜んでくれるらしい。
「あ、ありがとうございます」
無意識に日本語でお礼を言うとニコッとして「welcome」と答えが帰ってきた。
「私の知る日本人は上品で礼儀が正しく、何よりでしゃばらない。合衆国にはない『美しさ』だ。私は好きだな、そういう振る舞い方」
「ありがとうございます」
 私を日本人として認識している彼は、私自身だけについてではなく不特定多数の総体としての日本人を誉めているのだが自分に言われているようでついお礼を言ってしまった。
「そう、そういうところ」そう言って私の前に手を差し伸べた「スティーヴンだ」
 私はスティーヴンの手を取った。お父さんと同じファーストネームだ。
「悠里。倉泉悠里です」
「日本語の名前か?」
「はい、特に珍しい名前でもないです」 
「何をしに合衆国へ?」
「家族に会いに――」
 と説明すると自ずと繋がる両親の離婚そして別居。それでも私は正直に答えたことで話が弾み出した。自分の今、彼の今、最後には日系アメリカ人の父と日本人の母との出会いの経緯まで。
「お母さんがね、かつてはCAだったんですよ」
「そうか、それで君が生まれたんだ」
 私はニコッとしたが、最後に一言付け足した。
「でも、離婚したけどね」
スティーヴンは顔色一つ変えずに頷いている。
「そうか、悠里は日本に帰るんだな」
「はい」
 親を訪ねて海外へ、そして親元へ帰国。複雑だけど隠しようがない。
「帰る国があるのは素晴らしい事だ。私には帰る国はない」
 返事に困る私を見てスティーヴンは「no problem 」と言ってくれたので、私はここで発言を許されていると判断した。
 ここで言う「祖国がない」のは、当時の国がないということだけど、こういう問題はとてもデリケートなので言葉を選ばなければならない。

 出身国を知らないアフリカ系アメリカ人が多いのは、アメリカが今のアメリカになる以前に奴隷として連れてこられた経緯があることは恐らく世界中の人間が知っている。19世紀までは列強の進出によりアフリカでの独立国家が僅かであったから、出身国がない人がほとんどということと考える。
 南北戦争のさなか、リンカーンが奴隷解放を宣言したのは日本の中学生なら英語や歴史の授業聞いたことがある話だ。だけど残念なことに廃止されたのは奴隷制度であって人種差別がなくなった訳ではない。この国には黒人だけを対象にしたわけではないが、公民権の制限などの差別は残った。これは学校ではなかなか教えてくれないのが残念なところだ。
 それからキング牧師がメンフィスで演説をしたのがほぼ百年後のことだ。差別が百年続いたことの証明に他ならない。国内で差別があった事を知る生き字引が多くいるということはけっこう最近まで差別があったことの証だ。
「差別は努力で乗り越えるべきものであり、殊更に社会のせいにしてはならない」
 スティーヴンはCAになる努力をした結果こうして制服を着て飛行機に乗っている。半世紀前では考えられないことだ。
「悠里のようなアメリカ人でもある日本人だから出来ることってあるぞ。だから今出来ることを一生懸命すればいい。それはどの国にいても同じだと思う」
「ありがとう」
 私はもう一度スティーヴンと握手をした。それから彼は呼び出しのランプを確認して席を立ち、機の後方へ歩いて行った。私は再びあまり興味の湧かないテレビの画面に目を遣った。
 私はただ流れている映画を見ながら再び物思いの旅に出た。

 私は倉泉悠里、またの名をYuri Kuraizumi、日本人であり、アメリカ人でもある。私がどのような人間で、どのように生きるのか、結論からいえば答えは分からない。だけど、こんな自分だからできることって、あると思う。この広い世界のどこにいようと、日本人であり、アメリカ人でもあることを自覚する必要がある――。
作品名:悠里17歳 作家名:八馬八朔