悠里17歳
2 異郷のきょうだい
出発からおよそ半日、目が覚めると飛行機はアメリカ・LAの空港上空をゆっくりと飛び、着陸の準備を始めていた。昨日出発したのに、同じ日のほぼ同じ時刻に到着するのだから時差っていうものは不思議だ。もう一回3月24日を繰り返すのだ。窓から見える街並みはテレビや映画で見るアメリカの街そのものという感じで、来るものを広く受け容れようとする雰囲気がある。私にはこの国の血が流れているはずなのに、私の目に映るものは懐かしさでも憧憬でもなく、テーマパークのような単なる別世界だ――。
10年前、最後にここへ来た時の事を思い出す。当時はまだ小学校二年に上がる前だった。横にいるお兄ちゃんも中学に上がる前で、お姉ちゃんが今の私の年齢の頃だ。あの時は家族五人での大移動で、きょうだいに付いて行くだけで言葉がわからなくても楽しかった。今もきょうだいの背中を追いかけているのに違いはないけど、あれから家族はバラバラになった。
* * *
「悠里、覚えとうか?」
入国のゲートが見えたところ、前を歩くお兄ちゃんの足が止まった。今度は学習したので私も足を止めた。
「うん、入国は一緒でしょ?お兄ちゃん」
「そうそう」
入国のゲート、アメリカの入国審査はとても厳しいというのを日本で聞いたことがある。多くの人に門戸を開いている半面、良くない者も少なからず侵入する現状がある。だから入ってくる者には容赦しない。
私は延々と続く行列に並び審査を待とうとすると、お兄ちゃんが私の肩を叩いた。
「おいおい、うちらはあっちのゲートだって。行く時言うたやんか」
私は兄の差す先を見た。ゲートには「U.S. citizens」とある。そうだ、私はここでは「合衆国の国民」ということになるんだった。全く実感がないけど。
普段は冗談も交えて話す兄もここでは雰囲気が真面目になる。出入国というものはそれだけシビアなものであることを無言で教えてくれる。出国は別だったけど入国は一緒だ。私は阿吽の呼吸で兄の調子に合わせ、おとなしく合衆国のパスポートを胸の前に出した。
厳しいのは外国人の入国のことか単独の帰国かハッキリしないが、私たちは簡単に入国(正しくは帰国?になるのかな)できた。それから私とお兄ちゃんは軽く食事をしたあと、ここから乗り継ぎでワシントン州の方へ行ってしまう兄を見送った。あとで聞いたことだけど、身内でゲートを通ると審査は比較的楽に通るらしい。
「じゃあな、悠里。LA着いたら連絡するよ」
「うん、ここまでありがとう」
お兄ちゃんは帽子を高々と上にあげトランジットの方へ行ってしまい、私は本当に異国で一人ぼっちになってしまった。
よくよく考えてみれば、私はこの国のパスポートでこの国の国民として入国した身分なのだ。正しく言えばここは異国じゃない。法的にはここは「自国」ということになる、アメリカ生まれのお兄ちゃんにとっては帰郷と言えるかもしれないけど、はっきりいって私にとってここは異郷だ――。
予定では出発前から一人だったところをここまでお兄ちゃんが一緒にいてくれたのは本当に心強かった。本当ならメンバーの輝さんとジェフリーの三人でシアトル入りするところを海外の雰囲気になれていない私のためにバンドには無理言って合わせてくれた。
「仕方ないやん。母さんもお姉も悠里に付き合ってあげてって言うんやから」
って飛行機の中で突き放した言い方をするのを何度も聞いた。でも本当は私のことを一番心配してわざわざお母さんの手配に相乗りして便を変えたのを知っている。
「ありがとう、お兄ちゃん」
私は姿の見えなくなった兄にもう一度感謝して後ろを向き、出口の方つまり、倉泉悠里のもう一つのルーツである国、アメリカ合衆国の街の方を向いた。
「ビビったってなんにもでけへんぞ、悠里!」
自分に強く言い聞かせ、両手で自分の頬を叩いた。そして力強くカートを握りしめ前に一歩突きだした。