悠里17歳
1 桜咲く道場
桜の咲く新学期、神戸の山の麓にある高校の道場からは元気のいい声と、カチン、カチンと竹刀が当たる音と、ドスンドスンと踏み込む足の音が漏れてくる。年度が変わり、卒業生は抜け、新入生はまだ入ってきていないが、道場にいる者たちはそれを感じさせないほどの声を張り上げて自らの気を高める。
地稽古の後の終わらない打ち込み稽古、私たちは足を止めずにひたすら打ち続け、大きく張り上げた声は今にも途切れそうだ。先生がその途切れるタイミングをしっかり見極めて「切り返ーし」と叫ぶと、さらに大きな声を搾り出して、息の続く限り左右の面打ちを続ける。私たちはこうしてギリギリまで息を上げて体力と気力をつけていくのだ。
「蹲踞ーっ、収めーっ、刀。整れーつ」
主将の掛け声で私たちは一列に並んだ。二学年しかいないけど今日は多い方だ。
私たちは面と小手を外して、再び主将の掛け声で中央に整列し、先生が正座のまま無言で両手を結ぶと、最右翼の主将が声を上げた。
「着座、もっくそーっ!」
今までの喧騒から一転して道場が鎮まり帰った。耳を澄ませばさっきまで動き回っていた生徒一人一人の息が次第に小さくなるのが聞こえてくる。
先生が手を叩く音で目を開けると、道場は練習前の静寂とした姿に還った。窓の外、一片(ひとひら)の桜の花弁が落ちる音さえも聞こえて来そうだ。先生に礼、そして神前に礼をして今日の稽古を終える。私はこの動と静のコントラストこそが日本人の持つ「美」なのだと思っている――。
私は倉泉悠里(くらいずみ ゆうり)、ここの高校三年生。この街で生まれ、この街で育った。日本国籍を持つ日本人であることに間違いないのだが、私にはもう一つの国籍、そして日本人とは違うDNAを持っている。祖母はアイルランド系のアメリカ人で、父は日系二世だ。しかし、そのもう一つのDNAは全体の四分の一に過ぎないし、アメリカには行った事がある程度で、住んでいたわけでも自分の成長に大きな影響を与えたわけでもない。見た目だって、人より肌と髪の色は少し薄いかも知れないけど、目立ってるわけでもない。そして両親の離婚により、そこはさらに遠いところになり、残ったのは国籍くらいのものだ。
何より私はこの国に生まれ、この国の国民としての教育を受けている。だから、人よりは髪と肌の色が少しだけ薄いかも知れないが、日本人としての自負がある。剣術と呼ばれた頃から見れば何百年も前からあった日本独特の文化である剣道をすることの意味も自分なりにわかっているつもりだ――。
「先生に、礼!神前に、礼!」