私の読む「紫式部日記」後半」
情緒のある月夜・物を言うような有り明けの月・花見に行く場所・時鳥の声の聞き所・それらを観賞するには齋院は本当に雰囲気の良いところで世間から離れた神々しい感じがするところです。俗事にあくせくすることもない。私がお勤めする中宮がたのように、宮が清涼殿に参られるとか、あるいは殿(道長)がお出でになるとか、御宿直であるとかなど、何となく用事の繁雑な事というものもないので、齋院の方々は、そんな勤めの空気の中で自分の行動を自然にわきまえたしなむのだから、風流事のありたけをし尽す中では,それが日常になって、間違っても誤ったことを言うはずがありません。
仮に私のようにひどく内気な者でも、齋院でお勤めをしたならば、そこである男と知り合って言葉を交わすようになっても、場所柄から相手の人が私を軽薄な女だという評判を負いかぶせることもないと、気が緩んで、自然女の色気が付いてしまうでしょう。若い人なら、年齢、容姿引け目を感じないから、熱心に相手の気をひこうとしたり、何か気のきいたことを言おうと本気で男に向かった場合は、そうひどく他人に遅れを取る者もありますまい。
【周りの同僚のことを一応終わって、今度は賀茂の齋院のことを言う。女らしい文章で内容は辛辣である。野々宮は「源氏物語」でも六条御息所の娘が伊勢の齋王となる前に一年間ここで潔斎する、源氏と六条御息所が密かに逢う。「賢木(さかき)」の巻に詳しく書かれている。そこの女房が見識高いのを自慢するのを批評する】
斎院がたではそんな風だが、内裏では互に対抗なさる女御・妃はおられない、そちらの女房がどうで、あちらの細殿の女房はこうで、と品定めをなさる方々もおられず、男も女も争い対立することもないので、宮で働く男も女も緊張することなく、さらに、中宮のお考えは、色めかしく振舞うのを浮薄だ思っておいでであるから、自分は十人並みの器量であると自負している人でも軽い気持で人前に出ると言うことはありません。そうは言っても中宮にお仕えする女房の中には、人にあまり気を遣わず恥ずかしがらず、自分がどんな評判になっているかも何とも思わぬ、そのような人はやはり、人と違った性格を隠しているわけではない。この人達が気楽に男と話をするから、彼女達以外の中宮の女房達は引込思案だ、もしくは心遣いがないなどと言われ、それが全体的になって中宮の周りの女房は情がないと言うことになってしまう。
中宮がたの上級・中級の女房たちは、本当に人前に出ようともしないで引きこもってお上品に振舞ってばかりいる。そんな風では、中宮の御ためにお引立ての役にならず、見ぐるしいとさえ思われます。このような欠点を私はとりあげてますが、才にしろ仕草にしろ人より大変に劣っている優れているというお方はまず居られないものです。そうは言っても、若い人でさえ軽薄にならない様にと真面目に振舞っている当世に、年配の上・中﨟がみっともなく浮ついていますのも実に見苦しいことです。只、皆さん全体の雰囲気は、あんまり無風流で無いようにして貰いたいものです。
そのような訳で、中宮が不足なく洗練され奥ゆかしい心の方であり、外には控え目になさる御気性から、中宮は何も自分から言うまい、言い出してみたところで、この人ならと信頼がおけて、面目を保ち得るような人はなかなかいないものだと、そう信じていらっしゃる。実際に何かのことに不十分なことをしては、失敗するよりもまずいことであります。かって、中宮御所で働く女房の中に物事を遂行するのに深く考えないで、我こそはという顔をして幅をきかせている女房が、出来そうもないことを何かの折に言い出したことがあったのを、その頃中宮はまだ若く、乗り気になって聞き入れになり、大変に恥ずかしい思いをなさったことがあった。そのことを後に心中深く思しめし、それからは、何も口に出さずに欠点なく過すのを本当に無難なことだと思しめされた。そのお気持に、よくかなうように子どもっぽい性質のお嬢さん方だけがお側にお仕えしているうちに、こうして遠慮がちの気風ができてしまつたのだ、と私は解しております。
今は中宮も成長なされて世の中とはこういうものだと人の善し悪しを良く御覧になって判断なされるので、この中宮御所の雰囲気を殿上人達は特に趣がないと思いもし、言いもするらしいと中宮は総て分かっておられる。そうだからと、どこまでも奥ゆかしくやり通すというのでなく、一歩誤ると、軽佻浮薄な事態も起ってくるものだ。それで野暮に引込んでいるのを、中宮ももっとかくかくしかじかであって欲しいと思し召したり、また仰せられもするのだが、自然に出来上がった風習は改まり難く、また当世の君達も、此処では周囲の気風に屈して誰もみな生真面目に振舞っていることになる。
齋院のような場所で、月を見て、花を愛でるそれ一本槍の風流事をこそ自然に求めもし、思いもしたり言ったりするのであろう。中宮御所のように、朝タに人が出勤したり退去したり奥ゆかしい感じのない場所で、毎日日常の用件を聞いたり命じたり、あるいは興ある事柄をも言いかけられて的確な答えを返事する、このようなことが出来る女房は、実に少くなってしまったと人は噂をしている。
私自身は実際に見たことではないから一向分らないことだ。
作品名:私の読む「紫式部日記」後半」 作家名:陽高慈雨