相府蓮
進一郎と接吻する夢を見た朝、自分の下穿きが濡れるに至って、英治は混乱し、そして悟った。自分は進一郎に恋慕しているのだと。
「好きじゃ、シン」
進一郎の手と重なった手の平に口づける。
同性同士、もとより結ばれるなど考えられない。わかっていても想うことを止められなかった。辛くて何度、言ってしまおうとしたことか。思いとどまったのは、友としての関係さえも失ってしまうことが恐かったからだ。幸か不幸か時期を同じくして、進一郎は兵学校のある江田島に発った。
「好きじゃ、シン」
顔を上げると、月に目が行った。冬の澄んだ空気が、月の白さを一層引き立てる。満月はさぞ、美しかったことだろう。
昨夜は月を見上げることはなかった。「月がきれいだ」と母と弟が店先で、水団(すいとん)を団子に見立て、季節はずれの月見の真似事をしていたが、英治は付き合わなかった。昨夜に限らず、ゆっくり月を見ることなど、最近はなかった。
これは何かの符号なのか。十六夜は十五夜より月の出が遅れることから、「月の出を躊躇う」と言う意味で『猶予(いざよ)う月』、すなわち『十六夜月(いざよいづき)』と名づけられた。
自分亡き後の相手のことを慮って、告白することを躊躇う進一郎。
二度と口をきけないかも知れない恐さから、告白を躊躇ってきた英治。
しかし進一郎は、無事に戻って来られたなら、相手に想いを伝えるつもりでいる。それを糧の一つにして、生きて帰ろうとしているのだ。
きっと進一郎は帰ってくる。そして想う誰かに今度こそ告げる。その時が、自分の秘めた想いに終止符を打つ時ではないのか?
別れ際に進一郎が真顔で言った。
「戦争が終わって戻ったら、大事な話がある。じゃけぇ絶対、無事でいろよ」
親友である英治に、想い人のことを話す、あるいは紹介するつもりでいるのかも知れない。
自分の気持ちを抑えたまま、家庭を築く進一郎を目の当たりにしながら、『親友』として振舞うことが出来るだろうか?
英治は目を閉じた。
「好きじゃ、シン」
だったらいっそ、この言葉を戻った進一郎に告げて、恋を終わらせてしまうのが良い。
笑って過去形で話せるよう、それまでに恋情を友情に還元する。たとえそれで進一郎が離れて行ったとしても、辛いのは一時だけ――そう言い聞かせた時、進一郎と繋いだ手が微かに震えた。英治はもう一方の手を重ねて強く握り込むと、額に押し当てる。
しばらくして指の震えがおさまり、英治はホッと息を吐き出すと目を開けた。
目線を上げた先には十六夜の月。その俗名に似合わず、皓々とした輝きで空に在る。まるで英治の決心を嗤(わら)うかのようだ。
英治は苦く笑んで、その月を見つめた。
<相府蓮(そうふれん)>
雅楽。「晋の大臣官邸の池の蓮を愛でた歌」が原曲だが、日本では「想夫」と発音が似ることから、恋する女性の曲として『想夫恋』とも表記され、『平家物語』にも登場する。
英治の恋の結末は、こちらで公開中の『空はどこまでも青かった』にて想像することが出来ます(ハッピーエンドではありませんので、苦手な方はご注意ください)。